Just-Ice ～明星の注ぐ理想郷にて～

53.願いと誓い ＊＊＊

　少女ツィーニア＝エクスグニルは、全てを奪われた。冷たくなって転がる両親をそばに、己の身代わりとして連れ去られた弟の後ろ姿だけが脳内を延々と巡り続ける。

　「――ツィーニアちゃん！　な……何があったの……！？」

　どこからか耳に飛び込んだ、かすかに聞き覚えのある声。少女は揺らされ我を取り戻そうとも、その瞳はもう一片の輝きすら見られない。

　「……もう、探さないで」

　少女は血濡れた大剣を抱え駆け出した。滂沱（ぼうだ）よりも、復讐を。純白だった少女に、黒い怨嗟が差し込む。

　暗闇の中、ツィーニアは村を飛び出した。どこへ向かうのか、たったひとりでどう生きていこうというのか。そんな現実は少女の瞳に映らない。身の丈に合わぬ大剣だけを両手で抱え、まだ淡い目的のもとへ。

　されども現実は悲痛だった。村の外に蔓延る魔獣は夜を好む。夜中に一人彷徨う少女など格好の獲物に過ぎない。

　間もないうち、ツィーニアは獰猛な魔獣に取り囲まれた。自信より何倍も大きな巨躯。暗黒の中で淡く輝く不気味な眼光。人間が死を畏れるには、充分な光景だろう。

　少女はただ呆然とその魔獣を目にする。昨日までの気弱な彼女なら、ここで尻餅をついていただろうか。

　「……もう、何も怖くないの」

魔獣の大群は、華奢な少女へ一斉に飛びかかった。理性無き生き物に、容赦などありはしない。

　ツィーニアの鼓動は加速度的に高まる。それでも体が強ばることは無い。気づけばただ、大剣を力強く構えていた。自然と宣誓が零れ出す。

　「私は……私は死なない！！　約束を果たすまで――！！！」

　高ぶる精神は、幼き彼女の魔法を大きく昇華させた。上段に構えた魔法大剣・ヘルボルグへ強い光が宿る。練習用の木刀とはまるで違うずっしりと重たい真剣でも、無意識のうちに行使した強化魔法が筋力を補填した。そして少女は、ただそれを力一杯に振り放つ。

　彼女の中で眠る魔力が覚醒する。可憐な少女とて、秘めたその才は魔獣を凌駕した。繰り出された一撃は、巨躯を持つ魔獣たちの肉を容易く両断してゆく。

　初めて剣で生き物を殺めた記憶。血に濡れて肉片を浴びる感覚。そしてその生温かい感触が思い出させたのは、愛する弟への誓い。ツィーニア＝エクスグニルの歩む軌跡は、その誓いが原動力だった。

　忘れたことはない。あの時、ブロニアは確かに告げたのだ。

　「いつか……俺を……止めてくれ……」

　窮地に立たされたツィーニアは、もう一度剣を握り直した。

　「私は……死ねない……あんたを止めるまで……！！」

　幼きブロニアが最後に残した願い。ツィーニアをここまで突き動かした原動力が、死に瀕した彼女を再び立ち上がらせた。

　いまだ聞き慣れない、男の低い声が耳へと差し込む。

　「……終わりにしよう」

ブロニアは再びツィーニアとの距離を詰め始めた。真っ直ぐと塀の方へ。手負いの姉へ、終止符を打つべく。

　「魔剣技・土裁き……！」

　ツィーニアは僅かな力を絞り、決死の一撃を繰り出す。ブロニアへ向かって放たれた魔法刃は、地面を抉り土埃を巻き上げ進行した。

　土煙はブロニアの視界を奪う。それでも彼の選択は、突撃だった。ツィーニアが瀕死の状況にある今、男の優位揺るぎないのだから。

　ブロニアは吹き荒れる砂埃を気にも留めず、彼女の佇む塀の側へ足を踏み入れる。歯を食いしばると、まだ大剣を振り上げた。

　ツィーニアの気配を感じ取れば、そこに向かって一気に大剣を突き刺す。肉を貫いた確かな感覚。確かに人間を捉えた。

　とどめを刺した、はずだった。それでもなおツィーニアは、掠れた声を発し続ける。

　「……負けない。私はあんたの……姉貴、だから」

　土埃がようやくおさまったとき、ブロニアの眼前に広がったのは、肩に大剣が突き刺さった実姉の姿。急所を外したことへの後悔も束の間、彼を思わぬ事態が襲った。

　ブロニアが空を見上げたとき、そこに映ったのは空に浮かぶ裂けた雲。そして次の刹那には、上部から倒壊を始める石の塀。ツィーニアの背後の塀は斜めに切断され、そこから滑り落ちるように二人もとへ降り注ぐ。

