5.いざ出勤です。

 異世界初めての夜は瞬く間に明ける。掃除したばかりの埃一つ無い部屋。窓から照りつける日差しは、既に昼のそれだ。陽が昇ってそこそこ経つが、その日の強い陽差しのおかげもあってか、玲奈はどうにか目を覚ます。何だか変な夢を見ていた気がするが、そんなことはどうでもいい。

 思い返せば、昨日はあまりにも目まぐるしい一日だった。体の疲れが抜け切った気はしない。ただそれでも、既に魔導師秘書としての仕事は始まっている。玲奈は目を擦りながらも、机に置かれた小さな手帳へと手を伸ばした。

 「ええっと……今日の予定は……一三時から共同作戦会議。交通手段は魔力駆動車とかいう乗り物を手配済み、と。軽食の後、一二時に自宅ここを出発。会議終了は一六時予定。帰りは――」

昨晩に纏めたスケジュールを入念に確認しているとき、突然背後の扉は開かれる。

 「――おーい、レーナ。お、起きてたか。腹減った。飯行くぞー」

 「ノックくらいしろ!!」

鋭く放たれた手帳は、見事にフェイバルの額を捉えた。




 一階の居間にて。街に出ても目立たない服へ着替えを済ませた玲奈は、洗面所から少し不機嫌そうに現れる。

 いくら鈍感なフェイバルだろうと、玲奈の口数が少ないことには直ぐに気が付く。彼はとりあえず平謝りをしておいた。

 「俺が悪かったから。そんなに怒んなよ」

 「もーいいです。可及的速やかに鍵穴取り付けます」

 「いや、一応ここ俺の家だからね」

玲奈は一つ溜め息をつくと、そこで密かに憂いていたことを尋ねる。

 「……ちゃんとお酒抜けてますよね?」

 「……」

答えは返ってこない。

 「おーい?」

 「……あんま寝てなぇからなぁ。ま、体感だと酔ってないから大丈夫よ」

 玲奈はもはや溜め息すら出なかった。いっぱしの大人がクズ大学生のような生活を続けているという事実には、悪寒が走る。

 フェイバルは引かれていることに気付きもせず、お構いなしに話を続けた。

 「とにかく飯いくぞ。昨日の屋台でいいか?」

玲奈はきっぱりと告げる。

 「またあんなジャンクフードを? 駄目に決まってるでしょ。食事はギルドで健康的なのを摂ります。その後一度帰宅して、身だしなみ整えてから会議へ向かう手はずです」

 「お、おう。そうか……食事までスケジュールに入ってんのな……」

一晩にしてなぜか秘書が板に付いている玲奈に少々驚きながらも、フェイバルは了承した。




 ギルド・ギノバスへ至った二人は無事にギルドのテーブル席を陣取ると、そのまま各々が注文した朝食を摂り始める。まだ眠気が完全に抜け切らないからか、会話はそれほど弾まない。

 午前中のギルドは、昨日と打って変わって何とも静かだった。ギルド魔導師の者たちはまだ家で寝ているのか、それとも仕事に出掛けているのか。恐らく多くは、前者なのだろう。

