61.繋がるはずのなかった絆 ***

 「どうか俺を……雇ってください!」

 その少年はあるはずもない雇い先を求め、ひたすらに商店街を駆け回った。立ち並ぶ店に押し入っては、まるで呪文のようにその言葉を唱え続ける。それでも、彼の聞きたい返事が返されることはなかった。彼はまだ一〇歳。働ける年齢ではないのだから。

 「……冗談だろ? 誰がガキを好んで雇うってんだよ」

 「ごめんね。さすがに子供を雇うわけには……」

笑われたり、謝られたり。冷たい返事ばかりが、彼の頭に焼き付いてゆく。

 朝から晩まで、延々と商店街を彷徨う日々だった。仕事を求めて、何日が経っただろうか。




 そして限りある時間は、着々とダイトを追い詰める。朝になってダイトの元を現れた家主の男は、不憫そうに呟いた。

 「心苦しいが……君は孤児院に行きなさい。君はまだ子供だ。ほら、一人で苦労する必要は無いだろう?」

ダイトは住処を失った。渡されたのは、郊外に佇む孤児院への地図。使命を宿した彼にとっては、ただの紙切れに過ぎない。




 仕事を探し始めて一週間が経過した。満足な食事も取れず、体は着々とやつれてゆく。髪には虱が付き纏い、服は随分と汚れが目立つようになった。それでもダイトは足を止めない。彼を縛った使命が、そうさせてはくれない。

 いつもの如く目についた店へ入ろうとしたとき、突然彼へ見知らぬ声が掛けられた。

 「――おまえ、ポンド街の奴か? にしては見かけない顔だなぁ」

 幼い声の方に向き直ると、そこあったのはボロボロの服を着た少年少女たち。声を掛けた坊主頭の少年だけがダイトへ近づくが、他は皆は店の前の壁に背をつけたまま、窮屈そうにひっそりと立ち尽くした。

 人に話しかけられるのは久しぶりだったもので、ダイトは焦った様子で声を返す。

 「……だ、誰?」

少年はダイトと対照的に、一片の警戒心も見せずに応えた。

 「俺はアンジ。それで後ろのあの黒髪の男がウォン。その横のちっこい女の子のがエフィで、もひとつ横の栗髪の女の子がライブラだ」

見知らぬ少年へあっさりと身の上を明かしてしまうアンジに、ウォンは思わず噛みついた。

 「アンジ! 知らねぇ奴に馴れ馴れしくすんじゃねえ。俺たちまで勝手に紹介しやがって」

ウォンの大声にエフィは怯えた。ライブラはそんな彼女に寄り添いながら口を開く。

 「まあまあ。別にいいじゃないウォンくん。だってあの身なり、どう見ても私たちと同じ部類だよ?」

ウォンはなだめられ次の言葉を濁した。エフィは差し伸べられたライブラの腰に抱きつく。

 ライブラの言葉から、ふとダイトは自分の身なりを確認してみる。何日も休まずに街を歩き回っていたのだから、気づけば服も靴もボロボロだった。それは貴族の彼からすれば、恥ずべき装いだろう。ダイトはまた、あの日の当たり前を失い続けている喪失感に駆られた。

 そんなことを気づくはずも無く、アンジはまた声をかける。

 「お前、名前は?」

 「……ダ、ダイトだ」

 「一人で何してんだ?」

 「何って、仕事を探してんだよ。俺には……か、金が必要なんだ」

それを聞くと、ウォンは腹を抱え清々しいほどに笑い出す。

 「おいおい、その年齢と服装で働けるなら、俺らも苦労しないっての!」

ダイトはそれに苛立ったが、ここは冷静に相手方の事情も伺ってみることにした。

 「お、お前らこそこんなとこで何してるんだよ?」

 「何って、俺たちがここに出てきてやる事なんて一つだ」

ライブラは歩を進めてアンジに並ぶ。

 「私たちはね、ここで物乞いしてるの。生きる為に」

彼女は大事そうに抱えた空き缶の中をダイトへ見せつけた。中で輝くのは数枚の貨幣。

 ダイトにとっては、その缶を抱えて笑顔を咲かせるライブラがあまりに衝撃的だった。その数枚の貨幣では、一つのパンすら買うことができないのだから。

 アンジはダイトの肩へ馴れ馴れしく腕を回す。

 「今から全員でバラけてやるとこなんだ。お前も手伝えよ!」

ダイトは咄嗟に返答した。

 「おい、俺は別に貧困集落の人間なんかじゃ――」

それが言ってはいけない言葉だと思い、途中で必死に飲み込む。貧しく生きる者を貶めることの愚かさはここ一年で身をもって学んだのだ。

 ライブラはダイトの言葉に機嫌を損ねることなく、乗り気に呟く。

 「いいじゃんいいじゃん。だって君もお金困ってるんでしょ? 集めたお金はしっかり分配するから、一緒にやろ。文句ないでしょ?」

ウォンはようやく壁際から駆け出した。アンジの肩を揺らして声を荒げる。

 「待てよ! こ、こんな奴信頼できんのかよ!?」

アンジの笑顔は変わらない。ダイトは、半ば強引に協力することとなった。




 ダイトは少しばかり歩くと、同行するアンジの横へ腰掛けた。他の仲間たちも依然として視界の中におり、彼らもただでじっと座るだけに見える。恐らくは、別口で物乞いをして収穫を増やそうという魂胆だろう。

