第三十三話 『影食の吸血鬼』

 影。

 シェリーを中心に広がったのは――以前彼女が武器として使用した、あの『影』だった。

「なっ」

 黒色。

 まるで深淵のように黒く、呑み込まれそうな印象を与える影。

 それが水のように地面に広がる。

 魔力の反応を見る限り、影は森全体を呑み込むほどではなかった。しかし、小規模というほどの範囲ではない……影は少なくとも俺の視界に収まり切らないほど広がり……そしてシェリーの『影』に触れた俺の足は――底なし沼にハマったように、始めた。

「……っ⁉」

「ごめんなさい……できればこういうことは……したくなかったのですが――諦めたくないので」

 かなめさんのことを――と言って、シェリーは少しずつ沈む俺を見た。

 その視線は先程までと違う。

 獣のような目だ。

「シェリー!」

「無駄ですわ――かなめさん」

 強引に足を引き抜こうとする俺に、シェリーは言った。

「わたくしの影――正確にはこれは影じゃなくて、ゲートなのですが……このゲートが触れている限り、抜け出すことはできません」

「……ゲート?」

「はい」

 シェリーは言った。

「『紅蓮の吸血鬼アヴェンジャー』には公言するなと言われていますが……かなめさんには隠し事をしたくないので……説明しますね? よく勘違いされますが、わたくしの『固有能力』は『影を操る』ことではありません――『異空間操作』……それがわたくしの能力の本質です」

 自身の能力について、シェリーはそう言った。

「このゲートはわたくしが司る異空間に繋がっていて、わたくしが触れている影に魔力を流し込むことで作ることができます。ゲートは一つしか作れませんし、大きさは型取りした影の面積に依存しますが……非常に便利なんですよ? 形は変幻自在。中にはなんでも仕舞えますし……中に隠れてゲートを閉じたら――誰にも感知されない隠れ家になります。隠れたまま移動することも可能ですし」

 そこまで言うと、シェリーは近くにある木を指差した。

 俺と同じように影に沈み始めた木――次の瞬間その木は、影に触れているところから、切断された。

「このようにゲートを閉じると、なんでも切断できる最強の刃になるんです……異空間に干渉する能力を持たない限り、わたくしに防御力は意味を成しません……だから『変身術』並の硬度を持つ死体達も――簡単にバラバラにできます」

「っ‼ やっぱり」

「ええ――『死体使い』はわたくしが殺しました」

 推測通りだったが、シェリーはキヨズミを殺したのは自分だと、自供した。

「……なんで殺した?」

「え?」

「なんでキヨズミを殺したって訊いたんだ――シェリー、お前はあいつと面識なんてないだろ?」

 シェリーがキヨズミに何かしらの恨みがあって、殺した線は薄い。

 佐々木みたいな正義感が理由でも――『創造物質クリエイト』みたいに、仕事で依頼されたからでもないだろう。

「ええ。確かにわたくしと『死体使い』……キヨズミと面識はありません」

「じゃあ、なんで」

「え、だって」

 シェリーは首を傾げて言った。

「かなめさんが望んだんじゃないですか?」

「……俺が?」

「ええ」

 シェリーは頷く。

「憶えていますわよ。わたくし――『……俺は別に、キヨズミの命とかどうでもいいけど。けど死体使い――キヨズミは俺の生活を侵害して来た……その落とし前は付けさせる必要があるな』……ですわよね?」

「――っ⁉」

「かなめさんの望みは『家で飯を食う生活』をすること――ただそれだけです。それを邪魔する者、侵害する者に容赦をする必要はない……『創造物質クリエイト』があのまま殺してくれれば、わたくしは殺そうと思いませんでしたが……でも逃げたので殺しました――かなめさんのことを『理解者』と呼んだのも、ムカつきましたし」

「……なんで知っている?」

 俺は訊いた。

 今シェリーが言った台詞は――俺が『創造物質クリエイト』や佐々木に言った発言だ。

 あの場にシェリーはいなかった。

 なのに――何故シェリーは知っている?

 言うと、シェリーは少し照れ臭そうにしながら答えた。

「ふふふ――もちろん知っていますよぉ……夫婦はお互いのことを一番知っているもの。相手のことを誰よりも知っていることは……一番愛している証明になりますから」

「…………」

「……ずうっと――見ていましたから」

 シェリーは言った。

「だから知っています――かなめさんがわたくしのことを一切しゃべらなかったことを。かなめさんがここ数日『魔法少女』と行動を共にしていたことを。夕方五時には『創造物質クリエイト』と集まって、情報交換をしていたことを。かなめさんは必ずカフェオレを頼むことを。かなめさんが毎日今晩の献立を考えながら買い物をしていることを」

「……!」

「かなめさんの誕生日が一一月一一日であることも。生まれすぐお母様を亡くしたことも。お父様は蒸発して、母方の妹の家族に預けられて、育てられたことも。かなめさんは一〇歳まで従姉いとこ家族と一緒に住んでいたことも。かなめさんが住んでいた村は『鬼神村』という名前で、追放されるように父方の祖父に預けられたことも。こちらに転校して来た初日に、からかって来た同級生を椅子で殴って、病院送りにしたことも。初めてできた友達の名前が神崎勇騎だということも。ゆーきさんに影響されてバスケットボールを始めたことも。中学生の時に従姉いとこの彼恵さんと、確執を解消したことも。去年、ゆーきさんと一緒に所属していたバスケットボールのクラブで、キャプテンを務めたことも……同じく去年に同級生の女の子をゆーきさんと救って、同学年の男女二人の人生を終わらせたことも……わたくしはぜぇんぶ――知っています」

