7.とある王国の歴史

 「――フェイバルさーん! 起きてくださーい!!」

 騎士団本部にて行われた会議から翌日。その日の朝、玲奈の声は一階の居間を揺らした。ソファで一晩を過ごしていたフェイバルは、突然の騒音に思わず目を覚ます。

 「……んなんだよ、今日は仕事無いだろ」

男は目を擦りながら低い声で応じた。玲奈は若干の申し訳なさから少し声量を落として返答する。

 「いやぁ、すいませんすいません。実は聞きたいことがありまして……」

 「聞きたいこと?」

 「やっぱ秘書という立場で働く以上、それなりに教養が必要かなって思いまして。そこでですね、この辺に図書館とかあったりしないかなーって……」

 「まあ、それもそうか。王都に住んでて魔力駆動車も知らないなんて、正直異常だ。どんな僻地の村娘でも聞いたことくらいある」

フェイバルは叩き起こされたことに対する反撃と言わんばかりに煽るが、玲奈は甘んじてそれを受け入れた。

 「それは……言い返せないです」

 「とりあえずギルド書庫に行ってこい。ギルド・ギノバスのすぐ近くにある、教会みてーな建物だ。蔵書は魔導書が多いんだが、歴史とか文化くらいなら調べられる。あー、でも最近はよく若い魔導師どもがエロ本隠してるから、なんだかんだでそっちのほうも学べんことはない――」

 「蔵書の話はもういいです。それで、そこは私でも入館できるんです?」

 「ああ。一応はギルド管轄の施設だけど、魔導師以外の一般人も入れる公共施設だし」

 「分かりました! ありがとうございます!」

玲奈はソファの裏から離れると、慌ただしくすぐに玄関へと向かう。

 「あ、えーと。夕方くらいには戻りますから!」

遠くから差し込む玲奈の声のすぐ後に、玄関の扉が閉まる音が鳴った。活発な玲奈に呼応するかのように、フェイバルはゆっくりとソファから立ち上がる。

 「……そうだった。そろそろ、あの国選依頼が」

外はまだ肌寒い。フェイバルは右腕から順にコートを羽織った。そのままのそのそと玄関へ向かう。

 「とりあえずギルドだな……結局レーナと行き先は同じか」

扉はゆっくりと閉ざされた。




 「――ここがギルド書庫ね……ほんとに教会みたい」

 玲奈は無事目的地へと辿り着いた。木の扉は開放されているので、とりあえず中へと入ってみる。ロビーを通過すれば、フェイバルの話通りの場所がそこにあった。

 吹き抜けになった広い空間。それでも無数の本棚が強烈な圧迫感を感じさせる。薄暗い暖色だけがぼんやりと灯る雰囲気は、今頃になってエキゾチックな感情を呼んだ。

 そんな感動に慣れ始めた頃、玲奈はようやく本棚を巡る人々の存在に気が付く。彼女は彼らに溶け込むように、厳かな書物の世界へ一歩を踏み出した。

 まずはただ闇雲に、なんとなく惹かれる本を探ってみる。図書館が静寂の場であることはやはりこちらの世界でも同じようなので、私語は極力控えておいた。

 (いろいろあるなあ……魔法属性統計に、大陸神話集。こっちは魔法歴史学入門……)

そのとき、ふと一際人肌が目立つ薄い本が視界へ飛び込んだ気がした。きっと気のせいだろう。

 玲奈は動揺することなく本題を見据えた。

 (とりあえず優先したいのは国の歴史文化、そして魔法ね。あとは地理とか宗教とかもあればいいけど……)

 「――何かお探しかい?」

 脳内の自分と会話する玲奈に、突如として年季の入った声が掛かる。静かな空間に没頭していたものなので、彼女は慌てて声の方へと振り向いた。

 声の主は、大柄な老紳士。肩にかかるほど伸びた灰色の髪。丸い眼鏡の奥からこちらを伺う視線は柔らかい。手元に何かの本を開いたままのあたり、読書中にも関わらずこちらに気を向けてくれたようだった。

