第7話




*****




『”夢渡り”のようですね』

 銀の髪の男が、少年を見下ろしたまま何かをつぶやいた。

『その上、”界渡り”でもあるか』

 赤い髪が目を細めた。

『あまつさえ、時も渡るか』

 金の髪が溜息をこぼす。

『厄介な』

『なぜ?』

 溜息とともに思わずといった風情でつぶやかれたひとことに、銀の髪が神経質そうに相手を見遣った。

『気づかないのか』

『なににだ?』

 代わりのように赤い髪が訊く。

『界を渡り時を渡る。そんなもの、夢の中ならば時折あることだろうに』

『………』

 しばしの沈黙ののちに、

『これは、あれだ』

『あれ?』

『我らに、名を与えるものだ』 

 金の髪のそのひとことに、赤も銀も息を呑んだ。

『与える?』

『与えるだと? 与えたではなく? か』

『ああ。幼いだろう。あの時よりもさらに』

『では、これから、なのか?』

『そうだろう』

『まだ待たなければならないと』

 肩を落とす銀の髪に、

『これまで待った。今更。我らに時はさしたる意味もない』

『しかし!』

『そう。それにしても、永い。永すぎる』

『しかたあるまいさ。焦ることはない』

 肩をすくめる金の髪が、少年に合わせるように屈みこんだ。

 褐色の瞳が、間近に迫った緑の瞳にうろたえ揺らぐ。

『覚えておくがいい。我名はオーロイレ』

『俺は、ヴェンツェル』

『ラドカーン』

 キラキラと深い緑のその奥になにがしかの感情を押しひそめた瞳が三対、少年をそれぞれに凝視する。

 それを綺麗だと思えばいいのか怖いと思えばいいのか、少年にはわからなかった。

 それでも、

『おやすみ』

 理解できない言葉とともに額両頬に各々くちづけてくる男たちに戸惑いを強く感じた。

『再びの再会の折には………』

『そう。その折にこそ』

 三対の強い眼差しが突き刺さるかのようで意識が焼き切れるかと思った。

『夢路をたがえずにお戻り』

 そんな少年の心境すら慮ることなく、金の髪が額の中心を指先で一押しする。

 そのささやかな感触にようやく少年は緊張を解くことができたのだ。それは同時に少年の緊張が解きほぐれる切っ掛けとなった。そうして少年は意識を失ったのだ。

 ゆるゆると視界いっぱいの見知らぬ男たちの顔が、輪郭をぼやかしまざりあってゆく。

 それが三つ首のある竜のように見えた。

 そんな気がした。




*****




 規則的な電子音の鳴る病室には、寝台の上に横たわる若者の姿があった。

 チューブやケーブルが若者からいくつもある機械に伸びている。

 カーテンの開けられた病室には、爽やかな初夏の日差しが差し込み、寝台の上に横たわる若者とのコントラストを浮かび上がらせている。

 静まり返った病室には機械の音だけがささやかに響いていた。

 と、スライド式の扉が軽い音を立てて開かれた。

 入ってきたのは中年の女性である。

 どこか眠る若者に似た面差しの女性は持って来た花瓶をそっとサイドテーブルに乗せた。

「脩………」

 そっと若者の前髪を撫で上げ、乾いたくちびるに水に浸したガーゼを当てた。

 こけた頬、土気色の肌。

 瞼の下はただ眼球の運動がかいま見えるだけだ。

「やっと健康になれたのに、ね」

 幼い頃に重篤な病気が発見され、数年を入院で過ごした息子だった。

 何度か死線を越えかけては踏みとどまってを繰り返した。

 それが、最後の危篤を機に回復を遂げた。

 あれはまさに奇跡だった。

 そう。

 医師にも原因不明の、奇跡。

 以来病気とは縁なく成長することができた。

 どれほど幸せだと思ったことだろう。

 なのに。

「どうしてっ!」

 椅子に腰を下ろし手に顔を埋める。

 運転中の携帯電話の使用で息子をはねた男をどれほど恨んだだろう。

 許すことなど考えられない。

 夫もまた悔やんでいる。

 あの日、何気ない日常の延長でしかなかったあの日。

 ただ一本のDVDの返却のために、息子は事故に遭ったのだ。

 以来一月ひとつき、息子の意識が戻ることはない。

 明るい病室に、嘆く女のシルエットが黒々と闇を落としていた。

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