　ブロニアにはそれが自滅の一撃に見えた。しかしその想像はすぐに払拭される。倒壊し始めた壁は空中でキューブ状に切断され、崩落地点は二人の位置から僅か外側へと逸らされた。

　国選魔道師・刃天。それは天にも届く圧倒的な力を持つ魔法剣士の冠した異名。驚異的な射程は、その異名たる所以。それは一見人間の成せる技に見えないが、確かにツィーニアの剣の成した技だった。

　そしてツィーニアは優しく呟く。　

　「……さようなら」

ツィーニアは魔法陣を展開すると、それで眼前の男を強く押し飛ばした。男が不意の一撃で後方へ吹き飛んだ束の間、そこには石塊の雨が降り注ぐ。

　同刻、大きな衝撃音が王都中に響き渡った。貴族街で行われた作戦どころか都外で巻き起こった戦闘すら知らぬ人々は、その出来事に騒ぎ出す。

　「な、何事だ！？」

　「お、おい見てみろ！　あそこの塀が無くなってるぞ！？　崩れたのか？？」

　フェイバルはマフィア屋敷があったはずの瓦礫地帯で、仰向けのまま空を見上げた。彼の目にも、切り裂かれた雲と断ち切られた塀が映る。

　「天を穿つ刃……刃天ねぇ」

　倒壊した石塊は、落下の衝撃でさらに細かく砕け散り瓦礫と化す。石塊の直撃を受けたブロニアは、為す術無く瓦礫に埋め尽くされた。咄嗟に防御魔法陣で石の威力を幾分か殺したものの、無数の石塊は全てを防ぐことは叶わない。男は瓦礫に体を押し潰され、力なく横たわった。

　ツィーニアは肩に刺さった大剣を抜き取ると、吹き出す血を抑え込みながらブロニアへ近づく。男は首から上だけを瓦礫の外に出し、ただ視線を下に落としたまま黙り込んだ。男を多量の血が濡らしていることは、それが致命傷であることを語る。

　そのとき冷たく閉ざされていたはずのツィーニアの瞳から、一六年ぶりの涙が頬を伝った。残された任務は、実の弟を殺めること。あの日は自身を守ってくれた弟を、今日自分の手で殺めなければならない。それでもこれが彼女の決意であり、一六年前のブロニアとの願いであった。最期くらい、笑顔で。ツィーニアは涙を流しながら、一六年ぶりに微笑む。

　「ブロニア……守ってくれて……ありがとう……」

ブロニアは微笑み、掠れた声で応答した。

　「……止めてくれて……ありがとう」

　「……俺の……姉貴」

　ツィーニアはその大剣で、ブロニアの首を安らかに刈り取った。

　フォッジは裂けた空を見て呟く。まだ昼下がりだが、そこに安らぎは見いだせない。男には、ブロニアの敗北が見えていたのだから。

　「……ったく、マシな死に方したもんじゃねーの。他のガキどもに恨まれちまうぜ？」

最後の一本になった葉巻を取り出せば、そこへ躊躇わず火を付ける。

　「ガキどもよ、また地獄で酒でも一杯やろうじゃねえか。そんときは、今日の戦争の話聞かせろや」

　ツィーニアとブロニアの戦闘が終結したとき、騎士らは既にフォッジの残る車を包囲していた。班長の男は腕を天高く掲げる。

　「撃て――！！」

その指示を皮切りに、車へ無数の魔法弾が撃ち込まれた。車両は忽ち炎を上げ爆発する。作戦の重要目標・フォッジ＝ガルドシリアンはついに討たれた。

【玲奈のメモ帳】

No.53　ブロニア＝エクスグニル

金髪を後ろに流した髪型は、フォッジを倣ったもの。二六歳。長身を武器に、軽々と大剣を扱う。強化魔法を主体に戦いつつ暗器も活用する。ツィーニアの実の弟であり、彼女の身代わりとして王都マフィアへ加入した。