 あまりに静かなので、玲奈は何となく昨晩のことを尋ねてみることにした。

 「そういえば昨日の夜って、一人で飲んでたんです?」

 「旧友だ。ちょうど昨日レーナが見つけた、あの写真の」

 「ああ、あの方たちでしたか。確か、仕事仲間だって言ってましたよね」

 「そうだな。まあいろいろあって、みんな今は別の仕事なんだが」

 「そ、そうだったんですか……」

そのときのフェイバルの表情は一見変わらずとも、玲奈にはそれがどこか悲哀を帯びて見えた。話が暗い方向に行く予感がした彼女は、それ以上話を広げるのを辞めにする。

 そして食事は再び沈黙に陥る。そのときそこへ、一人の青年が歩み寄った。

 「――フェイバルさん、お久しぶりです!」

突然の声掛けに驚いた玲奈だったが、フェイバルは気さくにそれへ応答する。どうやら親しい関係性にあるらしい。

 「あら、ダイトじゃねえか。何してんだこんな時間に。早く仕事に行ってこい」

その青年はさらりとした白い短髪。顔つきはまさに、好青年といった感じだろうか。

 ダイトは困惑しながらも、フェイバルに返答する。

 「いやぁ……俺昨日の夜に依頼を終えて、たった今王都へ帰ってきたばっかなんですけど……今日はもう丸一日お休みですよ」

そのときダイトは、ふとして玲奈と目を合わせる。彼はそのままフェイバルへ尋ねた。

 「フェイバルさん、そちらの方は?」

 「あ、こいつはレーナ。俺の新しい秘書だ。昨日雇った」

 「ど、どうもー」

玲奈はとりあえず物腰柔らかく挨拶をしておいた。フェイバルはすかさず、玲奈へその青年の正体を明かしてくれる。

 「レーナ、このガキはダイト=アダマンスティアっていう若手の魔導師。あと一応俺の弟子だ」

 「ガキって、自分もう二〇歳なんですけど……? ギルド魔導師になって、もう数年は経ってますし……やっぱまだ新人扱いです?」

ダイトは苦笑しながら呟く。その一方で玲奈は、目の前のいい加減な男に、弟子なるものが居たことへ驚愕した。

 「……フェイバルさんに弟子ィ!?」

その大きなリアクションとは対比的に、フェイバルは淡々と訂正を始める。

 「弟子といっても、そんな大層な関係じゃねーよ。互いに有益だから関係を持ってるだけだ。こいつは国選魔導師の弟子っていう肩書きで定期的な仕事を受けられるし、俺はこいつに自分の仕事の手伝いもさせられる。その利害関係を安定させるために、シショーとして魔法を指南してるわけ」

 「……あれ? 強い絆で結ばれた熱い関係じゃないんです?」

 「そんなんじゃねーな。そもそも弟子を持つのは国選魔導師の慣例だから、郷に従ってる感じに近い」

弟子という関係が予想に反してドライなものであることに、玲奈は若干幻滅した。そしてその幻滅に値する言葉は、ダイトにとっても衝撃的なものだったらしい。

 「えええ! 俺はフェイバルさんのこと、何よりも信頼してますよ! どこまでもついて行きますから!!」

ダイトの健気な返答から、玲奈はフェイバルの説明が色々と偏っていることを察した。きっとこの男は、水臭いことが苦手なのだろう。

 フェイバルは構わずダイトへ呟く。

 「この時間に帰ってきたんなら、結構長旅だったんだろ。さっさと帰って休め休め」

ダイトはその優しさに触れて少し安心すると、また笑顔で語った。

 「そうですね。それでは自分はここで失礼します」

 「おう。んじゃーまたな」

そしてダイトは一礼するとそこを去った。

 扉から彼の姿が消えたところで、玲奈は小さく呟く。

 「良い子ですね。あんな純粋な二〇歳、絶滅危惧種ですよ」

 「あいつ女いねーから、好きにしていいぞ」

 「いや、そういうんじゃないから……」

 思わず大きな声を出してしまった。玲奈は一呼吸置くと、己の中にぼんやりと浮かぶ優秀な秘書像に自身を重ね口を開く。男の浮ついたペースに流されるわけにはいかない。

 「さあ、さっさと食べちゃいますよ。時間はそこまで余裕ありませんし、出来るだけ早く家に帰って、会議の準備です!」




 それから暫くすれば、二人はフェイバル宅の一階へと戻った。予定時刻は何とか遵守出来ているが、玲奈は油断せずに男へ準備を促す。

 「魔力駆動車は一二時に到着予定ですので、それまでに余裕を持って準備しましょう!」 

 「準備って言っても、特にやることないだろ?」

そのとき彼女は、目を細めて真っ直ぐに男を指差す。

 「それですよ、それ」

彼女の指し示す先、それはフェイバルの顎。そして口元。彼の無頓着な性格が、全てそこに表れている。

 「その無精髭、綺麗にしてきてください。マナーです」

 「髭くらいいいだろ」

 「清潔感は大事なんです」

 「おいおい。髭ってファッションみたいなもんだろ。王都には結構居るぜ、髭を残してる奴」

 「じゃあ、似合ってないので辞めて下さい」

玲奈は、つべこべと文句を垂らすフェイバルを洗面所に押し込んだ。

 そこから数分が経てば、男はようやく居間へと帰る。

 「……これで満足か?」

 「バッチリです!」

玲奈は親指を立てた。しかし、そお節介秘書はそれだけで止まらない。彼女の目はまた細まった。

 「……フェイバルさんの服、皺が目立ちますね。この家に服の皺を無くす道具とかあります? てか、洗濯ちゃんとしてますよね?」

フェイバルは特に応答せず、おもむろに右手を胸の近くに据えた。次の瞬間、右手の先に小さな魔法陣が現れる。そしてその深紅色の魔法陣が向けられた布地からは、みるみるうちに皺が消え去った。

