第三十二話 シェリーの過去
むかーしむかし……と言っても、二〇年ほど前のお話なのですが、一組のカップルがいました。
お互いのことが大好きで、お互いの嫌いなところは受け入れて、足りないところは補い合える――喧嘩しても必ず仲直りができて、毎日必ず一回は「愛している」と言い合う、そんな理想的な関係性を持った、理想的なカップルです。
とっても幸せそうなカップルでした。
二人から生まれた娘も、そう思うほどに。
仲睦まじいカップルは、娘に無類の愛を注いで育てました。ですので、娘も両親が大好きで、三人で過ごす日々が何よりも大切なものになっていました。
朝、三人で一緒の部屋で起きて、三人で一緒に朝ご飯を食べ、お父様が仕事に行ったあと、お母様は家事をして、娘はその手伝いをして、夕方、お父様が仕事から帰って来たら三人一緒に夕ご飯を食べ、一緒にお風呂に入って、一緒の部屋で寝る。
特別でもなければ贅沢でもない、他人から見たら至極当たり前のような日常でしたが、娘にとってそれはとても大切なものでした。
娘は幸せで、両親も幸せでした。
ですが周囲の人達の中には、三人を殺そうとする者がいました。
魔術の存在を知る者達です。
彼らは執拗に三人の命を狙いました。それは幸せが妬ましかったからではありません。娘の母は吸血鬼であり、娘の父は魔術師だったからです――吸血鬼と魔術師。人外と人間。本来なら殺し合う関係性にあるはずの両者が、愛し合い、愛を育む関係性になるのを、彼らは許せなかったのです。
たぁくさんの人たちが、二人とその娘の命を狙いました。
娘は何度も怖い目に遭いましたが、痛い思いをしたことは一度もありませんでした。
何故なら、自分たちを殺しに来た魔術師たちは、いつも両親に返り討ちにされていましたから。
魔術師達を返り討ちにし、その度に住んでいた根城を捨てて、世界を転々とする。それが娘の日常です。
不自由がなかったと言えば嘘になりますが、それでも娘にとっては、幸せな日常でした。
ああ、わたくしはなんて幸せなんだろう。
大好きなお父様とお母様に囲まれて、三人でいる時は必ず笑顔に溢れていて、嬉しい気持ちが溢れてきて。
この幸せが、永遠に続けばいいのに。
いつだったか、娘はそう願ったことがありました。
ですが、その願いは叶いませんでした。
何故なら大好きだった両親が、魔術師達に殺されてしまったからです。
一〇年ほど前のことです。
ある魔術組織の罠に三人は掛かり、絶体絶命のピンチに陥ってしまいました。
何百人という魔術師が参戦した、大規模な事件です。
わたくし達がいたという理由だけで街に火を放たれ、魔術のまの字も知らない人々が殺されました。
逃げ切れない――とわたくしは思いました。
何せ街の端から端は結界で覆われていて、これまで見たことがないくらいたくさんの魔術師が、赤い街を堂々と歩いていましたから。
生きている一般人は皆殺し。わたくしたちを殺すために皆殺し。
敵の異常性を見て、わたくしの両親も、逃げ切るのは不可能だと思ったようでした。
そして、二人は囮になって、わたくしだけを逃がそうとしました。
戦う――という選択肢は二人にはありません。何せ敵の数が多過ぎましたから。もしかしたら……二人だけだったなら戦うという選択肢はあったかもしれませんが、一〇歳だったわたくしに戦えるほどのチカラはありませんでしたから……守りながら戦うのは難しいと思ったのか、二人ともその選択肢を取ろうとしませんでした。
泣きじゃくるわたくしに――お父様は言いました。
三人じゃ逃げ切ることはできない。
自分が囮になるから、二人だけでも逃げろ――と。
嫌がるわたくしの手を引っ張って――お母様はお父様を置いて逃げました。
お父様を見捨てたわけではありません――わたくしを安全地帯まで逃がして、そのあとお父様を助けるために。
逃げて……逃げて逃げて……街の外れまで行った時に……わたくしは……お母様の知り合いに預けられました。
事前に連絡をしていたのでしょう。
『
生きなさい――と。
お父様とお母様がいなくても……あなたは生きなさいと。
生きて――そして幸せになりなさいと。
お母様はわたくしに言いました。
もちろん――わたくしは嫌がりました。何せ、ここで両親と別れてしまったら、もう一生会えないと、直感していましたから。
知り合いなんて一人もいませんでしたし。
独りで生きていける自信も――ありませんでしたから。
それでも――お母様はわたくしに言いました。
大丈夫――と。
生きていたらわたくしを愛してくれる人が――必ず現れるからと。
だからその人を探して――自分達のように幸せな家庭を築きなさい……と。
愛している。
それが。
それがお母様の……最後の言葉でした。
お母様は一方的にそう言うと……わたくしを置いて行ってしまいました。