 ぞっ――と。

 さすがに寒気がした。

「なんで知って……いや――なんでそんなことまで知ってる? ……レイラにも話したことないぞ? 今のこと全部」

「ふふ――だから言ったじゃないですか? ずうっと見ていましたし……それに調べましたから。わたくし、気配を消すのが得意って言いましたけど――情報収集も得意なんです」

「…………」

「それでどうですか? かなめさん――わたくしが『第二の人外シルバー・ブラッド』も知らないことを知っていると知って。わたくしがかなめさんをどれくらい想っているか――伝わりました?」

「ああ……それは伝わったけど」

「じゃあ――わたくしを受け入れてくれますか?」

「……それはできない」

「……どうしてです?」

 シェリーは本気で首を傾げて言った。

「どうしてだめなんですか? もっと語った方がいいですか? お望みならわたくしがどれだけかなめさんのことを知っているか……一日中語って聞かせますが……それとも、知っているだけじゃ愛の証明――想いの証明になりませんか? わたくしはこんなにもかなめさんを想っているのに……まだ足りないということでしょうか?」

「だから……そういうことじゃ――」

「仕方ありません。じゃあ今から――佐々木さんを殺します」

「っ⁉ おい!」

 もう脚のほとんどが呑まれている。

 動けないのはわかっていたが――俺はその状態のままシェリーに手を伸ばした。

「シェリー――どういうことだ⁉」

「どういうことって……だって――かなめさんが振り向いてくれないのは、わたくしの愛の証明が足りていないからですよね? ただ、告白するだけじゃだめ……どれだけ知っているか伝えてもだめなら……これから行動して愛を伝えるしかありません。だから佐々木さん――『不屈の光』の『魔法少女』を殺します」

「……どういう理屈だよ?」

「え――だって邪魔じゃないですか?」

 脚から進んで、今は腰まで呑まれた。

「かなめさんの望みは『家で飯を食う生活』をすること――だったら、かなめさんを同盟という見えない糸で縛っている……『不屈の光』は邪魔だと思うんです。かなめさんもできることなら……同盟なんかに縛られず、『第二の人外シルバー・ブラッド』と生活したいですわよね? だからわたくしが――その見えない糸を切って来ます。えいって」

「……やめろ」

「大丈夫です」

 感情を込めて言ったが。

 シェリーには伝わらなかったようで――彼女はにっこりと笑った。

「わたくし、暗殺も得意なので……誰にも気付かれず、彼女を殺せますわ」

「そうじゃない! 殺しても愛の証明にならない――付き合わないって言っているんだ!」

「じゃあ――何をしたら付き合ってくれますか?」

「――っ‼」

「佐々木さんを殺してだめなら……海鳥皐月さん――でしたっけ? この街にはもう一人、殲鬼師せんきしがいますよね? 彼女も殺した方がいいですか? 彼女も殺してだめなら……えぇっと……『不屈の光』を滅ぼしたらいいでしょうか? さ、さすがに『三大魔術組織』の一つを滅ぼすのは時間が掛かりますし……わたくし一人では難しそうですが……いえ――それでかなめさんが振り向いてくれるなら……わたくし、頑張りますわ」

「シェリー‼‼‼」

「大丈夫です――かなめさんのお姉さんには……手を出しませんから」

 腰から進んで胸のところまで――俺の身体は影に呑まれた。

 その状態の俺を見ながら……恍惚とした表情を――シェリーは浮かべる。

 だめだ――会話が成立していない。

「ですからかなめさんは――中で待っていてください……あ、さすがにこのまま何日も家に帰らなかったら、『第二の人外シルバー・ブラッド』がわたくしを殺しに来ると思うので……その時はかなめさんが止めてくださいね? お願いします」

 ずぶずぶと身体が、また沈んでいく。

 腕も呑まれて肩まで差し掛かったところで――そこで。

 そこで俺は――あることに気付いた。

 ……魔力の反応?

 それに――この反応は。

 俺は慌ててシェリーに伝えた。

「シェリー……だめだ――今すぐそこから離れろ」

「? どういう意味ですか?」

「いいから!」

 なるべく感情を込めて叫んだが――しかし俺の意図は、シェリーには伝わらなかったようだった。

 突然の怒号に……シェリーは困惑した表情をする。

 その隙に魔力の反応が強くなった。

 鋭く――だめだ。

 確実に殺す気だ。

「シェリー避けろ――後ろだ!」

「? ――え?」

 言ってシェリーの身体が少しだけ揺れた直後。

 シェリーは自分の身に何が起こったか――わからないという表情をした。

 それからゆっくりと下を……自分の腹部を見て。

 そして吐血した。

「シェリー!」

 自分の腹部に刺さっている白い槍状の物質を確認して――シェリーはすぐその場に倒れた。

 その瞬間に能力が解除されたのか――俺の身体は切断された。

「がっ⁉」

「か、なめ……さん?」

 肩から下のすべてを消失する――けど気にせず、俺は倒れたシェリーに目を向けた。

 『損傷無効ノーダメージ』が発動して――すぐにシェリーの元に駆け寄る。

「かなめ――さん?」

「ああ、俺だ!」

 シェリーの身体を抱えて――すぐ傷の状態を確認する。

 心臓は避けているけど……だめだ。

 どう見ても致命傷。

 すぐ治療しないと。

「……危ねえところだったな――神崎かなめ」

 と。

 俺がシェリーの傷の具合を確認していると――シェリーを攻撃した本人が、俺に話し掛けて来た。

 俺はシェリーの身体を抱えたまま――そちらを見る。

「……なんでお前が――ここにいるんだよ」

 そして。

 コピー用紙のように白い吸血鬼の名を――口にした。

「――『創造物質クリエイト』」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る