2.魔道一本道

 ――視界は激しい光に包まれる。そして次に視界が開けたとき、そこから天使なるものの姿は消えていた。




 気付いたとき目の前に広がるのは、レンガ調の建物群。往来する人々と見慣れない車。どうやら街を通る中心道路の近くに立っているらしい。

 「……ほんとに?」

 「ほ、ほんとに……これが異世界とかいう!? マ!?」

 どこか中世を連想させる景観。それはまさに、彼女の思い描く王道の異世界であった。かねてより遊んできたロールプレイングゲーム。暇さえあれば読み漁った転生モノのライトノベル。そこに描かれてきた夢が、今まさに自らの眼前に広がっている。オタクを貫く彼女には、もはや困惑以前に感動を覚えた。

 ふと近くの建物に手を触れてみる。レンガ造りのその建物は、当然ながら冷たく硬い。

 「これ、夢でも仮想空間でもないんだよね……? 別の世界……なのよね!?」

 そんな興奮冷めやらぬ中、彼女へ声を掛ける者は早々に現れた。レンガの壁に手を置いたまま一人盛り上がる彼女その異様な様子は、誰であっても不審に思うだろう。

 「――おーいそこの姉ちゃんや。うちの店の壁なんて触って一体何してんだ?」

 その想像以上に早い展開に、玲奈は慌てふためいた。それでも彼女はどうにか弁明を試みる。

 「う、うわあ! す、すすすみません!! べっ、別に怪しい者ではなくてですねっ……」

 「んん? なんか妙な格好した姉ちゃんだな?」

 男は強面ながらも、どこか軽快な口調だった。立派な顎髭は少々威圧的だが、どこか穏便さの垣間見える顔つきがそれを和らげる。しかしそれが玲奈の気休めになることはなく、彼女は依然として裏返った声で返答を続けた。

 「ぉ、お気になさらず! というか、に、日本語お上手ですねェ!」

 「ニホンゴ? 何だぁそれ?」

 「……異世界でもそのまま言語が通じるのはセオリー通りか……助かったぜ)

鼓動は収まらないが、玲奈は妙に鋭い探りを入れることに成功した。それでも一つ不安が解消されれば、また新たな不安が生じるものだ。

 「いや待てよ。んじゃ文字はどうなのかね……? この歳になって文字覚え直しか?」

 玲奈は路地から駆け出す。男の正面を横切ると、彼女はそのまま店の正面に立った。

 入り口の傍に佇むのは、木彫りの小さな立て看板。そこに刻まれた文字は明らかに彼女の知るものではないのだが、異世界というのはそれとなく都合が良いものらしい。

 「ええと、魔法傾向診断所……あれ? 読めるじゃあないの。ご都合展開ありがとうございますほんとに」

玲奈に続いて店の正面に移った男は、彼女の騒がしい様子に頭を掻きながら狼狽えた。

 「まったく、何なんだ?? 変な姉ちゃんだなぁ……まあんなことどうだっていいか」

 初めて出会った人間が、このような物怖じしない男であったことは幸運だった。その男は玲奈の傍に近寄ると、看板を指差して剛胆に語り始める。

 「ウチはな、魔法の傾向を診断する商売やってんだ。いわゆる属性ってやつよ! どうだ、姉ちゃんもやってくか?」

新しい情報が多すぎて混乱したが、玲奈はとりあえず断ろうとした。どんな世界にも経済があることは、彼女でも充分に察しがつく。

 「私、多分ですけどここで使えるお金を持ってなくて……」

 そういえば抱えたままだった小さな鞄は、就活の頃から使い潰してきた思い出の一品。中の財布には少しばかりの現金があるはずだが、さすがにこの世界で通貨として機能することは無いだろう。

 それでも男は豪快に笑い、玲奈の背中を叩く。

 「なぁーに、姉ちゃんは記念すべき今日一人目の客! あとボインちゃんだから、特別に見てやるよ!」

 「……え? いいの? よく分かんないけど……まぁ健康診断みたいなもんでしょ。やります!!」

 堂々とセクハラを受けた気がしたが、今の玲奈にはそんなことなど眼中に無い。それに加え、一日における一人目の客という存在が、これほど手厚くもてなされる存在なのかもよく分からなかったが、玲奈はとりあえず気前の良い言葉に甘えておくことにした。

