第三十三話 『影食の吸血鬼』
影。
シェリーを中心に広がったのは――以前彼女が武器として使用した、あの『影』だった。
「なっ」
黒色。
まるで深淵のように黒く、呑み込まれそうな印象を与える影。
それが水のように地面に広がる。
魔力の反応を見る限り、影は森全体を呑み込むほどではなかった。しかし、小規模というほどの範囲ではない……影は少なくとも俺の視界に収まり切らないほど広がり……そしてシェリーの『影』に触れた俺の足は――底なし沼にハマったように、沈み始めた。
「……っ⁉」
「ごめんなさい……できればこういうことは……したくなかったのですが――諦めたくないので」
かなめさんのことを――と言って、シェリーは少しずつ沈む俺を見た。
その視線は先程までと違う。
獣のような目だ。
「シェリー!」
「無駄ですわ――かなめさん」
強引に足を引き抜こうとする俺に、シェリーは言った。
「わたくしの影――正確にはこれは影じゃなくて、
「……ゲート?」
「はい」
シェリーは言った。
「『
自身の能力について、シェリーはそう言った。
「この
そこまで言うと、シェリーは近くにある木を指差した。
俺と同じように影に沈み始めた木――次の瞬間その木は、影に触れているところから、切断された。
「このように
「っ‼ やっぱり」
「ええ――『死体使い』はわたくしが殺しました」
推測通りだったが、シェリーはキヨズミを殺したのは自分だと、自供した。
「……なんで殺した?」
「え?」
「なんでキヨズミを殺したって訊いたんだ――シェリー、お前はあいつと面識なんてないだろ?」
シェリーがキヨズミに何かしらの恨みがあって、殺した線は薄い。
佐々木みたいな正義感が理由でも――『
「ええ。確かにわたくしと『死体使い』……キヨズミと面識はありません」
「じゃあ、なんで」
「え、だって」
シェリーは首を傾げて言った。
「かなめさんが望んだんじゃないですか?」
「……俺が?」
「ええ」
シェリーは頷く。
「憶えていますわよ。わたくし――『……俺は別に、キヨズミの命とかどうでもいいけど。けど死体使い――キヨズミは俺の生活を侵害して来た……その落とし前は付けさせる必要があるな』……ですわよね?」
「――っ⁉」
「かなめさんの望みは『家で飯を食う生活』をすること――ただそれだけです。それを邪魔する者、侵害する者に容赦をする必要はない……『
「……なんで知っている?」
俺は訊いた。
今シェリーが言った台詞は――俺が『
あの場にシェリーはいなかった。
なのに――何故シェリーは知っている?
言うと、シェリーは少し照れ臭そうにしながら答えた。
「ふふふ――もちろん知っていますよぉ……夫婦はお互いのことを一番知っているもの。相手のことを誰よりも知っていることは……一番愛している証明になりますから」
「…………」
「……ずうっと――見ていましたから」
シェリーは言った。
「だから知っています――かなめさんがわたくしのことを一切しゃべらなかったことを。かなめさんがここ数日『魔法少女』と行動を共にしていたことを。夕方五時には『
「……!」
「かなめさんの誕生日が一一月一一日であることも。生まれすぐお母様を亡くしたことも。お父様は蒸発して、母方の妹の家族に預けられて、育てられたことも。かなめさんは一〇歳まで
ぞっ――と。
さすがに寒気がした。
「なんで知って……いや――なんでそんなことまで知ってる? ……レイラにも話したことないぞ? 今のこと全部」
「ふふ――だから言ったじゃないですか? ずうっと見ていましたし……それに調べましたから。わたくし、気配を消すのが得意って言いましたけど――情報収集も得意なんです」
「…………」
「それでどうですか? かなめさん――わたくしが『
「ああ……それは伝わったけど」
「じゃあ――わたくしを受け入れてくれますか?」
「……それはできない」
「……どうしてです?」
シェリーは本気で首を傾げて言った。