わたくしは泣くことしかできなくて。
悲しくて、苦しくて、寂しくて、辛くて。
怖くて、痛くて、冷たくて――どうしたらいいのかわからなくて。ただただ泣きました。
泣いて、泣いて、泣いて。
涙が一滴も出なくなるまで泣いて。
そして――わたくしはこう思いました。
幸せにならないといけない。
そうしないと――二人に申し訳ない。
命に代えてでもわたくしを逃がし、笑いながら愛していると言ってくれた……お父様とお母様に……言い訳が立たない。
だから――その日から今日まで、わたくしは『
それがわたくしの両親の願いですから――わたくしの使命ですから。
だから……わかりましたか? わたくしがどうしてあなたに告白したのか。
わたくしは幸せにならないといけないのです。
かなめさん。
そう――あなたはわたくしを救ってくれるヒーローです。
わたくしを救う――王子様に違いありません。
断定できます。
それはあなたをずっと見ていたから――確信を持って言えます。
ええ……ええ……ですからどうか。
かなめさん。
神崎かなめさん。
「――どうかわたくしと、
話の締め括りに、シェリーはそう言った。
「わたくしと付き合ってください」
「…………」
「かなめさんとなら、お父様とお母様のような……幸せな家庭を築けると思います――いえ。絶対に築けますわ」
「……シェリーが、『幸福な家庭』を求めているのはわかった」
シェリーが両親と過ごした日々は。
彼女にとって――とても幸福な時だったんだと思う。
最終的に殺されたとしても――命を懸けて自分を逃がした両親を……シェリーは尊敬している。
だから死に際……いや、死に際じゃなくて別れ際か――に言った母親の言葉を……今でも大切にしている。
それはわかった。
「けど――なんで俺なんだ?」
俺はモテない。
小中と付き合いのあるゆーきは、最高で年に二〇回以上、違う異性に告白された経験があるが……俺は異性に好意を伝えられたことも、誰かと付き合ったこともない。
だから俺には――シェリーに告白された理由がわからなかった。
「命を助けたからか?」
「……もちろんそれもありますが」
訊くとシェリーは、少し恥ずかしそうにしながら言った。
「一番は……かなめさんが誠実だからです――かなめさんは誰にも……わたくしのことを伝えていませんし」
「? そりゃあ」
シェリーのことを裏切るつもりはなかったから……もちろん誰にも言っていない。
言っていないけど……シェリーはなんで今……断定した言い方をした?
「それにまだ短い間ですが……一緒に過ごしていて、とても暖かい気持ちになれたと言いますか……安心したからというのが理由でしょうか」
続けて上目づかいで、シェリーはそう言った。
「『
「ん?」
「わたくしのことを受け入れてくださいますか? かなめさん」
勇気を振り絞った顔をしてそう言われて――俺は考えた。
今のシェリーの言動に少し引っ掛かりを覚えたが――それでも考える。
他者に好意を伝えるのは――容易なことではない。
振られるかもしれない――その可能性を考慮したでの告白には、真面目に返事を考えるのが道理だろう。
だから俺は考えた。
「……告白してくれたことは、すごく嬉しいけど」
考えた上で――俺はこう返事をした。
「悪い。俺はシェリーの気持ちに――答えられない」
言うとシェリーは、時が止まったように固まった。
本当にショックというような顔をして……少しして、口を開く。
「……何故ですか?」
「レイラで手一杯だから」
俺は理由を説明した。
「俺はレイラの眷族で……あいつの世話をしないといけない――あいつが一人で生きていけないのは……見ていてわかるだろ? ……俺は好きでレイラの世話をしているけど……はっきり言ってレイラの世話をしながら恋愛とか……あいつ以外の誰かを優先して行動するとか……今の俺にはできない」
「……それでもいいです」
俺の返事に。
絞り出すように――シェリーは言った。
「『
「……気持ちは嬉しいけど」
俺は言った。
「悪い――それでもだめだ」
「そんな」
シェリーの瞳が潤む。
金色の瞳から涙が溢れようとしていたため――俺は本気で、シェリーが想いをぶつけてきたんだと思った。
けど――俺は誰とも付き合えない。
「どうしても……だめですか?」
「ああ――どうしてもだめだ……悪いけど」
「そう――ですか」
シェリーは両目から溢れる涙を拭いた。
右手の甲で、零れる涙を拭き取る。
それから彼女は笑った。
「……わかりました」
にっこりと。
無理矢理いつもの笑顔を浮かべて。
シェリーはこう言った。
「でしたら――強硬手段に出ますね?」
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