63.壊れた玩具 ***
「まったくアンジは一人でどこ行ってんだか……」
ダイトはふと呟く。四人はいつも通りの時間に合流したが、そこへアンジだけが姿を見せなかった。
ライブラとエフィにも次第に不安が募る。
「やっばりおかしい。絶対何かあったのよ。探しましょ――!」
「えふぃ……あんじ……しんぱい」
皆が取り乱す中、ウォンは冷静に指揮を執った。
「手分けして探すぞ。エフィとライブラはあっち、俺とダイトはこっちだ」
静まり返った路地裏には、血の匂いがうっすらと立ちこめる。しかし入り組んだ路地の先では、誰の鼻にもそれは届かない。
「……ふぅ、良い運動になった。やはり体は適度に動かすものだなあ」
プロセクトは血のついた角材を遠くへ放り投げる。快楽を満たした多幸感に包まれながら、痛々しい痣を刻まれた少年の亡骸から離れた。
「さ、奴はどこかね。おぉ、居た居た」
狂った男がおもむろに屋根の方を見上げた先、そこに居たのは黒コートで身を隠す男。定例会議の後にゴートが遭遇した、あの男である。
プロセクトはこなれた様子でその男を呼びつける。
「後の処理はいつもどおり頼んだぞ、フェズ」
「プロセクト卿。さっきどっかへ放り投げた角材も、その子供のそばに置いてください。いつも言ってるでしょう。証拠は全部綺麗サッパリ消さなきゃ、足が付きますよ。というかそもそも人を殺したいなら、もっと
「ああ、もう分かった分かった。ほら、これでいいんだろ?」
男は面倒臭そうに血のこびり付いた角材を拾い直すと、それを息絶えたアンジへと投げつけた。
「それじゃあ、後はまかせるぞ」
プロセクトは颯爽と路地裏を後にする。そのまま付き人へと合流した。
「ふぅすっきりした。慈善活動は完了だ。さっさと商店街へ戻るぞぉ」
路地裏にはアンジの亡骸だけが残された。プロセクトが場を離れてしばし経てば、屋根に座り込んでいた黒ずくめの男はぶつぶつと独り言を溢める。
「ったく狂った野郎だ。表の顔は保守派貴族、裏の顔は快楽殺人者。戸籍の無いポンド街の住民を狙う周到さ。どうしようもない狂人だね……いや、殺し屋やってる俺が言えた事じゃねーのか?」
とぼけながらも、男はおもむろ立ち上がる。
「まあいい。金積まれてるわけだし、仕事はちゃんとしなきゃ」
男が掌を空へかざしたとき、周りの空気がかすかに震えた。
「……にしても何で殺し屋が、死体の処理なんかやらなくちゃいけないかねぇ。専門外だっての」
天空に僅か寸分だけ現れた魔法陣。そこから放たれるのは激しい稲妻。その煌々とした稲妻は、真っ直ぐに亡骸へと墜落した。激しい光と衝撃音が辺りを揺らす。路地裏に面した窓は衝撃波で砕け散った。
快晴の中突如として降り注いだ一本の雷は、大衆の注意を惹く。
「今の音なんだ!?」
「あっちで一瞬何か光らなかった?」
「雷……か? こんな天気だってのに」
そしてその一筋の落雷は、少年たちの目にも留まった。
「なんだ!? 何の音だ!?」
焦りを見せるウォンとは対照的に、ダイトは冷静を保つ。
「……魔法だ」
魔法の教養があったダイトだからこそ冷静でいられた。本で深めた知識はここで生きたのだ。
ウォンは口早に疑問を呈する。
「魔法……? だって魔法陣なんてどこにも……」
「速攻魔法陣。魔法の早撃ち、だ」
そう呟いたダイトは突如として落雷の地点目指し走り出した。一歩遅れてウォンも駆け出す。
「おいダイト!? 魔法よりも、今はアンジを――!」
「考えたくないけど、胸騒ぎがするんだ! 少し付き合ってくれ!!」