 玲奈はその男が司書なのだろうと勝手に仮定したうえで、とりあえず返答してみる。

 「す、少し教養を深めようかなぁと……」

その回答を聞いた老紳士は少し眉間に皺を寄せると、何かを不審に思うかのような表情を浮かべた。

 「その棚にあるのは、簡単な歴史書や魔導書ばかりだ。ギノバスでは子供が読むものだが……?」

 「んぇっと! それは、その!」

 「大人が読むような本とは思えんが……いやそれとも、君は最近になって都外から移住してきた者か?」

 「そ、そんな感じです!」

玲奈は都合の良い解釈に乗っかっておくことにした。

 「なるほど……王都の教育を受けていない者だったのか。それは失礼した。存分に読み耽るといい」

そうして老紳士は、そのまますぐにまた自身の本へと視線を戻す。彼の視線が手元の本に集中したところで、玲奈はふとその男を観察してみた。そのときになってようやく、男が首からギルド魔導師の紋章を下げていることを知った。どうやら彼は、高齢ながらギルド魔導師の関係者らしい。同じ紋章を首から下げている玲奈だからこそ、きっと気遣いを受けたのだろう。

 玲奈は本棚に視線を戻すと、今の自分に役立ちそうな本を選別する。近くに手頃な座席があったので、忽ちそこに腰を下ろして読み漁り始めた。この世界に、魔法という概念をも超越した厨二病設定があることに期待しながら。




 ギルド・ギノバスにはフェイバルが訪れた。彼は扉を開けて建物に入るや否や、すぐに受付嬢の居る窓口へと向かう。

 「嬢ちゃん。ダイトとヴァレンは帰ってるか?」

 「ああ、お弟子さんですね。すぐにお調べします」

受付嬢は少し屈むと、すぐに目当ての記帳を取り出して調べ始めた。仕事上大陸中を飛び交うギルド魔導師は所在の調査に時間を要するが、フェイバルは弟子の所在を頻繁に窓口で聞き出す為、彼の弟子だけはすぐに調査ができる特別待遇になっている。

 「……お二人ともちょうど一昨日に仕事を終えられて、今は王都に帰還していますね。今日はそれぞれゆっくり休まれていると思いますよ」

 「よし。じゃあギルドに集まるように言ってくれ」

 「え? 今ですか? 特にヴァレンさんは遠方から今朝戻ったばかりなので、かなりお疲れだと思いますが……」

 「大丈夫。問題ないね」




 ――大陸神話第一章。世界、其れ則ち神の箱庭。神の御元に天使仕える。天使の使命、其れ則ち神の御言の実現。人間の世界に超越と発展をもたらせ。其の御言に因り、天使は魔法を生んだ。

 ――大陸神話第二章。或る天使は魔法を昇華す。然し其の新なる黒魔法は、世の秩序を乱した。忽ち黒魔法は、其の天使と諸共に裁きを受ける。


 ――大陸概論前文。我ら人類は一つの大陸に住まう。しかし約五〇〇年前、大陸の平穏は崩れ去った。林立した国は国益を求め争う。大陸戦争時代への突入である。

 約三〇〇年前。戦火の絶えぬ中、ギノバス王国は魔法の先駆者となった。当国は魔法を駆使し、二〇〇年に及んだ戦争を僅か五年で終結へと導く。ギノバス王国は名を王都ギノバスと改め、大陸からあらゆる国が姿を消した。


 ――魔法の大罪。ギノバス王国による魔法攻撃侵攻は、歴史上類を見ぬ大殺戮を現実にした。強大なるその力は、都市を容易く地獄へと変貌させる。そこにもはや戦線という概念など無い。街に残された多くの子女が凍て付き焼け爛れ、斬り裂かれ潰されて死に伏す。五年の魔法戦争は、以前二〇〇年を優に超える犠牲を生んだのである。

 我らの生きる大陸は、悔やみきれぬほどの命を礎とする。今ある平穏は、平和ではない。魔法が望んだ地獄の中で、一度発散された殺戮が収束する僅かな猶予である。




 軽い気持ちで踏み入れたはずだった。そのあまりに凄惨な背景に、玲奈は言葉を失う。

 住む世界は違えど、人は争う。ただその手段が兵器か魔法か、それだけの違いだった。それでもこの世界には文化ともいえる魔法が必要で、その熟練者たる魔導師がいる。魔導師は魔法を操るようで、殺戮の為の兵器を操るのだろうか。

 彼女の感情は大きく揺さぶられる。そして同時に、軽率な考えで魔導師を志すことへの葛藤が生まれた。






【玲奈の備忘録】

No.7 ギノバス王国

王都・ギノバスの前身の姿。大陸統一を成就させた大魔法王国の名である。

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