62.貴族 ***

 ダイトは全てを打ち明けた。貴族からの転落。目の前で費えた両親。彼に降りかかった現実は、その場の皆から言葉を奪う。

 重く鬱憤とした空気を打ち破ったのは、ダイトを警戒していたはずのウォンだった。彼はどこか詫びるように、ゆっくりと言葉を零し始める。

 「あのさ……悪かったよ。知らなかった。その、お前が……そんな苦労してる奴なんて」

反抗的だったウォンがダイトを気にかけるその様は、アンジたち三人を驚かせた。

 ダイトは申し訳なさそうにするウォンへ、はにかんで言葉を返す。

 「大丈夫だ。気にしてない。ありがとうな」

初めて人に明かした己の胸の内。それを受け入れることの出来る、似た境遇の仲間たち。ダイトはほんの少しだけ気が楽になった。

 ウォンのただならぬ警戒がほぐれたを見計らってか、アンジはひとつ提案した。

 「ダイト。もしよかったらさ、お前もここで暮らさないか?」 

その発言に不意を突かれたような反応したのは、ダイトだけであった。ウォンも彼の仲間も、ダイトがそうあるべきと思っていたから。

 固まったままのダイトに反応を窺おうと、アンジはさらに言葉を連ねる。

 「だってさ、お前も住むとこ無いんだろ? 家がなけりゃ、お前の母さんを助ける前にお前が死んじまうよ」

ライブラたちも、ダイトの快諾を待ちわびるように付け足し始める。

 「そうそう。ちょうど寝具もひとつ余ってるし」

 「ああ。俺もそう思う」

 「……ダイト……かわいそう。ここに……いよ?」

久しく触れることの無かった人の優しさに、思わず瞳が潤う。ダイトは隠すようにその露を払い、震えた声で呟いた。

 「ありがとう……ありがとう……」




 物乞いとゴミ漁りを繰り返す日々。生きる為に泥臭くも足掻く毎日。

 こちらを不憫そうに、あるいは穢らわしそうに見下す人々の視線は、何よりも痛い。それでもダイトに残された選択肢はこれしかなかった。たとえこの生活で得られるお金が母を生かす為に必要お金に遠く及ばない額であることは分かっていても、まずは自分が生きなければ元も子も無いのだから。




 「……おい、俺の取り分だ。その……足しにして欲しい」

 ウォンがこっそりとかけてくれた言葉だったが、ダイトはやんわり断った。彼の優しさを踏みにじってしまった気がしたが、ダイトは治癒魔導師の少女の言葉を覚えている。

 「お母さんを救うんだ!!」




 ある日。ダイトは母と過ごした家から持ち出した、僅かな私物を売り払った。何度も読み返した本に、思い出の詰まった食器。貴族の頃からの私物はそこそこに高く売れたが、心が締め付けられた気がした。




 四人の仲間たちと出会ってから、早くも二ヶ月が経過した。快晴の日。今日も彼らは物乞いの為に、商店街・ピリック通りへ足を踏み入れる。慣れた口調でアンジは指揮を執った。

 「じゃあ、今日も一・二・二で分かれてやろう。そうだなぁ……前回はウォンが一人だったし、今日は俺が一人だ」

ライブラは自然にダイトの腕をとる。

 「了解ー。なら私はダイトと組もうかな」

 「じゃあ俺とエフィだな」

ウォンはエフィに並んで頭へおもむろに手を置いた。




 打ち合わせ通りに分散した彼らは、慣れた定位置へとつく。ライブラとダイトもまたいつもの道路際へ腰を下ろしたとき、彼女は彼へふと話しかけた。

 「どう? そろそろ慣れた? 私たちの生活」

 「……うーん、どうだろう」

 「あはは。慣れないのも無理ないよね。だって元貴族の子がこんなことするなんて、想像つかないもん」

ダイトは少しだけ返答に困った。黙り込んだダイトへ、ライブラはにやにやとしながらふと質問してみる。

 「ねえ。もしダイトが貴族のままだったとしてさ、そのときこの商店街へ来て、私たちが物乞いしてるとこを見たら、自分はどうしてたと思う?」

 「……そうだね」

 「へへ、正直に答えてよね」

彼女はどうやら純粋な好奇心で尋ねてきているようだった。それでもダイトにとって、返答はあまりに難しい。険しい表情のまま、どうにか自分なりの答えを絞り出した。

 「……貴族っていう生き物はさ、思ったより複雑なんだ。家の品位が何より大事で、マナーやら装いには一切妥協しない。だから、僕も昔からそういうのには厳しく育てられたし、勉強もたくさんやらされた」