「どうしてだめなんですか? もっと語った方がいいですか? お望みならわたくしがどれだけかなめさんのことを知っているか……一日中語って聞かせますが……それとも、知っているだけじゃ愛の証明――想いの証明になりませんか? わたくしはこんなにもかなめさんを想っているのに……まだ足りないということでしょうか?」
「だから……そういうことじゃ――」
「仕方ありません。じゃあ今から――佐々木さんを殺します」
「っ⁉ おい!」
もう脚のほとんどが呑まれている。
動けないのはわかっていたが――俺はその状態のままシェリーに手を伸ばした。
「シェリー――どういうことだ⁉」
「どういうことって……だって――かなめさんが振り向いてくれないのは、わたくしの愛の証明が足りていないからですよね? ただ、告白するだけじゃだめ……どれだけ知っているか伝えてもだめなら……これから行動して愛を伝えるしかありません。だから佐々木さん――『不屈の光』の『魔法少女』を殺します」
「……どういう理屈だよ?」
「え――だって邪魔じゃないですか?」
脚から進んで、今は腰まで呑まれた。
「かなめさんの望みは『家で飯を食う生活』をすること――だったら、かなめさんを同盟という見えない糸で縛っている……『不屈の光』は邪魔だと思うんです。かなめさんもできることなら……同盟なんかに縛られず、『
「……やめろ」
「大丈夫です」
感情を込めて言ったが。
シェリーには伝わらなかったようで――彼女はにっこりと笑った。
「わたくし、暗殺も得意なので……誰にも気付かれず、彼女を殺せますわ」
「そうじゃない! 殺しても愛の証明にならない――付き合わないって言っているんだ!」
「じゃあ――何をしたら付き合ってくれますか?」
「――っ‼」
「佐々木さんを殺してだめなら……海鳥皐月さん――でしたっけ? この街にはもう一人、
「シェリー‼‼‼」
「大丈夫です――かなめさんのお姉さんには……手を出しませんから」
腰から進んで胸のところまで――俺の身体は影に呑まれた。
その状態の俺を見ながら……恍惚とした表情を――シェリーは浮かべる。
だめだ――会話が成立していない。
「ですからかなめさんは――中で待っていてください……あ、さすがにこのまま何日も家に帰らなかったら、『
ずぶずぶと身体が、また沈んでいく。
腕も呑まれて肩まで差し掛かったところで――そこで。
そこで俺は――あることに気付いた。
……魔力の反応?
それに――この反応は。
俺は慌ててシェリーに伝えた。
「シェリー……だめだ――今すぐそこから離れろ」
「? どういう意味ですか?」
「いいから!」
なるべく感情を込めて叫んだが――しかし俺の意図は、シェリーには伝わらなかったようだった。
突然の怒号に……シェリーは困惑した表情をする。
その隙に魔力の反応が強くなった。
鋭く――だめだ。
確実に殺す気だ。
「シェリー避けろ――後ろだ!」
「? ――え?」
言ってシェリーの身体が少しだけ揺れた直後。
シェリーは自分の身に何が起こったか――わからないという表情をした。
それからゆっくりと下を……自分の腹部を見て。
そして吐血した。
「シェリー!」
自分の腹部に刺さっている白い槍状の物質を確認して――シェリーはすぐその場に倒れた。
その瞬間に能力が解除されたのか――俺の身体は切断された。
「がっ⁉」
「か、なめ……さん?」
肩から下のすべてを消失する――けど気にせず、俺は倒れたシェリーに目を向けた。
『
「かなめ――さん?」
「ああ、俺だ!」
シェリーの身体を抱えて――すぐ傷の状態を確認する。
心臓は避けているけど……だめだ。
どう見ても致命傷。
すぐ治療しないと。
「……危ねえところだったな――神崎かなめ」
と。
俺がシェリーの傷の具合を確認していると――シェリーを攻撃した本人が、俺に話し掛けて来た。
俺はシェリーの身体を抱えたまま――そちらを見る。
「……なんでお前が――ここにいるんだよ」
そして。
コピー用紙のように白い吸血鬼の名を――口にした。
「――『
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