最終話 肉じゃがの伝授

 肉じゃが。

 日本の煮込み料理。

 元々は洋食のビーフシチューがモデルらしいが――実際はどうなんだろう?

 じゃがいもににんじん。白滝。豚バラ肉……使用する具材は家庭によって違うだろうが、うちは基本的に、この四種類だけだった。

「えぇっと……大きさはこれくらいでいいんですか? 結構大きいですが?」

「ああ、それでいい」

 八月一五日の午後七時。

 シェリーをおぶって帰って、レイラに頼み込んでまた俺の首筋を咬んでもらって(結構時間が掛かった)、吸血をさせてシェリーの傷の治療を終えた――その翌日。

 ゆーきとの一件も終えた――その夜。

 俺はシェリーに肉じゃがの作り方を教えていた。

「それ、全部一旦湯引きしたあと、砂糖と水、日本酒と一緒に別の鍋に入れて、二、三〇分そのまま煮込むから……それくらい大きかったら煮崩れしないから、それでいい」

「はあ……湯引きして……煮崩れ防止のためですか」

 あまり理解していない様子だったが、俺はそのままシェリーの様子を見守った。

 シェリーは俺が言ったことを紙のメモに取る。

「で、豚肉以外の食材は鍋に移したあと火に掛けて……沸騰したら中火にする。落し蓋をする。そして煮込んで煮汁が半分くらいになったら、豚肉と青葱を投入する」

「……えっと……青葱をまるごと入れるのは?」

「ブーケガルニの代わり……青葱を入れたら、豚肉の臭みが消えるから」

「……はあ」

「あとはこのまま煮込んで行って……煮汁が少なくなったら醤油を入れる。それで全体に馴染ませたら完成――できたら皿に移して、好みで白ネギを振り掛ける」

「……なるほど?」

「……まあ、やって行ったらわかるよ。間違っていたらその時言うから、とりあえずやろう」

「はい」

 三〇分後。

 シェリー生涯初の肉じゃが(俺監修)が完成した。

 白米と味噌汁付きで。

 味噌汁の具材はスタンダードに豆腐とわかめ。

 実食。

「もぐもぐもぐもぐ」

「ん――すごいです! 以前かなめさんが作ったのと、まったく同じ味がします!」

「そりゃそうだろう。食材もレシピも同じなんだし……手順を間違えなかったら、誰が作っても同じ味になるよ」

「……そうなんですね」

 シェリーは本当に感心している様に言った。

「わたくし、昔も今も台所にほとんど立たせてもらったことがないので……初めて作ってかなめさんと同じようにできたことに――感動しています」

「そうか」

「もぐもぐ」

 シェリーと話しながら、俺はレイラの方を見る。

 レイラは変わらず膝の上に座っている……最近シェリーを睨む頻度が少なくなったと思っていたけど……きのう俺がシェリーを背負って帰って来たからか、睨む頻度が初期に戻った。

「もぐもぐ――かなめおかわり」

「はいはい」

 フォークと口は一生動いているけど……最初はまったく食べないんじゃないかと思ったけど、その心配は杞憂だったみたいだ。

 食欲全開。

 ……警戒心は一切解かないし、一切口を利かないけど……これから少しずつでも、シェリーに心を開かないかと――俺は思った。

 難しいだろうけど。

「もぐもぐ、もぐもぐ」

「……そう言えば、シェリー」

「はい? なんでしょう、かなめさん」

 レイラからシェリーに視線を戻して話し掛けると――シェリーは箸で器用ににんじんを摘まんだまま止まった。

 この前肉じゃがを作った時に知ったけど、シェリーは箸の扱いが上手。

「聞いてなかったから訊くけど……『紅蓮の吸血鬼アヴェンジャー』達の元には、いつ頃戻るんだ?」

 言い方を誤ったら早く出て行って欲しいと受け取って、不快に感じるかもしれないと思って慎重に尋ねたが……その心配は無用だったのか、シェリーは平然とした表情で答えた。

「そのことなんですが……正直、いつ帰ったらいいかわからないんです」

「……と言うと?」

「『紅蓮の吸血鬼アヴェンジャー』には今朝メールしたのですが……まだ連絡が返って来ないんです。時差もあるので……そろそろ返って来ると思うのですが」

「ふうん」

 俺は空いたグラスに麦茶を注いだ。

 一口飲んで、それから言う。

「まあそれなら……連絡が来るまで、待っていたらいいんじゃないか?」

「そうですね」

 シェリーは平然とした表情で言った。

「かなめさんの言う通りにします。二人なら万が一があることも――まずないので」

「そうか」

 すごい信頼だな――と俺は思った。

 『紅蓮の吸血鬼アヴェンジャー』と『略奪の吸血鬼モーラ』。

 二人はあの『創造物質クリエイト』に全戦全勝しているという話だから、強いのはわかり切っていたけど……シェリーがまったく不安な様子なく、断定するって――どれだけ強いんだ?

 今回戦った『創造物質クリエイト』も、全然本気ではなかったみたいだけど……それで『あの』強さだからな。

 レイラの方が強いって話だけど。

 正直――全然想像付かない。

 本気の『創造物質クリエイト』の強さも。

 『創造物質クリエイト』よりも脅威度ランキングが高い……二人の女吸血鬼の強さも――と。

 そこで俺のスマホに、着信があった。

 画面には『お姉様』の文字。

「悪い」

 と言って、俺は通話に出た。

「もしもし」

『もしもし、かなちゃん?』

 姉の声だった。

 久々……と言うほどではないが――最近聞いていなかった気がする声。

 冷静で安心する声。

『今、大丈夫?』

「大丈夫だけど……どうしたの?」

 言いながら俺は、ちらっとシェリーの方を見る。

 シェリーは察してくれて、自分の口にチャックをするジェスチャーをして、こくりと頷いた。

 助かる。

『どうしたのって……きのう何回電話しても出なかったから、今掛け直したのよ』

「ん? ああ」

 言われて思い出す。

「ごめん。今朝海鳥から電話来た時に気付いたけど――折り返すの、忘れていた」

『もう……かなちゃんが折り返して来ないのは、いつものことだからいいけれど。……そっちは無事? リアの報告書、さっき読んだけれど……色々大変だったんでしょ?』

「大変――まあ大変だったかって言われたら……大変だったね」

『そう』

「……ゆーきは?」

『無事よ。全身ぼろぼろの傷だらけらしいけれど……命に別状はないって。さっき報告が来たわ』

「そうか……そりゃよかった」

『そうね……かなちゃんはどうなの? 何か変わったことは?』

「ん? 俺? 俺は――」

 言われて俺は、膝の上に座るレイラ越しに、シェリーを見る。

 説明……嘘――付いても、姉ちゃんにはすぐばれそうだしな。

 そう思って言葉に詰まっていると……姉はすぐに、俺の異変を察した。

『何かあったのね?』

「いや、何かあったというか……説明しずらいんだけど、説明しないといけない案件が一つあると言いますか」

『ふうん』

 そう言って姉は数秒沈黙する……ここで何があったか言えと言われたら、俺はシェリーのことを姉に話すつもりではあったが……正直に話しても、姉は心地よく思わないよなと思ったため、どうしようかと考えていた……しかし姉は予想外にも、何があったか、今ここで訊いて来なかった。

『……まあいいわ――詳しいことは明日、直接訊くから』

「うん……ん? 明日?」

『そう。明日』

 一瞬聞き間違いかと思ったが、そんなことはなかった。

 続けて――姉はこう言った。

 いつもの落ち着いた、穏やかな声のまま。


『明日――お姉ちゃんそっち行くから』

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