 「え! 何それ!?!?」

突然の非科学的な出来事に、玲奈は驚く。フェイバルは表情一つ変えずに応えた。

 「何って、魔法じゃん。魔導師が魔法見て驚くなよ。んで、服はこれでいいんだな?」

 「い、いいですけど……」

 それは突然目の当たりにした、魔法なるものの力。玲奈はただ唖然とした。ただ初めて見た魔法が服の皺伸ばしに使われている様は、何とも彼女を複雑な気持ちにさせたが。

 (魔法ってもっとカッコいいものじゃないの……?)

そのときフェイバルは、ふとしてテーブルの方へと向かい始める。その所以は、男の独り言から語られた。

 「そうだそうだ、ブローチ忘れると怒られるんだったな。めんどくせ」

経験談のような口調をこぼしつつも、男はそれを取り出して胸元に飾った。

 当然にそれが何か知らない玲奈は疑問を呈する。

 「なんですか、それ?」

 「こいつは国選魔導師の証だ。国からの仕事を受ける時は、これを付けなきゃならねえ。今日はたまたま思い出したから付けていくことにした。あー鬱陶しい」

 非常に精密に造られたブローチに埋め込まれたのは、輝かしい宝石。国選魔導師の威厳と評価を示す一品としての相応しさは、素人目にも明らかだった。

 それがあまりに希少に見えたので、玲奈は出来心で尋ねてみる。

 「それを持ってる国選魔導師って人は、何人くらいいるんです?」

 「現役は俺含め三人。元来から、三人が定員だ」

その返答に玲奈は硬直した。やはりまだ、目の前の男の立ち振る舞いと実力が、どうも脳内で一致しない。

 「やっぱ、あなたってスゴい人なの……?」

昼間の公園で眠るただのおっさんは、国を代表する天才魔導師。なおさら彼の本質が滲んでゆく。

 そんな最中さなかでも、時間は着々と迫りつつある。玲奈は気を取り直し、話を本筋へと戻した。

 「とにかく、それさっさと付けて玄関で待ちましょう! 社会人たるもの、時間は守らなければ! 就業時間は守らないくせにね!!」

 飛び出した謎の皮肉に、フェイバルは気付かない。




 二人が準備を済ませて家へ出れば、魔力駆動車は直ぐにそこへ訪れた。二人の正面で停まった車からは、運転席らしき男が顔を出す。

 「――やあ、フェイバルの旦那。行き先は王国騎士団本部で間違いねーな?」

 「ああ、そこだ。よろしく頼むぜ」

フェイバルは慣れた様子で応じると、車の後方へと乗り込む。昨日の彼の話によると、どうやらこの男が専属の運転手らしい。

 玲奈はその運転手に挨拶しておくことにした。これから幾度も世話になるのなら、尚更礼儀は欠かせない。

 「わたくし、フェイバルの秘書を務めます氷見野……じゃなくてレーナと申します。今日はよろしくお願いいたします」

 「おうおう、俺は旦那の専属運転手をやってる、ダルビーってもんだ。よろしくなお嬢ちゃん。さ、とにかく乗った乗った」

久しぶりに社会人らしい挨拶を交わせば、玲奈はフェイバルの横へと腰を下ろす。

 「よーし。そんじゃ行くぜ」

ダルビーの合図と共に、車はゆっくりと発進を始めた。






【玲奈の備忘録】

No.5 魔力駆動車

運転手の魔力を原動力に駆動する車両。普通の乗用車の他に、貨物用や軍用の装甲車も存在し、それらは大陸の物流と人流を支える文明の利器となっている。運転には各種免許が必要。

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