4.古写真

 「私を雇うって、本気ですか!? だって、だってだって、ついさっき会ったばかりの人間ですよ!? あのですね、人を雇うときはしっかりと書類選考して面接して、慎重に判断するものなんですよ!?」

 混乱する玲奈は前世の物差しで語った。前世の常識が通用するはずもなく、当然フェイバル首を傾げる。

 「よく分からんが、俺は家柄なんて気にしねぇよ」

 「いや、そういうことではなくてですね……雇用する人間の能力や本質を判断しなきゃ!」

就活の過酷さを身に染みて理解している(というか思い切り就活失敗してる)玲奈は、どうもこの男の適当さに納得がいかなかった。男の提案が彼女にとって悪い話ではないことは確かだが、それでも頭の中に自然と反論が押し寄せる。そこでフェイバルはもう一押しすべく、あえてそっと囁いた。

 「考えてみろ。お前はギルド魔導師だ。順当に行くなら、これからいろんな依頼をこなして生計を立ててくことになる。だがな、それって簡単じゃねえんだぜ? ほらさっき言ったじゃねえか。ギルド魔導師は楽な仕事じゃねえ。それに対して魔導師秘書ってのはどうだ? 安全安心の長期雇用。逃すには惜しいはずだろ。果たして、本当にギルド魔導師を選んでいいのかねぇ……」

小声でもただならぬ熱意。どうも彼は本気らしい。あまりの好待遇に玲奈は揺らいだ。

 「うっ……それは……魅力的……ですけど! 私は魔導師に興味があるんです!!」

期待どおりでない答えに、フェイバルは少し考え込む。そこで譲歩すべく、またひとつ提案した。

 「……ならさ、じゃあ今度俺の現場連れてってやる」

 「え、まじ?? いいんですか!?」

 「折衷案だ。お前はギルド魔導師でありながら、俺の魔導師秘書。お前は俺の国選依頼をサポートし、俺はお前のギルド魔導師として生きる道を支える。これでどうだ?」

その申し分ない案に玲奈はすぐ親指を立てた。

 「ええ、そうしましょう! ぜひそうしましょう!!」

フェイバルは打って変わって満面の笑みを浮かべる玲奈を見ると、思わず釣られた。交渉成立。二人は握手を交わす。

 「決まりだな。よろしく頼むぜ、秘書ちゃん」

新人ギルド魔導師兼魔導師書。玲奈は思わぬ形で二足の草鞋わらじを履くこととなった。




 玲奈はフェイバルに連れられて家の階段を上る。どうやら住み込みらしい。異世界に降りたって一日目、寝床まで手に入れてしまった。野宿を覚悟していた玲奈は、フェイバルの背後で小さく拳を突き上げる。見知らぬ男の家に泊められる不安など、忘却の彼方のさらにその先だった。

 「この部屋空いてるからここ使え。あとその妙な服は目立つから、ここの服でも着といてくれ。前の秘書の置き土産だ」

 「いやぁ、ほんといろいろ頂いて有り難いんですけども……」

 これから自室になる部屋へ案内されたとき、玲奈の勝ち誇った表情は跡形も無く消えていた。部屋には椅子に机、ベッド、ランプ。生活するための備品は揃っているように思われる。しかしそれを覆うように積もるのは埃。埃。埃。どうやら就職後の初仕事は、大掃除になりそうだ。

 「んじゃ、俺はこの後用事あるから。また明日なー」

フェイバルは平然とした態度でそこを立ち去ろうとする。玲奈は咄嗟に後ろ襟を掴み彼を引き留めた。

 「フェイバルさん。二二時から二三時は掃除がスケジュールに入っています。時間が押していますので、さっさと始めましょうか……」

 「……」

フェイバルはしばし硬直した。そして彼はすぐに、彼女の狡猾さに気が付く。

 (――まずい。この女、秘書という立場を逆手に……)

玲奈は悪い笑みを浮かべたまま述べた。

 「私はこの部屋を掃除しますので、とりあえずあなたは一階の居間をどうにかしてください。あそこ、今後は私の居間でもあるんですから!」

こうして深夜の大掃除大会が幕を開けた。




 一人自室の掃除をしている玲奈は、隅に横たわったある写真に気が付く。なんとなく興味を引かれ、それを拾い上げた。

 「ん? 誰だろ、これ?」

 場所はどうやら先程のギルド・ギノバスで間違いなさそうだ。見覚えのある依頼掲示板の前で肩を組む男二人と女二人。男のうちの一方が持つ無気力な眼には、どうも既視感しかない。

 「これ、フェイバルさんだよね。ちょっと若いけど。あれ、ちゃんと髭剃ってる」

 もう一方の男は眼鏡をかけた小太りのシルエット。女は茶髪のボブヘアー。フェイバルの隣で幸せそうに笑っている。どことなく玲奈自身と似た雰囲気であるのは、自分でも分かる。そしてもう一人、美しい長髪の女性は、仲間たちを見守るように微笑んでいた。

 玲奈はそれをふと裏返す。するとそこには、書き殴られた手書きの文字。

 "煌めきの理想郷ステトピア"