 「……こんなことで、お金なんて貰えるわけない」

ダイトには彼らの行いが疑わしい。しかしそんな少年の疑問は、目の前の現実がすぐに解決してくれた。

 「……少しだけど、使っておくれ」

着飾った裕福そうな老人は、二人の目の前の空き缶へ小銭を落とす。

 「ありがとうございます」

 「あ……りがとうございます」

ダイトは咄嗟にアンジの弱々しい感謝を真似するようにして述べた。しかし内心では穏やかでない。ただ貧しいというだけで、今目の前で救いの手が差し伸べられたのだ。人間の優しさに触れたのは、幾分か久しい。

 アンジは老人が通り過ぎたのを確認して、満足気に微笑んだ。

 「ほら、な。この世も捨てたもんじゃーないだろ」




 物乞いは昼下がりまで続いた。座ってばかりで腰が悲鳴を上げ始めた頃、ようやくアンジが立ち上がる。

 「今日はここまでだ。さ、基地に戻るぞ!」

 「……基地?」

 「ああ。俺たちの家だ」

 アンジがそれだけの説明で歩き始めるので、とにかく着いて行くしかなかった。仲間の三人と合流すれば、五人は同じ方向へと歩を進める。

 次第にあたりの景色は一変した。先程までの華やかな商店街とは打って変わり、そこは廃れた建物や整備の杜撰な土の道が目立つ。貴族の元で育ったダイトには、名の通りの別世界だった。




 またしばらく歩けば、先頭を往くアンジが立ち止まる。

 「さ、ここが俺らの基地さ!」

ライブラも随分と友好的だった。

 「我が家へようこそー、ダイト君」

一方で、ウォンは相変わらずの不審感を零し続ける。

 「……正気かよ。こんな得体の知れない人間を基地に入れるなんて」

アンジは彼に聞く耳を持たなかった。腕を組むと、得意げに話し出す。

 「エフィ、ライブラ! 夜飯の準備だ! ウォンと俺は、とりあえずゴミ捨て場を漁ってくっから。ダメ元だけど」

二人の少女は微笑んで了承した。

 「了解~」

 「……りょう……かい」

乗り気でないのが自分だけだと知ったウォンは、もう諦めることにした。

 「ったく、分かったよ。こいつのせいで何か起こっても知らねえからな!」

 三人はアンジの指示に応えると、それぞれ行動を開始する。ダイトはライブラとエフィに連れられ、基地なるものへ足を踏み入れた。




 そこは基地とは名ばかり、外見は周囲の建物と変わらないただの廃屋だった。それでも中に入ってみれば、そこには意外と物が充実している。ベッドらしき布の塊に、炊事場のような石造りの一角。そこには確かに、生活の跡がある。一向に大人が現れないあたりからも、彼らの境遇が見て取れた。

 「ま、ここに座ってゆっくりしててよ」

 ダイトはライブラに言われるがまま、ひとり年季の入った椅子へ腰掛ける。家の中というのは久しぶりだった。どこか暖かく感じる。

 随分と丁寧に整備されている暖炉は、彼らが冬をもこの場所で乗り切っているという証だろう。そんな近くで休んでいれば、睡魔はダイトを襲った。そのまま彼は、どっぷりと眠りに落ちる。溜まっていた疲れが噴き出した。




 目が覚ませば、そこにはもう四人の姿が揃っていた。埃やカビの匂いへ重ね塗りしたような、どこか食欲をそそられる匂いが立ちこめる。

 「ダイト、飯だ! 食うぞ!」

アンジの元気な声に連れられると、ダイトは四人が集まるテーブルへと歩み寄った。

 軋む椅子に腰掛けると、目の前には湯気を立てるスープが並べられる。ゴミ捨て場へ採取に向かった彼らの作った料理など、きっと悍ましい衛生状態なのだろうが、ダイトはただ腹を満たしたかった。

 必死になってそれを口へ流し込んだ。食べられたものではないほど生臭く淡泊な味。母の作るスープのほうが、何倍も何百倍も美味しい。それでもその温かいスープは、凍えた少年を芯から温めた。

 ダイトにとって、それは紛れもないご馳走だった。そして次第に、一瞬でも彼らを軽蔑した己を悔いる。

 気づかぬうちに心を開いていた。少年は意図せずとも、彼らをもっと知りたくなる。

 「あのさ、君たちは、孤児……なの?」

四人はちらちらと顔を合わせると、うっすら微笑んで頷いた。

 ウォンは気前よく身の上を明かし出す。

 「ああ、そうだ。俺とライブラは、物心ついた頃からこのポンド街で生きてる。親がどこの誰かも、生きてるのかも知らねえ。エフィとウォンはこの街で家族と暮らしてたけど、両親が死んでから行き場を無くしてここに居る感じ、だったよな」

覚悟はしていたが、暗い過去に足を踏み入れてしまった。しかし四人が笑みを浮かべているあたり、どうやら彼らはそれを苦と思っていない様子だ。

 ライブラは質問を返す。

 「ダイト君、次は君のことを聞いていい?」

聞き返されることは予想していた。そのつもりで聞いたのだ。ダイトは躊躇わず口を開く。

 「俺は……元々貴族の子だった」

ダイトは溢れんばかりに積み上がった心の苦しみを、四人へ真っ直ぐ打ち明けた。






【玲奈の備忘録】

No.61 ポンド街

ギノバスの誇る繁華街・ピリック通りの外れに位置する貧困集落。建物や路地の整備が杜撰なまま放置され、その結果廃墟が立ち並ぶ薄暗い街と化した。騎士も不用意に立ち入ることはせず、目を瞑る状況が続いている。

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