『シスター・コンプレックス』

序 独白

 私に姉としての自覚が芽生えたのは、一〇歳の時だと思う。

 その日初めて、私は父の怒鳴り声を聞いた。

 そして――父が人を殴ったのを初めて見た。

「ふざけるな!」

 と。

 いつも優しい父は拳を握り締めて、今し方殴り飛ばした相手を睨んだ。

 自分の義理の兄にあたる伯父を。

「……本気で言っているのか、義兄さん?」

「ああ」

 殴り飛ばされた伯父は――かなちゃんの実の父である最愛さいあいさんは、殴られたことを大して気にしていなさそうに、そう返答をした。

「本気だ――かなめを『第二の人外シルバー・ブラッド』の眷属……吸血鬼にする」

「何故だ⁉」

「必要なことだからだ」

 畳の上に倒れた状態のまま、最愛さんは言った。

「世界のために……必要なことだ」

「……だったら、かなめくんじゃなくてもいいだろう?」

 父は悲しそうな顔をして言った。

「義兄さん、あなたは魔術師だ――世界最強の魔術師。あなたなら……もっと相応しい人を探し出す人脈と、見付け出す手段を持っているだろう? なのに――なんでかなめくんなんだ?」

「かなめが気に入られたからだ」

「……かなめくんは!」

 父はそこで言葉を切った。

 大声を出して……最愛さんに感情をぶつけようとして、なんとか堪える。

 そのあと、深呼吸して言った。

「あの子は……あなたの子供なんだぞ?」

「………」

「あなたと女々さんの子だ……あなたは義姉さんを愛していた。そうだろう?」

「……ああ」

「だったら何故。あれだけ愛していたのに……義姉さんもあなたも、望んでかなめくんを生んだんだろう⁉ かなめくんが生まれたあの日に、義兄さんはあれだけ喜んでいたじゃないか‼‼‼」

 感情を抑えられず、父は一方的に捲し立てた。

「義兄さんは今でも……義姉さんを愛しているんだろう?」

「……ああ。俺は今でも女々を愛している」

「じゃあ何故だ⁉ 何故……なんでかなめくんを化物なんかに――っ⁉」

 そこまで言って父は言葉を詰まらせた。

 唐突に最愛さんがその場で――土下座をしたからだ。

「お願いします」

 と。

 最愛さんは畳に額を擦り付けて言った。

「……滅茶苦茶言っているのはわかっている。確かに、かなめは俺と女々の子だ。俺が愛した女性との間に生まれた……大切な一人息子だ――だが、これは必要なことなんだ。世界に必要なこと……そして、俺は世界のために行動する……してしまう……そういう人間なんだ」

「…………」

「かなめは『第二の人外シルバー・ブラッド』の眷属にする。これは決定事項だ――理解してくれなんて言わない……俺のことは恨んでくれて構わない。だがその代わり……お前達はこれからも、かなめを愛してやってくれ」

「……どういうことですか?」

「俺はかなめとは一緒にいれない。魔術師として……やることがある」

「……あなたの仕事は理解しているつもりです。でも――一緒にいれないことはないでしょう? あなたはこの子の父親だ……もちろん仕事中一緒にいれない時は、これまで通り僕達が面倒を見ます。けど、一緒にいれないことは――」

「いや」

 最愛さんは。

 父の言葉を遮って言った。

「俺はもう――この家には戻らない」

「…………」

「俺はかなめと一緒に生活できない――したらだめだ」

 畳に額を付けたまま、最愛さんは泣きそうな声で言った。

「俺は――父親にはなれねえ」

 それからどんなやり取りがあったのか、私は知らない。

 そこで母に引っ張られて別の部屋に移動させられた私は、そのあと父と伯父との間にどのようなやり取りがあったのか、知るよしがなかった。

 ただし父は――最終的に最愛さんの言葉を了承したようで。

 それは話し合いを終えて、かなちゃんを引き取ることになったと、父本人の口から聞いたから、間違いなかった。

「父親失格だ――俺は」

 と。

 父との話し合いを終えて――そのままかなちゃんを『第二の人外シルバー・ブラッド』の眷属にして、色々と処置を終えた最愛さんは、私にそう言った。

 部屋では髪色が変わったかなちゃんが、気持ち良さそうに眠っている。

 その様子を見ながら、最愛さんは言った。

「かなえちゃん――君がかなめを守ってくれ」

 当然――と私は返した。

 実の弟じゃなくても。

 髪と瞳の色が変わろうとも。

 化物になろうとも。

 生まれた時から、かなちゃんは私のかわいい弟なのだから。

 だから私はそう返した。

「そうか――ありがとう」

 私の言葉を聞くと、最愛さんは安心した様子でそう言った。

 そして、私の頭を撫でる。

「かなえちゃんになら――安心して任せられる」

 それからしばらく話して――具体的な方法を教えてもらって。

 そして次の日には――最愛さんの姿はどこにもなかった。

 仕事のために早朝に村を出て行ったと――朝ごはんの時に父が言っていた。

 ……一〇年以上前のことだけれど、あの日のことはきのうのことように覚えている――そして時々脈絡もなくその時のことを思い出しては『――やっぱりあの日に私は、姉としての自覚が生まれたんだな』……とまた、私は再認識した。

 私がかなちゃんを守る。

 最愛さんに言われたからじゃない。

 これは――自分で決めたことだから。

 だから。

 ――お姉ちゃん!

 また昔みたいに。

 太陽のように、かなちゃんが笑えるように。

 そして二度と。

 ――お姉ちゃんも。

 ――お姉ちゃんも……人間なんだね。

 もう二度と――あんな顔をさせないように。

 今度こそ――私がかなちゃんを守る。

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