 「気になる。けどこういう写真って、大抵過去の伏線だったりするんだよな。私のオタク遍歴が詮索するなと言っている……」

 玲奈が達観した表情でメタ発言をかましていれば、それを見計らったかのようにフェイバルが現れた。

 「おーい。一階は終わったぞー」

写真を手に振り返ればフェイバルと目が合う。玲奈は咄嗟にその写真を背に向けた。

 「お、お、お疲れ様ですう!」

明らかな挙動不審は、いくら鈍感なフェイバルだろうと勘付く。

 「おい。今何か隠したろ? 雇用者命令だ、見せな」

 「うっ」

呆気なくばれてしまった。玲奈は大人しく写真をフェイバルに手渡す。

 フェイバルは写真と睨み合うと、しばし沈黙が流れた。

 そして男はようやく言葉を発する。その写真を思い出すというよりかは、玲奈に写真をどう説明しようか考えているような間だった。

 「ここに落ちてたのか。こいつは、俺の昔の仕事仲間の写真だな」

 「そ、そうなんですね」

 (いや、そんだけかい……)

フェイバルはたったそれだけを告げると、写真を持って玲奈の自室を後にする。

 「二階も早く終わらせろよー。俺はピカピカの居間で少しばかりくつろいでるから」

そして彼は写真と共に階段を降りた。




 自室の掃除を終えると、玲奈も一階の居間へ降りた。掛け時計は二三時を示している。

 「さ、掃除はこれで終わりですね。これからはできるだけ汚さないようにしてくださいよ! ゴミはゴミ箱へ!」

 「ったく、分かったよ」

 玲奈はふとメモ帳を開く。とりあえず書き留めたスケジュールを読み上げておいた。

 「ええっと、明日は一三時から王国騎士団幹部との共同作戦会議があります。てことでさっさと寝てください」

ここでフェイバルは、先程も述べていた用事について言及した。

 「あ、俺今からちょっと一杯……いや一〇杯くらい行ってくる用事があんだわ。先に寝といてくれ」

男はそのまま平然と玄関へ向かう。玲奈はコートを羽織ろうとする男を急いで止めた。

 「ねえってば! いまからそんなに飲んだら、明日までお酒抜けなくなっちゃいますよ!」

 「ああもう、分かった分かった。んーと……六杯にしとくから!」

微妙なラインの譲歩を見せるフェイバルは、玲奈の手を振り解く。そして彼は、そのまま足早に家を後にした。

 (――まずい。私の雇用者自由すぎる……)

なす術もない玲奈は、仕方なく自室に戻り眠ることにした。




 バーの扉が慌ただしく開く。フェイバルは入るや否や、すぐにとある男の隣に腰を下ろした。

 「おいおい。まったくお前の遅刻は不治の病なのか?」

 「いやあ、すまねぇすまねぇ」

 「その平謝り、人生であと何回聞くんだか」

愚痴を零しながらも不機嫌でないその男は、眼鏡に小太りのシルエット。写真でフェイバルと肩を並べた、その一人だった。

 その男は店の掛け時計を見て呟く。

 「あと四十三分で、三年だな」

 「早えもんだ。あマスター、その酒とグラス四つ」

酒瓶と四つのグラスが届けば、フェイバルはそれぞれに注ぎ始める。テーブルに四つのグラスが並んだとき、彼はふと男に尋ねた。

 「最近どうよ、お前が運営する研究所ってのは。何か成果挙げたのか?」

 「最近だと科学誌の隅に載ったが、まあ科学なんてのは魔法の二の次だから、微妙なとこだな。相変わらず金には困ってるぜ。国選魔道師様や、寄付してくれてもいいんだぜ?」

 「バカ言え、お前も相当蓄えがあんだろ」

 「国選魔道師様ほどじゃねーよ」

 「その呼び方やめろ」




 時計の長針と短針が出会ったそのとき、男たちの談話は途切れる。

 「時間だ。煌めきの理想郷ステトピアに乾杯」

男たちはテーブルに置かれたグラスへ、自分の持ったグラスを順々に優しくぶつけてゆく。四つのグラスは数回乾いた音を奏でた。そして二人は、ようやくグラスの中身を飲み干す。

 「全員とはいかねぇが、またこうやって集まれたな。良かったぜ」

フェイバルは懐からある写真を取り出し、集結を喜ぶその男に見せてやった。それはまさに、先程玲奈が発見した一枚。

 「懐かしいのが家に転がっててよ。覚えてるか? コレ」

 「こいつは、西の陸路付近で山賊討伐に行ったときのだな。俺の武器がちょうどそんときの世代だ。にしても、またよくこんな古いモン見つけたな」

 「うちの秘書がたまたま見つけてな」

 「どうせお前のことだから、秘書に掃除させられて見つけたんだろ? アイツにもよく同じようなこと言われてたし」

 「……うるせえ」

 男たちは写真の全員がその場に居なくとも、密かに再会を喜んだ。彼らにとっては掛け替えのない時間が、そこに流れる。






【玲奈の備忘録】

No.4 フェイバル=リートハイト

ギルド・ギノバスに在籍する魔導師の男。二八歳。身長は一八二センチメートル。三白眼と伸びきった赤毛の髪が特徴的。いつも気だるげで適当な性格だが……

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