ダイトは少し言葉を詰まらせたが続ける。

 「貴族ってのは、俺たちみたいな身よりの無い子供は品が無いと言って忌み嫌う。そういう生き物だよきっと」

貴族としての回答はここで終わった。ここからは、あくまで彼なりの答え。

 「……で、でも、俺たちは違う。俺は親から貴族としての品位よりも、人間としての慈悲が大事だと教えられた。だから、俺は見下すそうな視線じゃない何かを与えているはず。たぶんね」

 ライブラは、その少年の真っ直ぐな目に思わず気押された。そしてそっと呟く。彼を好きになってよかったと噛みしめるように。

 「……ふふ。ダイトは、優しいんだね」




 「あ、ありがとうございます!」

 アンジは手元の缶へ小銭を入れてくれた老夫婦に感謝を述べた。しかし側には、その様子を眺めて顔を歪ませる男。男は低い声で近くの付き人らしき者へと囁く。

 「――あれが物乞いというものか。まったく穢らわしいな」

アンジはそんなことに気づはずもなく、ただ安堵の表情を浮かべた。この小さなお金が、彼の四人の家族の命を繋ぐのだから。

 男はまだアンジから目を逸らさない。

 「まったく、初めてこの商店街まで足を運んだというのに。心底不愉快なものを見てしまったよ」

男は愚痴に続いて付き人へ指図した。

 「おい、あいつを呼び出しておけ。近くに居るんだろ」

 「は、はい。ただいま」

 付き人はすぐに通信魔法具で交信を開始する。そして男は、ゆっくりと少年のもとへと歩み出した。

 アンジの視界には、男の影が少しずつ映り込み始める。束の間、互いの目が合った。

 「坊ちゃん。ごきげんよう」

振り返ったアンジは貫禄たっぷりの男に驚きつつも、なんとか応答する。

 「ど、どうも」

アンジの目の先に立ち塞がる男、それは笑顔を見せる貴族・プロセクト=ズグセル。保守派貴族の筆頭とも呼ばれる男である。

 「君、お金に困っているんだろう。一つ、お仕事をしてみないかい?」

 「……仕事……ですか? 俺に?」

 「ああそうだ。ぜひ君に頼みたい」

男の豪勢な格好。そして背後に控える、用心棒らしき人間の姿。アンジはこの男の名を知らずとも、貴族であるという事を直感的に理解した。

 (貴族からの仕事……ここで稼げれば、きっとみんなの生活も少しは楽になる。それにもしかしたら、ダイトの母さんだって……)

 「やります! やらせてください!!」

アンジは了承した。プロセクトは微笑む。

 「そうかそうか。それではまず、こちらに着いて来てくれたまえ」

アンジは男の背中を追った。




 辿り着いたのは細い裏路地。賑やかなところからは随分と離れた。

 プロセクトは突然立ち止まる。気づけばアンジのさらに後ろを着いてきていたはずの用心棒も、いつのまにか姿が見えなくなっていた。

 「あ、あの……一体どこへ?」

 「……」

プロセクトは少し黙ると、アンジの方へと振り返った。

 「さあ、始めようか」

その刹那、プロセクトは笑顔のまま懐から魔法銃を抜き、流れるように弾丸を放った。あまりにも急な出来事に、アンジは遅れて右足に焦燥感を覚える。目を向ければ、そこはおびただしい量の血で赤く染まっていた。

アンジは悲鳴を上げて倒れ込んだ。どうしてこうなったのか理解出来ない。そこ答えを探ろうと、咄嗟に男の方を見上げた。しかしそこにあるのは、答えにもならない男の醜悪な笑み。右手には、消音器の付いた宝石の装飾が眩しい拳銃が映った。

 「……さあ、遊ばせて貰うとするか。汚いガキを消して、ちょっとした運動まで出来る。昔の服を着る為に、少しばかり痩せたくてねぇ」

プロセクトは辺りの角材を拾い上げる。それを倒れ込むアンジに振りかざしてからは、一心不乱にそれを振り下ろした。

 「君のような品の無いガキが、この世で一番大嫌いなんだ。私が直々に害虫駆除するのは、けっこう珍しいんだよ」






【玲奈の備忘録】

No.62 ダイトの理解者たち

アンジは彼らのリーダー的存在。恵まれた骨太の体型と坊主頭が良く似合う。すぐに人へ気を許せる明るい性格。その一方でウォンは他人への警戒心が強い。褐色の肌と黒髪が特徴。ライブラは栗毛の短髪が可愛らしい少女。好奇心旺盛ながらも、母性の溢れる優しい性格。エフィは人見知りな最年少の女の子。紫がかった長い黒髪が、彼女の素顔を目元まで隠している。

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