みんなの歌

増田朋美

みんなの歌

雨が降れば必ず春がやってくるということは本当で、雨が降ってくるたびに、気候が暖かくなり、咲いている花も増えるのである。冬は必ず春となるというのは本当で、雪がやんで、雨になり、今年も春がやってくるのだった。それが、嬉しいのか嬉しくないのかは、また別問題であるのだが。

杉ちゃんと、ジョチさんが、雨が止んだので、ちょっと、梅を見に行くか、雨上がりだから、人も少なくて、かえってゆっくり花が見られるよ。なんて言いながら、大石寺の敷地内を散策していたときのことである。

「お、歌声が聞こえてくるぞ。」

と、杉ちゃんが言った。

「ああ、なんか、合唱団のようですね。歌を歌っているようです。」

ジョチさんもそういった。ちなみにこの大石寺というお寺は、敷地が広いので、一般団体に、敷地を貸すことにしているようだ。合唱団だけではなく、吹奏楽のようなバンドが、敷地内で練習していたこともあるし、写生団体が、寺院内の建物を絵にかいていることもある。まるで、文化センターの屋外版という感じの場所だった。

「よし、ちょっと聞かせてもらおうぜ。」

と、杉ちゃんは、歌がする場所へ行ってみた。本堂前の広場で、何人かの男女が集まっている。伴奏はなく、アカペラの合唱で、何を歌っているのかと思ったら、木下牧子の「夢見たものは」であった。

「夢見たものは、一つの幸福、願ったものは、一つの愛、、、。」

なんだかこの歌、共産主義を願って作られた歌であると言われた事もあるそうだが、いずれにしても、女性作曲家の作品らしく、繊細で優しい歌だった。よく見ると、歌っている人たちは、なにか、訳があるのだろうか、普通の人達とどこか少し違っていた。背丈は大人と変わらないのだが、服装にキャラクターものを使っていたりとか。そうなると、かなり重度なところもある、知的障害者なんだろうなと思われた。

「夢見たものは、一つの幸福、それらはすべて、ここに、ここにあると。」

このフレーズで歌は終わった。杉ちゃんたちは、感動的な歌だと言って、拍手をした。すると、コンダクターの女性が振り向いて、

「どうもありがとうございます。嬉しいです。」

と、言った。

「いえいえ、皆さんお上手なので感心しました。なにか、発表会でもあるんですか?」

と、ジョチさんがそうきくと、

「ええ、みんなの歌の広場に参加するので、皆さん一生懸命練習しています。」

と、女性は答えた。

「みんなの歌の広場。ああ、あの、夏に行われている合唱祭ですね。こんな早い時期から、練習をされているですか。」

と、ジョチさんがそう言うと、

「ええ。年に一度の、合唱祭です。みんな、一生懸命やりますよ。ここの会員さんたちは、毎日毎日が人生ですから。」

女性は、静かに答えた。

「なるほど。そうかも知れないねえ。頑張ってやってくれ。みんなの歌の広場、成功するといいね。」

と、杉ちゃんに言われて、女性の後ろにいるメンバーさんの一人が、

「ありがとうございます!」

と、にこやかな顔で言った。そして、女性が合図する前に、朗々と夢見たものはを歌い始めた。それに応じて、他のメンバーさんも歌い出す。

「随分、団結力のある、合唱団なんですね。」

と、ジョチさんは、感心していった。

「本当は、それを実社会でできたらいいのにな。」

と、杉ちゃんは小さい声で呟いた。それが終わると、杉ちゃんたちは、また拍手をした。不思議なことに、彼らは音程も外れることはないし、しっかりと、合唱になっていることが、驚きである。

「ありがとうございました!」

と、合唱団のメンバーさんたちは、杉ちゃんたちに向かって深々と頭を下げた。それを、コンダクターの女性は、ちょっと複雑な感じの顔をして、見ていたのが気になった。

その日は、杉ちゃんたちは、大石寺の敷地内を散歩した。合唱の団体だけでなく、戸外で本を読む団体や、単に、木の下でおしゃべりをして、楽しんでいる団体も見られた。なんだかいろんな人達がいるが、皆そういう文化的なことが好きなんだなと思われる。

その次の日、製鉄所の食堂にあるテレビが、ニュース番組を報道する時間になった。ちょっと、退屈そうな顔をしたアナウンサーが、この様にニュースを読み上げた。

「えー、まずはじめに、静岡県富士市の潤井川の土手で、女性の変死体が見つかりました。殺害されたのは、富士市在住の音楽家、水田靖子さんと見られ、死因は、窒息死と見られますが、凶器が見つかっていないため、警察は他殺と断定しました。水田さんは、殺害された後、潤井川付近に遺棄されたと思われ、警察は捜査を続けています。」

