57.偉大な両親へ ***
ダイトは屋敷の一室の扉の前に立った。取っ手を握り勢いよく扉を開ければ、そこにはベッドで横になったまま夕日を見つめる母・オリハの横顔が映る。看病をする使用人に続いて、オリハはこちらへと振り返った。どこか物憂げが顔が笑顔に変わると、細い腕で少年に手を振る。
「ダイト、来てくれたのね。今日はもうお勉強終わったかしら」
「う、うん。お母様、もう大丈夫なの……?」
「ええ。ただの風邪だから、もう少し横になっていればすぐに治るわ。いつもごめんなさいね。心配ばかりかけちゃって」
使用人はダイトに近づくと、背中に両手を置いた。
「坊ちゃん、風邪がうつってはなりません。奥様、申し訳ありませんが――」
オリハはその使用人に頷くと、手短にダイトへ告げる。
「……ごめんねダイト。すぐ元気になるから、もう少し待っていて」
「……うん。それじゃあ、またね」
自室に戻るべく、一人寂しき廊下を往く。ふと光の灯った部屋が目に入った。それは父・コールの部屋。父のものとは違う、聞き慣れぬ奥から声も聞こえた。どうやら客人が居るらしい。
「――アダマンスティア殿。我ら革新派貴族の照準は、ようやく一つに纏まりつつあります。今こそ声を上げましょう。全ては大陸の平等の為です」
「――時は満ちたのです。保守派貴族とは長い闘いになるでしょうが、共に打ち破ろうではありませんか。互いに一滴の血も流すこと無く、この大陸を貴族政から合議制へ導きましょう」
「――貴族制の撤廃。合議の場に立つべきは、富と名誉を持つ貴族ではない。たとえ貧しくとも、能力を持つ民だ。平等と平和を重んじる、誠実な人間が国政には必要なのです」
父と似通った貴族の装いをした男たちは、口々に決心を述べる。英才教育を受ける六歳の少年には、彼らの語っていたことが概ね理解できた。
王都・ギノバスは大陸統一を果たした国として、その大陸全土の政権を一挙に握る。そして大陸の舵を握るのは、かつての国王の血筋を継ぐ王族と貴族の中から選出された議員たち。彼らによって組織された合議体が大陸を今日まで支配してきた。それと同時に、そこへ平民が参与する余地は存在しない。結果、合議体は私利私欲が渦巻く腐敗した組織へと落ちぶれた。少年もそのあたりについては学び終えた。
正義感の強く、また議員として活躍する父からも、繰り返して聞かされた話だった。それはただの一つばかりの、些細な知識の破片にすぎないはずだった。しかし少年はまだ知らない。この破片が、人生を狂わす鋭利な刃物へと豹変することを。
ある日の昼下がり。それはあまりに突然だった。珍しく勉強が早く終わったその日、ダイトは嬉しさを噛みしめながら母が焼いてくれたクッキーを頬張る。元気な母の姿は久しい。親子はひとときの憩いを楽しんだ。
「ダイト、今日はどんなことを勉強したの?」
「今日はね、魔法の勉強をしたんだ。それでね――」
わざとらしく咳払いをする老年の使用人・ゴートはちらりとダイトを見る。言葉ではなくとも、母に対して敬語を使いなさいという指導が見て取れる。
オリハはそれに気づかず、ただダイトの言葉に応答した。
「もうそんな魔法を習ってるのね。凄い子だわ」
母は嬉しそうに笑う。そしてその笑顔が、ダイトをまた笑顔にする。貴重ながらも、幸せ極まりない時間が流れた。そこに若い使用人が走り込んで来るまでは。
「奥様! 大変です、旦那様が!」
若い使用人はオリハの前で膝を突いて崩れ落ちた。彼女は切羽詰まった若い使用人の肩に触れる。
「……どうしたの? そんなに慌てて……」
「旦那様が、交通事故に――!!」
その使用人の伝言に、ゴートでさえも驚愕を露わにした。そんな中、オリハだけはすべきことを真っ直ぐに見据える。
「……それで、コールは今どこに?」
「……ギノバス王立病院へ搬送されました」
ダイトの記憶はここで途絶える。まだ幼い少年には、あまりに衝撃的な出来事だった。
「……ト……ダイト!」
「……!」
呆然としていたダイトを呼び戻したのは母・オリハの声。気づけばそこは魔力駆動車の中。
「ダイト、大丈夫。大丈夫だからね」
ギノバス王立病院へと向かう中、オリハは優しくダイトをなだめる。彼女こそ辛いはずなのに、それを決して見せようとはしない。
その車は丁度にして目的地へと到着した。ゴートは魔力駆動車を止め、落ち着いた声色でオリハへ告げる。
「さ、お二人はコール様の元へ」
「ありがとうゴート。さ、ダイト降りて」
オリハはダイトの腕を強く引っ張った。
「残念ですが……」
治癒魔導師の男は語尾を濁す。その宣告は、二人の脳裏で何度も共鳴した。幼きダイトにも理解出来る。彼らの愛した人間が、今日ここで死んだのだ。
母からの返答はない。彼女はその最悪な結末をもがいて飲み込み、治癒魔導師の男に応じた。
「そう……ですか……」
母は強き人だった。彼女は涙を流さずに、勝手に歪んでゆく顔を必死に抑え込む。
「ありがとう……ございました」
貴族が犠牲となった事故ともなれば、騎士の調査は迅速に行われた。当時コールが乗っていた魔力駆動車に細工が発見されるまで、そうはかからなかった。
ダイトの父・コール=アダマンスティアは革新派貴族を束ねる代表格。貴族制の撤廃を恐れた保守派貴族による暗殺であることは、もう誰の目にも明らかだった。
後日になり、ダイトは新聞を目にする。この一件に関する記事は大々的に取り上げられた。しかしそこに、真実は無い。議員・コール=アダマンスティアが交通事故により命を落とした。そこに『暗殺』の文字も『細工』の文字も存在しない。ただその後に連なるのは、後続の議員についての話題のみ。少年は社会の不条理というものを目の当たりにした。
オリハはダイトへと告げる。
「お父さんは、勇敢に戦ったの。誰も怖がって出来ないことを成そうとした。あなたのお父さんは、そんな偉大な人なの。あなたはそんな人の子よ。だから、あなたもきっと強く生きられる。お父さんのように」
ダイトは優しい抱擁を受ける。少年の拳は強く強く握られていた。
【玲奈の備忘録】
No.57 合議体の部門制
大陸戦争終結後、敗戦国との軋轢を解消する目的で王政は廃止され、合議制へと移行した。大陸統治の中心地であるリベリア宮殿には様々な部門の合議体が設置されている。
合議体は王族と貴族によって構成される。王族は全ての合議体において終身的な議席を保有するが、貴族は選挙により期限付きで選出される。
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