58.選択 ***

 オリハの衰退は明らかだった。いつもと変わらぬ風邪と言いながら、また自室へと引き籠もる。心労というものは恐ろしく、ダイトが彼女に会うことの出来る日は随分と減った。

 そんな実状でも、貴族としての重荷は途絶えずに残り続ける。家長のコールが亡くなれば、オリハにはアダマンスティア家の大きな権力がのしかかった。

 「――実務の方は、筆頭使用人であるゴートが代理人となって仕事にあたります。ご安心下さいませ」

 毎度の看病を請け負う女性の使用人は、オリハへと告げる。

 「……ええ。ゴートには感謝しきれないわね」




 リベリア宮殿にて。ある一室で執り行われる定期議会は、酷く不穏な空気から始まった。

 「……アダマンスティア家の全権はコール氏の妻・オリハ氏に相続されたと聞いていたのだが。どうしてこの高貴な場に、使用人の老いぼれが居るのだ?」

 保守派貴族・プロセクト=ズグセルは、下劣な笑みを含んでゴートを見下ろした。男は議員の中でも頭一つ抜けた富を持つ大貴族であり、どっぷりと太った体と均整な髭がそれを如実に表している。

 ゴートは立ち上がると一礼してその悪意に応じた。後ろで結ぶ色褪せた髪を揺れし、凜として名乗る。

 「わたくし、アダマンスティア家の代理人として参りましたゴート=ゾルディアと申します。家長・オリハは病弱ゆえ、どうかご容赦くださいませ」

 「……まったく、気分が悪い。ここは本来なら平民が立ち入れぬ議会であるというのに。アダマンスティア家の品位を疑わざるを得ないね」

 「……申し訳ございません。ご理解ください」




 日が沈み出す頃、ようやく定期議会は終わりを迎えた。リベリア宮殿の正面口から歩み出したゴートは、すぐにそこで数名の使用人と合流する。

 「皆さん、苦労をかけますね」

 「問題ありません。当然の備えです」

集った使用人は、皆が魔法に覚えのある者たち。革新派貴族を導いたコールの後釜である以上、また命を狙われる可能性さえあるだから、万端の措置が敷かれた。

 「……少し入念すぎたやもしれん。すまないね。わざわざ君たちの仕事を増やしてしまって」

手荷物を抱えて歩くゴートはふと呟いた。そばを歩く若い使用人は応じる。

 「保守派貴族の連中は黒い噂が絶えません。まだ何を仕掛けてくるか分かりませんから、備えすぎるに越したことはないですよ」

 目前で待機する魔力駆動車までの僅かな距離。ゴートはふと雇い主たちを気に掛けた。

 「……奥様と坊ちゃんの様子はどうだろうか?」

 「奥様は無事快方に向かわれています。坊ちゃんも真面目に勉学へ励んでいますよ」

 「そうか。強い親子だ。敵わんよ」

 魔力駆動車に手が届くまでもう僅かな距離。その時、前方を歩く使用人が異変に勘づく。その女性はすぐさま懐から魔法銃を取り出し、迷わず正面の車両へ向けた。ゴートの側方を固める使用人らも寸分遅れて警戒を開始する。

 ギルド魔導師としての経歴を持つその女使用人の勘は鋭かった。彼女は引き金に指を掛けたまま、姿の見えぬ誰かに問いかける。

 「何者だ」

 応答は無い。しかしその何かは、車両の裏からぬるりと姿を現した。

 黒のコート。顔を覆った黒い布。そして異様な魔力の気配。それは只者では無い佇まい。女使用人は嫌な汗を感じた。

 「その車に何の用だ」

 女使用人の詰問はまたも無視される。

 それでも男は、また行動で何かを意図した。ふとコートのポケットから取り出されたのは一枚の手紙。その紙を足元へ放り出すと、風にのって使用人らの足元までひらりと滑った。

 それが何かは分からずとも、使用人らは危険を察知し即座に後退する。ゴートもまた彼らによってその不審物から遠ざけられた。

 それこそ男の狙いだった。銃口から外れた男は、まるで空を飛ぶように風に乗って空へと消えゆく。あまりに華麗な視線誘導だった。

 残された手紙に不審な様子は無い。女使用人は銃を下ろした。ゴートはその一瞬の出来事に圧巻された様子のまま呟く。

 「な、何だ? 今のは魔法なのか?」

女使用人は冷静に応じた。

 「……速攻魔法陣という技術です。ほんの一瞬だけ魔法陣を展開し、限りなく零に近い速度で魔法を発動させた。恐らくは風魔法」




 大胆にも再び巻き起こされた騒動がダイトへ伝えられるも無いまま、いつも通りの夜が訪れた。窓から差し込むのは温かい月明かりに照らされながら、自室のダイトは布団にくるまる。ひたすらに目を瞑って眠りへ落ちることはせずに、ただ呆然と月を見つめた。幼いながらに、そうやって物思いに耽りたい気分だった。

 父がもうこの世には居ないという事実。多忙な父でも、それの居ない生活というものは慣れない。いつかは慣れてしまうのであろう己が怖い。

 昼から父と言葉を交わすことが少なかった。すなわち夜とは、大好きな父と言葉を交わす限られた時間。だからこそ夜になれば、一層思いは強くなる。




 「――ダイト、外に出よう。たまにはいいだろ?」

 今でも鮮明に覚えていた。満月の夜、ダイトはコールに連れられ庭を散歩した。近況の話題が尽き始めた頃、コールは突然語ったのだ。今思い返せば、父はそのときに何かを迫られていたのかもしれない。

 「ダイト、父さんはな、戦おうと思うんだ」

 「戦うって、誰とですか……?」

 「たくさんの人と、かな。誰かがやらなくちゃならないんだ」

ダイトは流れ込む抽象的な言葉に返答が見つからず黙り込んだ。父は早合点を恥じるように、分かりやすい表現を探した。

 「少し気が早かったな。とにかく父さんは、今ダイトに大切な事を教えておきたい」

 「大切な事……?」

 「人間には、必ず選択が訪れる。小さなことでも、大きいことでも」

父の言葉は続く。

 「……そうだなあ、母さんのお手伝いをするとき。頼まれたのは紅茶だけだけど、おまけにお菓子を持って行ったら喜ぶか。それとも、お菓子は余計だろうか。そんなの、やってみなくちゃ分からないだろう?」

 ダイトは小さく頷く。コールは一呼吸置くとさらに続けた。

 「何かに迷ったとき、信じるのは自分だ。本当に正しいと思った方を、正直に選べ。他人に流されたり、どちらも選ばずに立ち止まることがあってはならない。それが正しくても誤りでも、失敗でも成功でも、必ずそれは糧になる」

 「誤ることを恐れちゃいけない。誤ることなんて誰にでもある。もちろん、父さんにも。それは仕方無いことなんだ。その答えが正しいかどうか分かるのは未来なんだから。未来なんて、誰にも分かりっこない」

 「もし過去の自分の選択が誤っていたなら、その後取り戻せばいい。後になって償えば、それでいい」

そしてコールはありきたりなことを柄にも無く語ってしまったと思い、それとなく笑って呟いた。

 「ごめんなダイト。少し難しい話をしてしまったよ。もう遅い、屋敷へ戻ろうか」

ダイトはただ呆然とそれらを耳にしていた。しかし何故かそれが、妙に印象深かった。






【玲奈の備忘録】

No.58 革新派貴族

貴族のみが合議体にて議席を手にすることが出来る現状を憂い、平民の合議体参加を認めるべく行動を起こす貴族らの呼称。自らの議席の保持へ躍起になる保守派貴族と対立している。

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