「はあ、あの水田靖子先生ですか。」

思わず、製鉄所の利用者が、そう呟いた。

「ご存知なんですか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「ええ、私、今は習ってないんですけど、高校時代の合唱の練習で、水田先生に来てもらってました。」

とその利用者は答えた。別の利用者も、あたしも覚えてますといったので、それでは、かなり名の知られた人物であるらしい。

「どんな、人物だったんですか?」

と、ジョチさんが聞くと、

「あたしが、見てもらったときは、とても怖かったですね。なんかちゃんと歌っても、声が汚いから、出ていきなさいとか平気な顔をして、言ってましたからね。」

と、利用者は言った。

「そうそう。あたしのときもそうでした。実際あたしは、廊下に立たされましたよ。ほんと、怖い先生がいるんだって、今どきびっくりしましたよ。」

別の利用者がそういった。

「学生は、大変ですね、選ぶことができないわけですから。子どもは親を選べないだけじゃなくて、学校の先生も選べないというわけですか。あたしも、社会人合唱団に入っていたことあったけど、その水田靖子先生は、絶対誰かをイジるからって言って、呼びませんでしたよ。」

中年の利用者が興味深いことを言った。

「つまり、大人の合唱団は、その先生を呼ばなかったってことか?」

と、杉ちゃんが、ご飯を盛り付けながら言った。

「ええ。そうです。だって、あの先生、悪いことしか言わないじゃないですか。だから、大人の合唱団に呼んでも楽しくないでしょ。だから、私達は呼びませんでした。」

と、中年の利用者はそう答える。

「なるほどねえ。つまり、そういう悪いやつを、学校ではすごい指導だと言って尊敬するけど、大人の合唱団では、楽しくないからと言うことで、バカにするというわけか。」

杉ちゃんは、腕組みをしていった。

「まあ、大人のサークルみたいなのと、学校の指導とは、そういう落差があるんだね。とう言うことはだよ。その、悪いことしか言わない水田靖子先生を、嫌なやつだと思っているやつもいるんだろうな?」

「そうですね。確かに、いるかも知れません。あの女性は、ちょっと、鼻が高すぎる事もありますからね。まあ、大人の合唱団では逃げることができますが、それができない、子どもさんは、傷つく子もいると思いますよ。そういう指導でしたからね。今となっては、私も、客観的に評価できますが、それができない人もいると思いますよ。」

と、先程廊下に立たされたという利用者が言った。この女性は、多分、水田先生に厳しく指導されたことに、ちゃんと決着をつけることができたのだろう。それができないと精神疾患とか、そういうものに結びついてしまう。

「なるほどね、、、。権力者にありがちなことだよな。」

杉ちゃんは、大きなため息を付いた。

それから数日がたった。杉ちゃんとジョチさんは、買い物に出かけるために外出した。スーパーマーケットに入って、いつもどおり食品を買っていたのであるが、近くの野菜売り場で、

「ほら、元気だして、野菜カレーを作るんだから、えーと、人参、玉ねぎ。」

と、若い女性が、もうひとりの女性に一生懸命促している。もうひとりの女性は、年は30歳くらいに見えるが、アンパンマンのアップリケがついたバッグを持っているので、ちょっと知的障害があるのかなと思われる女性だった。多分、指示を出している女性は、彼女の担当の指導員だろう。障害のある女性は、なんだかひどく落ち込んでしまっているような感じで、えらく気力が抜けてしまっているような表情をしていた。

