6.お人好し騎士

 魔力駆動車は賑やかな大通りをただ真っ直ぐに走り抜いていく。通りの入り口に掛けられた小さな看板には、エルウェ通りの文字。

 外の景色に興味津々な玲奈は、ただただ車の外に広がる世界観へ吸い込まれた。この新しい世界でようやく一晩を越したが、高層ビルも高架も無い町並みにはさすがにまだ慣れない。

 玲奈とは対照的に、フェイバルはどこか気だるげな表情を浮かべた。彼はまさに今回のようなお堅い仕事が苦手、というか嫌いなのだ。




 しばし都内を走り抜けると、賑わいのある繁華街はすぐに一変した。いつの間にかそこに立ち並ぶのは立派な屋敷群。貴族街へと差し掛かったらしい。

 玲奈はその街並みについてふと感想を口にする。

 「随分変わりましたね。道もめちゃしっかり舗装されてるし、街路樹まであっちゃって」

フェイバルはそれとなく応答した。

 「当たり前だろ。それが貴族街だ」

 「貴族って、要するにお金持ちってことですよね?」

 「……金持ちというより、家名が世に知れてるお陰で裕福に暮らしてる奴らってところだな」

 「へー。親ガチャってことね」

 「何言ってるかよく分からんが、車出たらあんま変な動きすんなよ。ここらにはちゃんと権力ある奴らも住んでる。目付けられたら、何かと面倒だ」

 「大丈夫です。フェイバルさんよりは奇行しないので。私は子供たちの集まる公園のベンチを陣取って昼間から寝たりなんてしません」

 「……いやだって、夜に寝るよりマシじゃん? ほら、あるだろ。酒が飲める年になって、もう一度公園に愛着が湧くタイミングが。あの手の居眠りより、よっぽど健全だと思わね?」

偶然にしては的を得すぎているフェイバルの発言は、玲奈に思い当たる節しか無かったが、ここはさらりと受け流そう。むしろ流れを戻すべく、彼女はふと気になったことを尋ねた。

 「権力ってのは、例えば大きな工場を取り仕切ってるとか、王様に近しい関係にあるとか、そういうことです?」

 「んまぁ、そんな感じだな。いや、違うか。まあそのへんはちょいややこしいとこだ。貴族にもいろいろ居る」

 だらだらと閑談していれば、目当ての建造物はすぐに見えてきた。華やかな建物が並ぶ景観の中に、石造りの強固な建物と高い塀。その無骨な様相はなんとも異質だった。

 「さ、着いたぜ旦那!」

 運転手の男は、威勢の良い声で到着を告げる。対照的に、フェイバルはいつも通りの声量で返答した。

 「おう、さんきゅ」

玲奈は慌てて彼に続く。やるべき業務は忘れずに。

 「ありがとうございました。それじゃ、迎えは予定通りの時間でお願いします!」

 「おうよ、任せときな」

そうして二人は魔力駆動車を後にした。




 車は走り去っていった。視界を小さくなる車から逸らすと、そこには閉ざされた重厚な門と見張りの騎士の姿が映る。その重々しさに圧倒される玲奈をさておき、フェイバルは二人の門番へ近づき始めた。彼女は遅れてそこに続く。

 「よお。俺だけども」

 フェイバルは騎士に声を掛ける。しかし彼の変に気さくな挨拶は、見事に堅苦しい言葉へと変換された。

 「恒帝殿、お待ちしておりました。僭越ながら、紋章を拝見いたします」

フェイバルは胸元から垂らした紋章を軽く持ち上げる。騎士の男はそれを着実に視認するが、そんなときフェイバルは不意に本音を零す。

 「いい加減、顔一つで通してくれないもんかね」

 「……規則ですので」

 ふとしたやり取りから、玲奈はこの男にとって紋章がどれほど小さく軽いものか理解した。高価そうだから、ちゃんと大事に扱って欲しいものだ。

 騎士の男はようやく許可を下ろす。

 「失礼しました。どうぞお入りください、恒帝こうてい殿」

 「おう。上層部に掛け合ってくれよな、顔パスのこと」

フェイバルは巨大な門を潜ろうと歩を進めた。玲奈は彼に続き、見上げるようにして門を通過する。その立派さは、思わず驚嘆する程だった。

 「ひえー。要塞みたい」

 「んまぁ一応攻め込まれにくい構造にはなってるみたいだし、あながち間違ってねーな。その感想」

 そのとき敷地内に居た一人の騎士が二人へ合流した。彼は自分が案内役を任された騎士であることを明かすと、二人の数歩先を歩き誘導を開始する。




 敷地は広くとも、所狭しと建造物が押し込まれている為か、玲奈には騎士団本部なるものがどこか窮屈に感じる。また門を潜ればすぐに外廊下へと繋がったが、そこは日陰が多く昼でも薄暗いので、彼女の感じた窮屈な印象はさらに助長された。

