富士山って実は二刀流

ポンポン帝国

富士山って実は二刀流

 日本の代名詞といえば、『富士山』。そう言っても過言ではない程、たくさんの人に愛されている、そんな素敵な山です。


 その姿は、どこから見たとしても変わりません。唐突ですが、そんな『富士山』、実は『二刀流』かもしれません。ちなみに『富士山』はどちらのモノか論争は語りません。不毛な争いなので……。


 それではまず、本元になっている『二刀流』。では、この『二刀流』と言ったら何が思い浮かぶ人でしょう。最近では有名野球選手なんかも『二刀流』と呼ばれていますが、『元祖二刀流』と言ったらこの方だと思います。


 そう『宮本武蔵』。日本で最も有名な剣豪の一人であり、『二天一流』を創始、そして現在に至るまでさまざまな分野でも扱われている偉人です。ちなみに私は井上雄彦先生の『バガボンド』が好きです。影響されて、水墨画に挑戦しようと思った時期もありました。結論からいけば無理でした。話が逸れましたね、すみません。


 そこから転じて、『二つの異なる事柄を同時に行う事』という意味としても使われるようになりました。よく学生時代に、勉学と運動の両立、プロ野球であれば投手と野手を兼任する選手もそう呼ばれますね。そのほとんどが、いい意味で使われていると思います。


 ちなみに類義語で『二足の草鞋を履く』という言葉もありますが、こちらはほぼ同じ意味であっても悪い方で使われたりします。日本語って難しい。


 そして今回、『富士山』が『二足の草鞋を履く』ではなく、『二刀流』として捉えた理由、それは表富士と裏富士の存在です。静岡県側から見る富士山か、山梨県側から見る富士山かって事です。これは江戸時代には既にこの言葉が存在していて、葛飾北斎の『富嶽百景』、歌川広重の『不二三十六景』にも題名で使われていたそうです。静岡県が表で山梨県が裏な理由は、諸説あるようなので割愛させていただきます。


 それではなぜ、この表富士と裏富士の存在が『二刀流』に繋がるのか、それはがらりと変わる風景の違いです。表富士からは、駿河湾から見える海からの『富士山』。裏富士からは、山の重なりから見える『富士山』。同じ『富士山』であっても全く違う側面を見せるのです。そこに優劣はありません。あ、これって『二刀流』じゃん! 『富士山』ってそれだけ素晴らしい山なんだぜ! そう言いたかっただけです。


 単純ですね。すみません。


 そんなみなさんが愛してやまない『富士山』ですが、これからもずっと変わらないでいてもらいたい、そう思います。締まらない文章ですみません。

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