「大丈夫よ。きっとまた、歌えるときが来るわよ。」

と、指導員の女性がそう言っているので、杉ちゃんもジョチさんも、ピンときた。

「あの、失礼ですが、どちらかの合唱団にでも入っているのでしょうか?」

と、ジョチさんが指導員さんに聞いた。

「ええ。週に一回、大石寺の敷地内で練習していたそうですが、何でも、主催の先生が疑いを持たれているそうで、彼女、それでしょんぼりしてしまっているみたいなんです。」

と、指導員さんは、ちょっと困った顔をしていった。

「そうですか。うたがいってなんですか?」

と、杉ちゃんが聞くと、指導員の女性は、いいたくないという顔をした。しかし、アンパンマンのバッグを持っている女性が、

「殺人の疑いです。変な先生を殺害したとかで。」

と、子供っぽい口調で言ってしまった。それを聞いて杉ちゃんとジョチさんは、先日、大石寺で夢見たものはを歌っていた、合唱団の女性だとわかった。

「変な先生って、水田靖子かな?」

杉ちゃんがそうきくと、

「はい。その人です!」

と女性は、嬉しそうに言った。きっと、自分の不安に思っていることを、杉ちゃんが言ってくれたので、嬉しかったのだろう。

「あの先生、すごい人だと思ってたけど、本当は、ものすごく、評判が悪い女性だった。」

と女性は話を続けた。指導員さんが、女性に、そこまで言ってはだめですよ、と注意をした。

「今は、酒田先生が帰ってくるのを待ちましょう。大丈夫よ。きっと疑いが晴れたら帰ってくるわ。」

指導員の女性はそう励ますが、彼女は落ち込んだままだった。

「なるほど、酒田先生ね。あの女性は、酒田先生という名前だったのか。」

杉ちゃんが言うと、指導員さんは、すみませんと言って、女性に、もう帰りましょうと言った。杉ちゃんがちょっとまってといったが、女性たちは、そそくさと帰ってしまった。まあ、だいたいそういうものである。弱い人達は、発言しようとする前に、有力な人に止められてしまうのだ。

「いずれにしても、きっと酒田先生が、水田と対立していたんだな。」

と、杉ちゃんは呟いた。ジョチさんも、そうですねと杉ちゃんに言った。二人は、カレーの材料を買って、製鉄所に帰ろうとタクシーを待っていたときに、ジョチさんのスマートフォンがなった。

「はい、曾我です。ああ華岡さん。なんですか。また呼び出しですか?」

ジョチさんは、嫌そうな顔をした。

「一体何で、僕達が呼ばれなければならないんですかね。はあ、本当に、華岡さんは、下手なんですね。」

「そんな事言わなくていいからさ、ちょっと、話を聞かせてくれ。俺たち、早く、犯人を捕まえたいのに、酒田麗奈が何も供述しないんだよ!」

と電話の奥で華岡がそう言っているのが聞こえてきた。杉ちゃんも、そんな話をしているのを、呆れた顔で見ていた。本当に、華岡さんは、警察の人間らしくない男だなとつぶやきながら。

「わかりましたよ。じゃあ、そっちまで行きますから、しばらくお待ち下さい。」

ジョチさんは電話を切った。それと同時に予約していたタクシーがやってきたので、二人は、警察署へ運んでもらうように言った。タクシーの運転手は、縁起でもないところに行くんですね、と言った。

二人が、警察署へ到着すると、華岡が待っていた。華岡は、酒田麗奈という女性を取り調べているのだが、彼女が何も話さないとぐちを漏らした。酒田麗奈というのは、もちろん、あの大石寺で歌っていた合唱団を主催している人物である。ジョチさんが、目撃者とかそういうものはなかったのかと聞くと、華岡は、誰もいないといった。酒田麗奈と、水田靖子の二人が言い争っていたというところを目撃した人は、誰もいなかった。

「それで、僕達に聞きたいことって言うのは?」

と、杉ちゃんが言うと、

「おう。酒田麗奈は、大石寺の敷地内で、合唱団に歌わせていたのは間違いないんだな?」

と華岡は聞いた。

「そうだよ。そこはちゃんと見てるからな。それは、はっきりしている。すごくうまい歌だったよ。プロも顔負けなんじゃないの?」

杉ちゃんは答えた。

「そうかあ。それくらいだったか。それなら、動機がはっきりしてきたぞ。そこまでうまい合唱団を率いていたなら、その合唱団に、酒田麗奈が愛着を持っていたのも不思議はないな。」

と、華岡が即答した。

「どういうことですか?華岡さん、わかっていることと、僕達が提供した情報をちゃんと分かるように説明してもらえませんかね?」

ジョチさんがそう言うと、華岡は、エヘンと咳払いをして、

「ああ、こういうことだ。つまり、酒田麗奈は、水田靖子を殺す動機がないと主張しているが、実は、みんなの歌の広場、入場者が集まらないという理由で、今年は中止すると、水田靖子は計画していたらしいんだ。なんでも、みんなの歌の広場は、10年前であれば、結構有名な合唱団も出場していたようだが、この2、3年は、有名な合唱団も出演を取りやめ、うまくないところばかりが、出場している音楽祭になっていることが判明している。水田靖子と言うと、名は知られている有力な指導者だが、弱い立場のものは徹底的に馬鹿にするというところがあることも、聞き込みでわかっている。それで、俺たちは、酒田麗奈が、それに逆上して、水田を殺害したと思っているんだが。その裏をとりたくて、二人には来てもらった。」

