54.帰郷 ＊＊＊
王都で巻き起こった大作戦から数日。王都マフィアの掃討は、王都から大陸全体へ知れ渡ることとなった。
フェイバル宅にて。特に大きな負傷も無く作戦を終えた玲奈とフェイバルは、日常を取り戻すように居間でくつろぐ。話題は、世間よりも一足早く持ち込まれた作戦報告について。
突如として鳴り響いた轟音は、石の塀が倒壊した音であったということ。さらには、それがたったひとりの魔法剣士の手によって成されたということ。まだ魔法の神髄を知らぬ玲奈には、唖然とすることしかできない。
「……それでツィーニアさんは、無事だったんですかね？」
玲奈はツィーニアの身を案じる。フェイバルは髪を弄りながら返答した。
「ああ、生きてるっぽい。まあ相当な重症らしいけど」
「にしても、まさか弟さんと対峙していたなんて……」
「あいつが姓を隠してたのも、マフィアに血縁者が居るのを知られない為だったってわけだな。ブロニア＝エクスグニルってのは、もう随分と名の知れた幹部格だったらしいし」
フェイバルは鬱陶しさに耐えかね、おもむろに頭の包帯を外し始める。
「にしても玲奈、お前も逞しくなったもんだな」
突然の褒め言葉だった。玲奈は呆然とするのも束の間、間の抜けた微笑みでそれに応じる。
「そ、そうですかねぇ！？」
「三回目の戦闘現場にしては肝据わってる方だぜ」
「え、えへへ」
調子に乗ったのを見透かされたのか、フェイバルは余計な一言を付け足した。
「んまぁ、刃天のとこの弟子が居たおかげか」
「ちょ、私だって活躍したんですからね！？」
「はいはい。よう頑張りましたよ」
激戦の末重傷を負ったツィーニアは、作戦直後にギノバス王立病院へと搬送された。出血が激しく危険な状態だったが、瀕死の中でも継続した治癒魔法が命を繋いだらしい。
先日になって目を覚ましたツィーニアは、ただ呆然と病室の天井を見つめる。窓の外からは太陽が激しく照りつけた。外は蒸し暑いが、空調魔法具によって室内は快適に保たれているため心地よい。
窓の側には、立て掛けられた二本の愛剣。窓の縁に置かれた短剣は、投擲したもの。握り続けた愛剣たちを見てか、ふと左手に力が入る。束の間そこから漂うのは、刃を介しても色褪せぬ、人の肉を断つときの感覚だった。
今まで幾度となく人間の頸を断ち切ってきた。悍ましくも、慣れたものだと思っていた。しかし今回だけは、異様にその感覚が鮮明に残っている。
体を起こそうとしてみたが、左肩の傷が痛んだ。大剣によって突かれた傷は深いらしい。その一方、毒針を受けた右腕のほうは徐々に回復しつつあるようで、触覚も確かにある。治癒魔導師の解毒が効いたようだった。
そのとき、病室の扉がゆっくりと開かれる。
「ツィーニア君、体はどうかねー？」
現れた男はトファイル＝プラズマン。ギルド・ギノバスのマスターである。
「順調です。数日もすれば復帰できます」
「いーや。そんなに急ぎなさんな。だって君には、他にやるべきことがあるだろうよ」
「……やるべきこと？ そんなもの、別に何も―」
「ツィーニア君。君は一度、故郷に戻りたまえ。魔導師の仕事は、それからだ」
食い気味に口を開いたトファイルは、開いたままの扉のほうへ合図を送った。また男がひとり、病室へと足を踏み入れる。男の名はムゾウ＝ライジュ。ツィーニアの弟子である彼は、ある大剣を抱えて現れた。
見間違えるはずもない。ツィーニアは、それがブロニアのものであると理解した。トファイルは事の経緯を語る。
「標的の遺留品だ。本当なら一度は国が預かるんだけど、頼み込んで取り返してきた。君が欲しがると思ってね」
「……ありがとう、ございます」
ツィーニアの声は震える。頬を滴が伝った。
トファイルはそっと視線を窓の外に移し、快晴の空を見る。
「とにかく、まずは完治することだ。しばらくは騎士も今回の事後処理に追われるだろうし、当分は大きなが国選依頼が舞い込むことも無いはずだよ」
男はただ窓の奥を見つめた。かすかに見えるギルド・ギノバスの屋根を捉え、ただ往年に
