64.怨嗟 ***

 小さな青果店が、全ての始まりだった。ダイトは店主の男の目を盗み、丸々とした果実を手に取る。ボロボロの服の中にそれをしまい込めば、もう誰も気づくことは無い。ダイトは異様なほど冷静にそれをやってのけた。

 店主の男はそれに一切気づくことなく、ただ夢中で客の女性と言葉を交わす。ダイトはしばしそれを見届けると、表情一つ変えずに颯爽と商店街を後にした。




 ダイトは基地に戻った。盗みに手を染めたことへの罪悪感だろうか、不思議と三人に顔を合わせづらい。また少しばかり距離ができてしまった気がした。

 三人はいまだゴミ漁りで命を繋いでいるようだった。商店街が危険であると分かれば、生きる術はもうそれしかない。

 あの日からダイトが孤立を始めてもなお、夜になれば三人は四人分の夕飯を準備してくれる。それでも、盗みを犯した後ろめたさから、その日のダイトは食卓へ足を進められなかった。ダイトは一人で盗品の果実を頬張る。




 少しだけ居心地の悪い日が続く。日が経てば経つほど、三人には話しかけづらくなった。

 壊れた少年は盗みを繰り返し続ける。時には盗みが見つかり、捕まりかけることさえあった。しかし彼が受けた英才教育は、それを救ってしまう。魔法の手ほどきを受けていたダイトは、幼くして簡単な魔法なら十分に使いこなせていた。相手が魔法など覚えのない大人であれば、逃げ切ることなど簡単なのだ。




 治癒魔導師の少女との約束を果たす日は徐々に近づく。当然ダイトの手元には、まだ今月必要な額すら揃っていない。

 「……宝石店を狙うか? ……いやダメだ。こんな服装じゃ、入ってすぐに怪しまれる」

 どこか焦りを感じながら呪詛のように唱える。そんな彼に言葉を投げかけたのは、最も意外な人間だった。

 「だいと……だいじょぶ?」

いつの間にか直ぐ近くまで来ていたエフィが、突然耳元で囁く。

 「うおっ! エフィ……? ど、どうしたんだ?」

 「……それ……えふぃのせりふ。だいと……さいきん……へん」

気まずさというか、話しかけられた嬉しさというか。形容しがたい感情に飲み込まれる。

 エフィはそのまま本題を切り出した。

 「……えふぃ……しってる。だいと……わるいこと……してる」

 「……」

黙り込むダイト。エフィは小さな手を振りかざして、ダイトの額に押し当てた。

 「めっ」

 「……」

ほとんど話したことの無かった彼女が繰り出す突然の攻撃にダイトは困惑する。あたふたとしているところ、またひとつ別の声が聞こえ始めた。

 「ったくダイト。お前って奴は……」

それはあえて普段通りに振る舞うウォン。彼は取り繕った軽い口調で続ける。

 「あのさ、一人で抱えんなよ。いやまあ、俺らも少し距離置いちまったのは悪かった。だけどな、お前にも見えてんだろ?」 

 「見えてるって……何がだよ」

 「俺らみたいな仲間が、だよ。これほど信頼のおける仲間、使他ないだろ?」

ウォンはどうやら、意識的に悪い笑顔を作っているようだった。そこへライブラも歩み寄る。

 「ダイト、手を汚すのなら私たちも一緒」

どうやら彼女もずっと近くで窺っていたらしい。

 そのときエフィは、ふとダイトの手を取る。

 「だいと……まま……たすける……でしょ?」

ウォンはダイトの肩に手を置いた。そして少年は暗い声で呟く。その神妙な声色は、ダイトへ確かな決意を述べるため。

 「俺らはもう腹括ってんだ。人は自分の為に生きなきゃいけねぇ。奪われるくらいなら……奪う」

ダイトは覚悟を問う。自らの目的の為に手を汚させることについて、頭を下げることもせず。

 「……お前ら、いいんだな。もう、後戻りできないんだぞ」

ウォンは明るい声色にかえって付け足す。少しばかりおちゃらけた様子で応答してみせた。

 「まあ、俺は魔法なんてからっきしなもんだから、お前の言ってた宝石店とかの大物は厳しーかもだけど」

 「それ、私もー。でも実はね、即戦力ならここにいるの」

そう言ってライブラはエフィの頭に手を置く。

 「えふぃ……まほう……とくい」

彼女の長い前髪に隠れた瞳が、確かな自信を語っていた。




 数日後。その日、小さな盗賊団は産声を上げた。

 四人は揃って、忌まわしき商店街・ピリック通りを訪れる。人目につかない場所へ一度身を潜めると、ダイトは今回の標的を指差した。

 「狙うのはあの宝石店。勿論俺らが堂々と入ってったところで、つまみ出されてしまいなわけだが……エフィ、お前の力貸してくれ」

 「……ちょうほうまほう」

エフィはおもむろにダイトへ両手を向ける。すると次の瞬間、ダイトは残された三人の視界から消滅した。

 エフィはそのままウォンにも手をかざす。すると彼もまた、視界からあっと言う間に消滅した。

 諜報魔法。それは名の通り、諜報活動に特化した魔法群の総称。中でも彼女が行使したものは諜報魔法・不可視インヴィジブル。対象を周囲から見えなくする魔法である。

 ダイトはそのま作戦の最終確認を続けた。

 「この魔法があるなら、やることは簡単だ。魔法の効果で周りから見えない状態のまま突入。ケースをぶち壊して、持てるだけ持って逃げる。そんだけだ」

 「ウォン、逃げるタイミングを見失うなよ。なにせ魔法の効果で俺ら同士も視認できないからな」

ウォンはここでひとつ疑問を呈する。

 「……でもよ、そもそも宝石なんて盗ったって、それを怪しまれずに売れるとことかあんのか?」

その問いには、ライブラが答えて見せた。

 「大丈夫。ポンド街にはそういうのに目を瞑ってくれる質屋なんて、ざらにあるからね」

 「なるほど、安心した」

 ウォンは拳をぶつけて気合いを入れると、ダイトが居るであろう方向へ目を合わせる。しかしダイトから景気の良い声が聞こえることはなかった。彼はここへ来てまだ迷っている。

 「……ほんとうに、いいのか? 別にお前らまでこんなことしなくても……」

 「ダイトやめて」

ライブラは遮る。ウォンは見えないダイトの肩に手を置く。

 「俺らは不遇だ。親も飯も家も無い。毎日を死ぬ気で生きてる。でも楽しいのは、仲間がいるからだ」

 「……なのに……その俺たちのささやかな幸せが奪われることさえ、社会は許容するんだ。仲間さえ居てくれればそれで良いのに。アンジが殺されていい理由なんて、あるはずない……!」

涙を流すウォンの瞳の奥には、怨嗟が写し出される。

 「だから俺らは奪い返す。もう何奪っても釣り合わねえけど、ただ奪い返す。ダイト、それは仲間であるお前を失わない為。母を亡くして悲しむお前の姿を見ない為。そのために一心同体になることが、俺たち三人の総意だ」






【玲奈の備忘録】

No.64 諜報魔法

大陸戦争時代にギノバス王国の諜報員が用いたことから名が知れ広まった魔法の総称。基本的には他者の認知を疎外する用途で使用される。現在では大陸統一によって諜報活動それ自体の必要性が弱まったが、魔法戦闘においては依然と強力な効果を誇る為、一部の魔導師から親しまれ続けている。魔法陣の色は無色透明。

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