と、演説するように言った。

「そうなんだねえ。それであの合唱団が、うまかったのか。酒田麗奈は、あの人達を使って、水田靖子に対抗するつもりだったんだな。」

と、杉ちゃんは、華岡の話にそう付け加えた。

「きっと、水田靖子は、知的障害とかある人を徹底的に馬鹿にすると思いますね。うちの利用者たちも、そう言っていました。弱い立場の学生などに辛く当たったそうです。それで、自分のことを偉いと思っている。そういう人は、非常にたちが悪いですから。難しいですよ。」

ジョチさんが、華岡に言うと、一人の刑事が走ってきた。

「警視!目撃者が出ました。事件の日、水田靖子と、酒田麗奈が、言い争っているのが目撃されたそうです。場所は、潤井川ではありません。なんでも、文化センターの近くだったそうで!」

「よし。それなら、状況証拠も完璧だ!あとは、本人を落とすだけだぞ!」

華岡がそう言うと、杉ちゃんは、酒田麗奈さんと話をさせて貰えないか、と言った。ちょっと、彼女に、言いたいことがあると、杉ちゃんが言うと、ジョチさんも、お願いしますといった。華岡は、おう、よろしく頼むと言って、二人を接見室へ通した。

「酒田麗奈さんですね。僕達を覚えていますか?あのとき大石寺の敷地内で、夢見たものはを歌わせていましたね?」

ジョチさんが聞くと、アクリル板を隔てたところにいる酒田麗奈は、はいと小さい声で言った。

「お前さん、あのおかしな女性に、本当に、手を出したの?」

と、杉ちゃんが言うと、彼女はもう、無理だと思ったのだろう。小さな声で、そうです、とだけ言った。おう、完落ちしたぞ!と華岡は喜んだが、杉ちゃんもジョチさんも、ちょっとまって、と華岡に言った。

「どうして、水田靖子さんを殺害しようと思ったんですか?みんなの歌の広場が中止になってしまうからですか?」

と、ジョチさんがそうきくと、

「はい。だって、あの女性は、弱い立場の人にしか教えることができないくせに、みんなの歌の広場を無理やり廃止させるなんて、豪語しているものですから。」

と、酒田麗奈は涙をこぼしていった。

「それで、みんなの歌の広場が終わってしまうのが嫌で、彼女をやったのか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「だって、あの合唱団に入っている人たちは、普通の人以上に、真剣に歌いたい人たちで、みんなの歌の広場しか、発表する場がないんです。他の合唱祭に出させようとも考えましたが、みんな知的障害があると断られてしまいます。あの、行事しか、彼女たちが、一生懸命になれる場所が無いんです。それを奪ってしまっては可愛そうでしょう。終わりになったら、二度と、始めることはできないと思いますよ。」

と、彼女は泣き泣き言った。

「本当に、考えてやってください。自分たちでは、いきていかれない。誰かの手助けなしでは生きていかれない人達だっているんです。そういう人たちに、発表する場を終わりにしてしまっては、あの人達は、生きる場所がなくなります。終わってしまっては、全部終わりでしょう。終わらない終わりはありますか?」

しばらく、彼女の問いかけに沈黙が生じた。

「そうですね。」

ジョチさんが、とりあえず、彼女の問いかけに答える。

「確かに、形あるものに終わらないということはありません。ですが、終わりたくないという意思があれば、違う形で継続することはあります。」

「でも、あの水田という人が、終わりにしてしまったら、本当に、あの人達の生きる場所は、なくなってしまいます。私は、一生懸命歌ってくれるあの人達に、なんとか、生きていて楽しいと思ってほしかったんです。それが、みんなの歌の広場だったんですよ。それをなくしてしまうなんて、私はとても耐えられなかったですよ。」

酒田麗奈は、流れてくる涙を、拭くこともしないで、そう答えたのであった。

「そうかも知れないが、人間、どうしても自分ではできないことだって、あるよなあ。自分でできないでただ、流れに任せるしかできないときもある。そのときに大事なのは、人の命を奪うのではなくて、相手を、どう思うかにかかってくるんじゃないのかなあ?」

杉ちゃんが、酒田麗奈に言った。

「もし、みんなの歌の広場を存続させたかったら、怒らないで別の方法を考えるべきだったんじゃ無いのかな?」

「ごめんなさい私、」

酒田麗奈は、しゃくりあげながら言った。

「まあ確かに、終わりというのは、びっくりすることでもあるけどさ、どうしても、自分の意思だけでは、無理なこともあるよ。」

杉ちゃんがそう言うと、警察署は、水を打ったように静かだった。



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