 「なんかよく分からんけど……とりあえず、よろしくお願いします!」




 玲奈は男と共に店内へ入る。窮屈な店内には、一人の女性が朗らかな表情で座っていた。

 「いらっしゃいませー。あら、また客引きしたのー。まあ構わないのだけど」

男はその愛想の良い女性へ玲奈を紹介した。

 「カルネ! この姉ちゃんは、俺の贔屓で無料で診てやることにした! よろしく頼むぜ!」

 「分かったわぁー。でもあなた、その贔屓毎日やってるわよねー。まあ別にいいか。どーせ暇なんだし」

妙に緩い空気の中、玲奈はせめてもの礼儀を見せておく。

 「ど、どうも、よろしくお願いします」

 「まあまあ、そう堅くならずに、そこにお座りになってー」




 玲奈はカルネに従って席に着いた。一体これから何をされるのだろうかと心底ドキドキしていたが、なんともおっとりした女性の登場がそれを和らげてくれる。

 「傾向診断なんて、やることは簡単よ」

 そしてカルネは、足元から木の箱を持ち上げて机へと乗せた。箱の中に整然と並ぶのは、様々な色をした水晶玉たち。

 「この子たちが、あなたの適性を教えてくれるのー。さ、片っ端から触ってみるわよ」

 「は、はい! やりますやります!」

 魔法という超次元的な存在が異世界の定番であることは、オタクである彼女にとって当然のこと。その言葉を聞くだけでテンションが高ぶるものだ。

 (やっぱ属性と言えば燃え盛る炎……! それに荒ぶる水!! カッコイイの、頼むわよ)

カルネはおもむろに一つの魔水晶を持ち上げた。

 「まずはこの子! この桃色の水晶は、誘惑魔法の適性を判断できるわー」

 「な、なんで最初がそれなんです!?」

想像した魔法との乖離から疑問を呈したのも束の間、ふと玲奈は前世の出来事を思い返す。

 (ま、待てよ……! 私って意外とナンパされてたし……ていうかなんなら、それが唯一の生き残りルートだったのよね。もしかしたら、もしかする!? 私ってもしかして、この世界だとクソエロいお姉さんキャラなのか??)

 ある可能性を導き出した玲奈は、神妙な面持ちでそれに触れた。ゆっくり手を差し出すと、水晶からの応答を待つ。

 「……駄目みたいねー」

 「なんでよ!!」

期待は外れ、玲奈は机に突っ伏した。カルネはそれを優しくなだめてやる。

 「まあまあ。人間が持つ適性なんて、膨大な属性の中からたかが数種類程度なんだから、そんなものよ。それに誘惑魔法って、かなーり希少だしね。さ、気を取り直して次よ、次」




 それからは、流れ作業のように幾つもの水晶へ触れ続けた。それでも水晶は、一向に反応を示してはくれない。そして気付けば、彼女の前に残された水晶はたった一つにまで減っていた。