 無意識に緊張を和らげようとしたのだろうか、玲奈は先程の聞き慣れぬ言葉についてフェイバルへ尋ねてみた。

 「ねえフェイバルさん。さっきのコーテイって何です? エンペラーなんですか?」

 「勝手にそう呼ぶ奴がいただけだ。断じて俺が広めた訳ではない」

フェイバルは妙に念押しで否定した。自称するのはイタいという認識のようだ。厨二病が完全に抜けきらない玲奈にとっては好物なのだが。




 案内役の騎士はとある重厚な扉の前でその歩みを止める。

 「こちらが本日の会議室になります。定刻まで中でお待ちください」

 「おう、ご苦労さん」

案内役の騎士は扉へ近づくと、大きな取っ手を握る。そのままゆっくり開こうとしたとき、ある者の来訪に気が付いた彼はその手を止めた。

 「――フェイバル、お久しぶりね。にしても遅刻しないなんて珍しー。いったいどういう風の吹き回しなの?」

 その声は女性のもの。声の方へ目を向ければ、そこには細い腰まで伸びた明るい茶色の髪に、他の騎士とお揃いの黒いローブ。そしてそのローブに据えられた美しい勲章の数々は、彼女が他と一線を画した騎士であることを如実に示す。また彼女のすぐ傍に控えた付き人の騎士の存在は、彼女が相当にお偉い人物であることを窺わせるに充分だった。