路地裏にはすでに野次馬が集まっていた。二人の少年はたかる民衆の合間を縫いながら、最前列へと割り込む。汚い装いゆえに嫌な顔をされたものの、そんなことを気にしている暇も無い。
最前列で目にした光景。それは奇しくも、二人の探していたものだった。現場の調査にあたる騎士たちの近くに転がるのは、黒焦げの何か。それが元は人間であるとは思えない代物。その側に転がるのは空き缶と少々の小銭。やけに見慣れた、使い古された空き缶だった。
野次馬の会話が耳に入る。
「どうやら、誰か殺されたみたいだぞ」
「うえ、人間ってあんなになるのかよ。気持ち悪ぃ」
「見た感じ子供の背丈だな。どうせろくでもないことして、気の短い魔導師の逆鱗に触れたんだろうよ」
それは悲しみでも、怒りでもない。胸に風穴が開いたような喪失感。虚無感。二人はその黒い何かがアンジであると理解すると、ただ呆然と立ち尽くしてそれを見つめた。
「皆さん、離れてください! ほら、下がって下がって!!」
騎士に男は野次馬たちを遠のける。立ち尽くす二人の少年にも声をかけた。
「君たちも帰るんだよ。ほら早く!」
二人の少年は基地に戻ると、二人の少女へ見た全てを話した。
「アンジは、死んだ」
ウォンの発言をダイトは訂正する。何となくその表現は気に入らなかった。
「違う。アンジは死んだんじゃない。殺された。アイツは何も悪い事なんてしていないのに、無惨に殺された」
アンジが何をしてなぜ殺されたのかは分からない。被害妄想であることを否定出来ないのは確かだ。それでも、そんな言葉で納得できる心など持ち合せてはいない。ダイトはもう奪われすぎた。
ライブラは気が動転して問い続ける。
「ま、待ってよ? どうしてアンジが? 何のために? アンジが狙われる理由なんて――」
ダイトはついに取り乱してしまった。
「アンジは殺されたんだ!! アイツは雷の魔法で……体を丸焦げにされて!!!」
「ちょっとダイト、落ち着け!」
ウォンは取り乱すダイトを抑える。それでもダイトの心は、もう治らないところまで壊れてしまった。
「あいつはきっと、誰かの暇つぶしで殺された!! 俺らみたいなポンド街の孤児を殺すってことは、その過程を楽しむことだけが目的だ!! あいつは、クソ野郎の気まぐれで殺されたんだ!!!」
涙を流して激情するダイトに三人は戦慄した。
「……もう分かっただろ!? 俺たちみたいな人間は、平凡で慎ましい生活すら許されない。人の目に触れれば、いつかはああやって、原形も無くなるくらいにいたぶられて殺されるんだ! 俺たちは、人間になれない……人間の形をしただけの、ただの玩具なんだよ!!」
ダイトは激情のまま、亀裂の走った硝子窓に拳を叩きつける。激しい音が立つと、手を伝う温かい血の感覚が流れた。
「俺は……家柄も屋敷も使用人も。父も母も。友人も奪われた。奪われ続けて、やっと分かった。この世界は、俺の思っているほど正常じゃない」
ダイトは俯いていた顔を上げる。そこにはりついた表情は、もうその場の三人の知らないダイト=アダマンスティアであった。
「俺だって人間だ。死にたくないし、死なせたくもない。もう何も失いたくない」
「――俺はやってのける。何を奪ってでも、この異常な世界で足掻いてみせる」
そこにダイトを否定できる者は、一人たりとも居なかった。
【玲奈の備忘録】
No.63 プロセクト=ズグセル
髭を生やした肥満体型の男。莫大な富を持つ保守派貴族の実力者である。その富を持て余した男の趣味は快楽殺人。己より無力な人間を狙い弄びながら殺害しては、それを隠匿し地位を守る。
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