第14話
「お前のとこも久方ぶりだ」
華麗な色彩にあふれた天井の高い廊下に、ヴェンツェルの声が大きく響く。それはまるで極彩色の絵画が描かれた天井からぶら下がるシャンデリアを揺らすかの錯覚があった。王宮もかくやと言わんばかりの絢爛さの中に、腿半ばまでの貫頭衣をかぶり腰帯で縛っただけのヴェンツェルの服装はあまりに不釣り合いだったが、誰ひとりとして気にすることはない。辰砂の髪の偉丈夫がこの城の主人と同等であることを知らぬものはよほどの新参者でしかないからだ。
「あいも変わらず大きな声で」
様々な色のお仕着せをまとった男たちが彼らと行き会うたびに場を譲り頭を下げるなかを悠然と進みながら、ラドカーンがつぶやく。
「自分の居城にまだ戻っていないでしょう」
「おお。早く会いたかったからなぁ」
それなのに−−−。
どこか巨大な狼が落胆を隠さずに頭を垂れるかのようなさまを見せる。
「退屈だからと外に出かけるからですね」
「仕方がない。ここは本当に退屈なんだよ。俺に適う奴といえば、お前とオーロイレだしなぁ」
「汗臭いことは嫌いです。あなたの相手など御免こうむりますよ」
「血の匂いは好きなくせにな」
にやりと大きな口を歪めて笑う。
「退屈ですからね」
ふっと吐息をこぼすかのように笑う。
「お前の趣味も大概だがな」
「お互い様でしょうに」
「で、どうするんだ?」
言外に何事かを示唆するヴェンツェルに、
「後腐れなく片付けますよ。もちろん」
あなたもでしょう?
背筋が逆毛立つような婉然とした笑みを顔に貼り付けて、ラドカーンがヴェンツェルを見上げる。
「おお、こわ」
隆とした肩を竦めながらおどけるヴェンツェルに、
「本命がようやく現れたのですから、ね」
当然でしょう?
間隔を空けて並ぶ扉の一つの前に立ち、後ろから付いてきていた従者が開けるのを待つ。
白々といっそ愛想ひとつないような部屋だった。しかしそれも従者が壁のパネルを操作することで変貌する。
壁の色は黒に、深紅の絨毯とソファセットがあらわれた。対面して座る彼らの前に、別の従者の手で香り高い飲み物が供される。
「それで? 我らのに何が起きているのか説明してくれるんだろ」
果実の匂いが心地い酒精を楽しみ、やおら口を開いたのはヴェンツェルだった。
ラドカーンは、大きく刳り貫かれた窓の外、遠く霞むオーロイレの居城の尖塔を見るともなく眺めていたが、彼の言葉に我に返った。
「そうですねぇ、まず、あなたの言う我らのの名前は、ヤノーシュです」
「ヤノーシュ」
味わうかのようにゆっくりと発音する。
「ヤノーシュというのか」
やっと名を知ることができた。
陶然と、ただそれだけのことに、緑の瞳が濡れ濡れと光る。
「早く触れたい」
呻くようにことばを押し出すや、両眼をきつく瞑り、くちびるを噛みしめる。
それは、己の身の内で猛り狂う情動に抗うためのものであったろう。
「とりあえず、まだ完全にこちら側のものではなかったせいで世界に省かれたようですけどね」
「まだか? まだと? しかも、世界が省いたと!」
怒りを押し殺しもしない腹の底に響く低い声が放たれるや、空の青が灰へと移り変わってゆく。あまつさえ遠雷が空気を震わせ始めた。
「ヤノーシュを省くと戯言をぬかすなら、俺がこの世界を壊してやるわ!」
容易いことだと、知っておろうが。
「彼がいつかまた来るだろうと思えばこそ!」
振りかぶった手をテーブルに打ち付ける。
その刹那、雷鳴が鳴り響いた。
目を眩ませる眩い雷光が辺りを一瞬てらしたその後には、無残にもヴェンツェルの拳に砕けたテーブルの破片があった。
繊細なクリスタル製のグラスもまた、跡形もなく。
「気に入っていたのですけどね、これ」
ため息をつきながら、ラドカーンがちらりと緑の瞳を隅に控える従者のほうに向けた。
慌ててやってくる従者たちが、手早くそれらを片付けてゆく。
「すまん」
ばつが悪そうに謝罪を押し出すヴェンツェルに、
「まぁいいですけどね。この貸しは高くつきますよ」
「わかった」
それで?
先を促す。
「オーロイレが追いましたよ」
ああ。
そうか。
「ならば、大丈夫か」
ソファの背もたれに勢い任せに上半身をもたせかけ、天井を睨みつけた。
シャンデリアの反射が、天井に星界図を描き出している。
「そろそろ戻るか」
全身の緊張を解き、やおら、立ち上がる。
「俺も、片付けをしないとな」
「そうですね、あなたも、私も」
意味ありげに目を見交わす。
「ヴェンツェルが帰る」
ラドカーンの言葉に、破損されたものを片付け再び隅に控えていた従者たちが慌ただしく動き始めた。
ヴェンツェルを見送り、ラドカーンは城の奥へと向かって行った。
彷徨える神々 七生 雨巳 @uosato
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