 フェイバルはやや淡泊にその女性へ返答する。

 「よお、久しぶりだな」

 「ええ、久しぶり。そうそう、昨日は会えなくてごめんなさいね。ちょっと今日の準備で忙しくて……」

 「どーでもいいっての。記念日なんてのは、生きてりゃどうせ毎年訪れる」

そしてその女性騎士の視線は、ついに玲奈を捉えた。お互い見慣れぬ顔でありながら、その女性は咄嗟に玲奈へ歩み寄り、彼女の手を握ってしみじみと感謝を述べだす。

 「ああ……あなたがフェイバルの遅刻を止めし英雄ちゃんね。ほんとにありがとう……」

 「え? あ、はい。どうもどうも……」

突然の近距離戦に気押されてしまった。女性は依然として玲奈の手を離さなぬまま、フェイバルに尋ねる。

 「この子が今の秘書ちゃん?」

 「まあ、そんなとこだ」

玲奈は咄嗟に自己紹介をした。

 「あ、えっとお、レーナと申します。以後お見知りおきを……」

 「レーナちゃんね、良い名前。私はロベリア。元はフェイバルの同業者だけど、今は王国騎士団の第三師団の師団長で――」

 まさにその先が気になるというのに、ロベリアの自己紹介はそこで中断された。彼女は黙り込んで玲奈へ顔を近づけると、その瞳をまじまじと見つめる。

 同性とはいえ、さすがに恥ずかしい距離感。耐えきれず玲奈は呟く。

 「ど、どーしました……?」

 「……綺麗な瞳ね」

当然だが、瞳を褒められるというのは初めての経験だった。玲奈はロベリアへの返答に困窮する。

 それを悟ったのか、ロベリアははっとなって玲奈の手を離す。

 「あ……ごめんね。急に変なこと言って!」

 「い、いーえ。お構いなく」

 「と、とにかくフェイバルはアホだし適当だし生まれつきデリカシーが欠如してるけど、魔法の腕は確かだから、そこだけは頼って!」

突然の辛辣な言葉に、フェイバルは頭を掻きながらも一応反抗しておいた。

 「おいロベリア、お前には人の心があるのか?」

フェイバルをさりげなく無視するロベリアは、さらに玲奈へと尋ねる。

 「それで、レーナちゃんはフェイバルの秘書になって何日目なの?」

 「ええっと、一日目ですけど……」

その答えを聞いたロベリアは、少しだけ俯いて顎に手を当てる。しばし経った後、その質問の意図は明かされた。

 「ご、ごめんねレーナちゃん。国選魔道師の秘書は本来なら会議への参加が許されているのだけど、今回の会議は見送ってもらいたいな」

ロベリアは両手を合わせて申し訳なさそうに言った。特に気分を害したわけでもないが、玲奈はとりあえずそれに応答しておく。

 「は、はあ……」

 「今回扱う案件は結構シビアだから、どうしても信頼の置ける人のみで行いたいの。だ、断じてレーナちゃんを疑ってるわけじゃないのよ!」

 「な、なるほどぉ。全然大丈夫ですけど……」

レーナは少しだけ考え込んだ。この状況で己の仕事を全うするにはどうすべきか、その答えはすぐに浮かぶ。

 玲奈は握りしめていた手帳とペンをフェイバルに押し付け、彼へ念押しに言葉を伝える。

 「フェイバルさん、とりあえず日程だけメモしてきてください! 日程だけでいいんで! 忘れないでね! 寝ないでね!!」

彼女はとにかくタスクを簡略化してフェイバルへと伝えた。彼は渋々とそれに応じて道具を受け取る。

 「……分かったっての」

ロベリアがさりげなく釘を刺す。

 「フェイバル、分かってると思うけど会議の詳しい内容は伝えちゃ駄目よ。場所と時間だけ。もう一回言う。場所と時間だけ」

 「……それも分かったっての」

 案内役の騎士は会話の一段落を察すると、またゆっくりと扉を開いた。ロベリアは小さく手を掲げてその騎士に感謝を伝えながら、扉を潜り始める。

 「それじゃ、少しだけ待っててねレーナちゃん」

そうして二人は扉の向こうへ消えた。




 玲奈は一人取り残されてしまった。騎士の計らいで付近のベンチに腰掛けることはできたが、どうも余分な時間がありすぎる。

 「ロベリアさん……って言ったっけ。あの女の人。フェイバルさんの元仲間で、今は騎士か。元勤務先うちがブラックすぎて公務員に転職した先輩思い出すなぁ……」

 「そーいえばフェイバルさんみたいに薄い髭生やした、窓際族のおじさんも居たっけか……」

 今となってはどうでもいいことばかり思い出してしまう、そんな空虚な時間が流れた。それでも思えば、この世界に来てからこれほどのんびりと過ごせる時間は初めてだった。折角なので、この穏やかな時間を堪能しておこう。




 とはいえ限界は早かった。呆然と扉を見つめてから幾分が経っただろうか。一向に会議の終わる気配は現れない。多忙を極めた社会人としての性だろうか、気の持ちようでは暇など潰せなかった。

 そして玲奈は次第に眠気を催す。睡眠欲に抗ったそのとき、ふとあることが気になり始めた。

 「そういえば、今日見た夢どんなんだっけ……?」

 夢というものは存外その内容をすぐに忘れてしまうものである。どうでもいいとは分かっていながら、それ以外にすることも無いので、どうにかその内容を思い出そうと努力してみた。

 「……誰かが出て来た気がする……うーん。誰だあれ?」




 ふとした考え事は、案外時間を潰すのに有効だった。そこからの時間はあっと言う間に過ぎ去る。

 廊下の窓の向こうが暗くなりつつある頃、ようやく玲奈の目前にそびえる扉は開かれた。一室からは一斉に人間が溢れ出す。ロベリアと同じ漆黒の正装に身を包んだ騎士が多くを占めるなか、その流れに乗るようにしてフェイバルとロベリアが外廊下へと現れた。

 「――待たせたなぁ。すまん」

 「ごめんね、レーナちゃん」

玲奈はベンチから飛び上がると、空元気で二人のもとに駆け寄る。

 「お二人とも、お疲れ様でした!」

フェイバルは速やかに玲奈へ手帳とペンを返却した。座りっぱなしで凝り固まった体をほぐすように背伸びすると、絞り出すように声を零す。

 「……さあ、これで今日の仕事も一段落だなぁ」

玲奈はふと時計を確認した。時刻はスケジュール通り。上出来だろう。

 「もう間も無く迎えの車が来ちゃいますね。急いで向かいましょうか!」

 「おうよ。こんな息苦しい所に長居する理由も無ぇ」

ロベリアはさりげなく反撃する。

 「息苦しいのは、あんたの中身が子供だからよ」

 「そりゃどうも。まだまだ若いなぁ俺は」

フェイバルの解釈違いを正す間もなく、ロベリアはふと振り返って背を向けた。そのまま遠ざかるように歩きながらそっと呟く。

 「大人な私にはまだ仕事があるので、第三師団棟に戻らなきゃなの。帰りもお気をつけてー」

 「ど、どうもお世話になりました!」

玲奈は咄嗟に礼を告げる。フェイバルは、ただ小さくなるロベリアの背中を眺めていた。玲奈はふとそんな男の横顔を一瞥した。

 彼女はその男の横顔が妙に切なく見えたので、つい言葉を零した。

 「……ロベリアさん、とんでもなく忙しいんですねぇ」

 「ああ、忙しいだろうよ」

 「でも、ロベリアさんがフェイバルさんの同業者だったっていうなら、彼女も元はギルド魔導師ってことですよね?」

 「いや、もしかしたら俺が騎士から魔導師になったのかもよ?」

 「それは絶対に無いです」

 「……まあ、そうだな。あいつも元ギルド魔導師。魔導師を辞めて騎士に転身し、若くして師団長の座にまで登り詰めた。俺を国選魔道師に推薦する為に、だ」

 「……え?」

 「魔導師のあいつは、今よりもっと楽しそうだった。少なくとも俺の目にはそう見える」

フェイバルはどこか後ろめたそうに付け足す。

 「お人好しすぎるんだよ。あいつは」

 ロベリアは自己犠牲を承知で騎士道を選んだ。男のやや暗い声色は、玲奈をそんな意地の悪い解釈へ誘導しているようだった。





【玲奈の備忘録】

No.6 騎士団

 大陸の治安維持を目的とする警察組織の名称。創設からの歴史は果てしなく長い。かつては全員が剣を振るい闘ったが、現在では各々が得手とする武器での武装が認められている。

 騎士団には複数の種別がある。このうち王国騎士団は作戦騎士団とも呼ばれ、主に国選魔導師との連携作戦を担う。

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