 多くの者の魔法診断へ立ち会ってきたでカルネすらも、ついに違和感を覚え始める。

 「お、おかしいな……こんなに適性無い人、初めてだわ」

玲奈にも嫌な予感が走る。彼女の中のデータベースが、ある可能性に至ったのだ。

 「私、もしかして能力なし……? 稀に見る、本当の無能スタート? 何かしら特別な力で無双するっていう異世界転生セオリーはどこ……!?」

初日にして彼女の心は折れかけていた。終始穏やかな表情だったカルネは動揺しながらも、ついに残り一つとなった水晶を差し出す。

 「さ、最後はこの子! ひと思いに!」

玲奈は焦りを剥き出しに喚く。汗の滲む拳を硬く握った。

 「ちょっとほんとに、マジで頼むっ!!!」

 意を決して水晶玉へ触れる。そしてそのとき、ようやく彼女の願いは通じた。水晶玉は、突如として激しく光り輝く。それは目が眩むほどの鋭い光だった。

 「わわ! 手、離して!!」

 カルネが少し焦ってそう話すので、玲奈はすぐに腕を引っ込める。既にそのとき、水晶玉には稲妻のような亀裂が走っていた。

 「こ……これはまた極端な適性ねえ。あなたの魔道は一本道。それは氷属性よー」

 「氷!? 結構かっこいいじゃん! クールお姉さんキャラってことね、よく分かってるじゃないの!」

玲奈は妙な考察をして安堵する。水晶からの光に釣られて店内に戻ってきた男は、二人の元へ駆け寄り興味深そうに呟いた。

 「にしてもお嬢ちゃん、水晶玉を割っちまうなんて中々だな。ギルド魔導師か?」

 「いえ、全く! 氷に関係することなんて、名前に氷が入ってるのと……あと前世で凍死したことくらいで……じゃなくて、その、私って魔導師として働けますかね!?」

 男の発した魔導師という言葉に惹かれ、玲奈は咄嗟に尋ねた。慢心と言われれば何一つ言い返すこともできないのは分かっていたが、僅か一瞬でその文言に憧れてしまったのだ。

 男は少しばかり考え込む。そして次の瞬間返された言葉は、意外にも感触の良い言葉だった。

 「素質は十分じゃないかねぇ。水晶に亀裂を入れちまう奴、そう居ねーよ」

 「まじですか!? なら、どこに行けば雇ってもらえるんでしょうか!?」

カルネは水晶を片付けながら呟く。

 「魔導師は雇われるというより、ギルドに登録して自由に依頼を受けて、そこで得た報酬で生計を立てる仕事。魔導師として働きたいならギルド・ギノバスに行くといいわよ」

 「な、なるほどぉ」

 「ギルド行くなら、地図書いたげる。ちょおっと待ってねー」

彼女は近くの手頃なちり紙へ手を伸ばすと、そこへ線を走らせ始めた。




 手書きの地図を握った玲奈は、診断所の夫婦に別れを告げる。これほど良くしてくれた夫婦との惜別はどこか切ないが、何より彼女は急がなければならなかった。職にありつけず路頭に迷えば、またも自称天使のお世話になってしまう。今は手書きの地図だけが頼りだった。

 しばらく歩けば、無知な玲奈でも少しずつ世界の一端が見え始める。まず一つ目に分かったことは、自分がとある国の王都に居るということ。そして二つ目は、その王都の名はギノバスということだ。

 四方どこを向いても賑やかな様相が変わらないことから、王都の広大さが嫌というほど窺える。玲奈は途方も無い前方の光景と手元の地図で視線を行き来させた。

 「えっと、この曲がり角はどれだ……?」

手書きの地図だけで目的地に辿り着くのは相当に難しいらしい。苦し紛れからか、自然と鞄のスマホへ手が伸びた。

 「くそぉ……スマホが使えればなぁ……使えるわけないよねぇ」

 彼女は死亡した当時の所持品を持ったまま転移したため、財布やスマホなど僅かな私物を異世界へと持ち込むことができた。ただ当然ながら、この世界には電波など通っていないし、通貨も全くの別物。かつての必需品は、もはやガラクタに過ぎない。




 そして気が付けば彼女は、いつの間にやら小さな公園へと辿り着いていた。噴水の流れる音。子供たちの声。時間がゆっくりと流れているのを感じるのは、ふつふつと焦りを覚えた玲奈の内心と美しいまでに対照的だった。

 ただそんな穏やかな雰囲気の中でも、どこか異彩を放つ存在が一つ。

 ベンチで寝転がるのは、不審な赤毛の男。無精髭を生やしたその男は、虚ろな目で呆然と太陽を直視していた。

 玲奈はその異様な男を遠くから眺めているつもりだった。しかし彼の虚ろな視線は、何故かこちらを狙い澄ましたかのように捉える。

 (わ、何かヤバそう人と目が合っちゃった……ホームレス?)

玲奈は目を逸らした。それでも男の声は容赦なく彼女へと掛けられる。

 「……そこの姉ちゃん、迷子か?」

無視をするわけにもいかず、玲奈はまた渋々と男へ目を合わせた。そのとき彼女の瞳に映ったのは、何かへの驚きと少しの感傷を孕んだ男の表情。それはまるで、大切な誰かを思い出すような。






【玲奈の備忘録】

No.2 魔法具

魔法具とは、魔法を原動力に機能する機械や武具の総称。玲奈の降り立った世界の文明を根幹から支えるテクノロジーである。

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