「……まったく、人間らしくなったもんだねぇ」
時は流れた。ここのところ快晴の日は続く。治療も快方に向きつつあるツィーニアは、一六年前に意を決し別れを告げた故郷・シラブレ村へと降り立った。村の人々は、今でも連れ去られたブロニアと失踪したツィーニアが帰ることを待っているのだろうか。一六年も経ってしまえば、忘れられているだろうか。
ふと考え込めば、それ以前の話だった。ツィーニアは実の弟を殺めた。それは決して揺るがぬ事実であり、背負うには重すぎる罪だろう。
村の人に顔を向けるには、あまりに後ろめたい。だから彼女は、村の裏側からひっそりと足を踏み入れることにした。幸い彼女の過ごした家は、村かの離れに位置している。
いつもの愛剣ではなく、古びた弟の剣を携えた。ローブを羽織ると、ひたすらに茂みを掻き分ける。
「……酷いものね。時が流れるというのは」
瞳に映る自宅の壁は、一六年の年月で相当に傷んでいた。窓も割れ、一部の木材も腐っている。当然だが、あの日以降誰も手を付けてはいないようだ。
家の正面に回り込んでみる。言うまでも無く、道場から
古びた扉を開こうとしたが、扉はすでに腐り落ちていた。それでも中の様子は褪せず、あの日の爪痕が色濃く残る。床板に染みついた血液は黒ずみ、銃痕で抉られた穴からは緑が生きる。倒れた家具には蔦が腕を伸ばしていた。
家族で囲んだ懐かしきテーブルへ、ツィーニアは大剣を横たえる。家の周りに自生した花を摘むと、それらを傷んだ大剣にそっと重ねた。
二つの家族に囲まれた彼が、ここに眠るべきかは分からない。それでもブロニアと人生を共にした大剣は、どこか嬉しそうに見えた。
「おかえり、ブロニア」
ツィーニアは呟いた。あまり人には見せない笑顔は、愛する弟の為。
しばしの時を過ごすと、金具が壊れて開いたままの扉から家の外へ出た。するとそこには、遠くに一つの人影が映る。
油断していたツィーニアは急いでローブを被り直したが、それでも一瞬だけ目が合ってしまった。かなり老けたが、そこに佇んでいたのは紛れもない、あの日ツィーニアの肩を揺らした中年の女性の姿。
女性は温和な表情でじっとこちらを窺う。彼女もまた分かっていた。ローブからはみでた美しい金髪は、今を生きるツィーニアのものだと。
ツィーニアはじっと俯く。そのまま顔を合わせずに立ち去ろうとした彼女に、優しい声が飛び込んだ。
「おかえりなさい。大きくなったわね」
思わず足を止めると、ツィーニアは女性の方へ振り向いた。深くかぶったフードを脱ぐと、あえて何も語らず、笑顔だけを返す。
（ただいま。でも、まだ帰れません。私にはやるべきことがあるから）
束の間、ツィーニアは家の裏へ駆けた。彼女はその女性の視界からあっと言う間に消え去る。
「……また、いつでも戻ってきてね」
目的を終えたツィーニアは魔力駆動車に揺られていた。普段はこれといった雑談が起こらないのに、運転手のムゾウはふとツィーニアへ話しかける。
「……師匠、なんだか、嬉しそうですね」
「……別に」
「本当ですか？ まあ、詮索はいたしませんが」
ツィーニアは妙に核心を突いてくるムゾウを突っぱねる。
「どうでもいいの。それよりムゾウ、明後日から早速仕事に出るわよ」
「え！？ 師匠まだ退院して二日ですよ？ 大丈夫なんです……？」
「大丈夫。ただの肩慣らしにするから」
その得意気な返答には、少しだけ笑みが含まれていた。ムゾウには、その明るい声がどこか新鮮に聞こえる。
そしてツィーニアは柄にも無く、決意表明のように呟いた。
「なんたって私は、国選魔道師・
【玲奈のメモ帳】
No.54 ツィーニア＝エクスグニル2
幼き日に弟と生き別れた過去を持つ。弟が家を去る際に呟いた"願い"を叶えるべく魔導師となった。その"願い"が弟を自らの手で殺めることと同義でも、彼女に後悔は無い。それが弟の望んだことなのだから。
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