第九話 神崎勇騎

 ゆーきの登場に、『魔獣女帝エキドナ』は困惑した表情をしていた。

 試合中に、唐突に三歳児がコート内に入って来たのを見たような表情。

 『魔獣女帝エキドナ』は右手で掴んだバスケットボールと、ゆーきの顔を交互に見る。

 それから『魔獣女帝エキドナ』は言った。

「なんだ……お前……? 増援の魔術師……ってわけじゃねえよなあ……? 魔力の反応がまったくねえし……『霊装』を一つも持ってねえ……ってことはただの一般人か? ――おいおい勘弁してくれよ」

 と、『魔獣女帝エキドナ』はボールを持っていない方の手で、自分の頭を掻いた。

 面倒臭そうに。

 それから言った。

「消えな、ガキ……俺は男って生き物が大っ嫌いなんだけどよぉ……魔術と吸血鬼の世界に関係ない一般人は、男だろうが極力殺さないって決めてんだ……だから今すぐ消えろ――俺の気が変わらないうちに」

「どけよ」

「……あ?」

「今すぐ俺の親友の上からどけって言ったんだよ! 吸血鬼!」

 ゆーきの怒号に『魔獣女帝エキドナ』は信じられないものを見る目をした。

 いや、俺もたぶん同じような目をしていたかもしれない。

 帰ったはずなのになんでここにいる?

 なんでこのタイミングで登場する?

 そして登場していきなり、何をやっているんだ? 死にたいのか?

 ゆーきの発言に困惑する『魔獣女帝エキドナ』は『なんだこいつ?』と訊くように俺に目を向けた。一瞬だけ逡巡するように俺の顔を見て動きを止める。

 しかし、次の瞬間に溜息を一つ吐くと、嫌な笑みを浮かべて。

 それからゆーきの方に顔を向けて。

「『仔の権能・英雄殺しの猛毒ヒュドラ』」

「息止めろ!」

 『魔獣女帝エキドナ』がすることがわかったので、俺は叫んでゆーきに知らせた。

 次の瞬間、『魔獣女帝エキドナ』は黒い煙を吐く。

 その煙はすぐさまゆーきの全身を覆って、姿が見えなくなった。

「ゆーき!」

「はっ」

 ゆーきが何もできず煙に吞まれたのを見て、『魔獣女帝エキドナ』は鼻で笑う。

 しかし次の瞬間に、ゆーきがいた場所から火球が飛んで来た。

「……っ⁉」

 黒い煙を引き裂くように飛来してきた火球を、『魔獣女帝エキドナ』は跳躍してかわす。その火の玉は俺に直撃してもおかしくないルートで飛んで来たが、結果的にはあたらなかった。

 煙が爆発によって拡散されたので見ると、ゆーきの目の前には佐々木が立っていた。

 ゆーきの全身を結界で覆って。

 右手には燃える十字架を握って。

「…………」

 佐々木は空中にいる『魔獣女帝エキドナ』を睨み付けて、『魔獣女帝エキドナ』は舌打ちをして右手を佐々木の方へ向ける。

 また右腕を蛇にでも変えて攻撃しようとしたのだろうが――しかし『魔獣女帝エキドナ』が何かをする前に、その右腕は肘辺りから切断された。

「何っ⁉」

 肘から先を切断されて、『魔獣女帝エキドナ』は驚いた顔をする。そして切られた肘へ目を向けた一瞬で、見えない糸によって首を切り落とされた。

「あ」

 あまりにもあっさりと、軽い感じで頭が飛んで行って、首から下の部分は重力に従って地面に落ちる。

 『魔獣女帝エキドナ』の身体が地面に落ちて大量の血液をぶちまけて、そのまま動かなかった。その隙に佐々木は結界を解除して、ゆーきと一緒にこちらに駆け寄って来る。

 斬首した本人である海鳥も、俺のところに近寄って来た。

 ゆーきは近付いてくると、俺に向かってこう言った。

「かなめ、大丈夫か⁉」

「ああ」

 傷を負っても無効化できるから、俺は何も問題ない。

「つーかお前、なんでこんなところにいるんだよ? 帰ったんじゃないのか?」

「えっ。いや帰ったけど」

 訊くと、ゆーきはあっさり答えた。

「途中であのお姉さんが森の中に入って行くのが見えたからさ……気になって付けて来たんだよ……金髪金眼が吸血鬼の特徴って聞いていたし……なんか滅茶苦茶嫌な予感がしたから」

「…………」

 そんな理由でここまで来たのか。

 嫌な予感がして放っとけなくなったっていうのは、ゆーきらしい理由っちゃあ理由だけど……命の保証がないのに、よくやる。

 放っとけよ、それくらい。

「海鳥、佐々木……どっちでもいいからゆーきを安全地帯まで連れて行け。タイミングよく現れてくれたのはいいけど……これじゃあ戦力減だ」

「ちょっと。その言い方はないんじゃない?」

 言うと、佐々木が俺に噛み付いて来た。

「ゆーきくん、あんたの親友でしょ?」

「守りながら戦う余裕があるか?」

「…………」

「そういうことだ――とりあえず、ゆーきを連れて逃げろよ。こっちはレイラがくるまで時間稼ぎできたらいいんだから」

 ――そう言いながら俺はレイラの気配を探って。

「……とっとと」

「……逃げれると思ってんのか?」

 と、首が繋がった『魔獣女帝エキドナ』が起き上がった。

 ゆらあー……っと。映画やゲーム世界のゾンビのように、ゆっくりと立ち上がる。

 『魔獣女帝エキドナ』は首を押さえながら言った。

「あー……いってぇ。……油断しているつもりはなかったが、まさか首を切り落とされるとはなぁ……思ったよりもやるじゃねえか」

 押さえている首は傷跡を残さず再生していた。

 再生する瞬間を見ていたが、時間が巻き戻るみたいに、ぶちまけた血液も飛んで行った首も、自動的に戻って再生していた。

 二〇秒弱。

 即死級の攻撃を喰らってもそれくらいで傷が治るのはさすがだけど、俺やレイラほど速いわけじゃないなら……付け入る隙はある。

 けど、一つ問題が発生した。

「ま、さすがにこの程度じゃ死なねえけどな? ――けど追撃してこねえとはどういうことだ? ……あくまで『第二の人外シルバー・ブラッド』が到着するまで時間稼ぎに徹するってか? ったく。確かにそれが一番てめえらにとって一番勝率が高い択だろうけどよぉ――あ? おい」

 と、『魔獣女帝エキドナ』も俺が気付いた問題に気付いたのか、疑問の声を発した。

「……『第二の人外シルバー・ブラッド』は何してんだ? 俺の仔を全滅させてんのに……なんでこっちにこねえ?」

「え?」

「え?」

「…………」

 そう。

 反応を見るに、海鳥と佐々木は気付いていなかった様だが、『魔獣女帝エキドナ』が言うように、レイラはもう足止めに向かったクリーチャーズを全滅させている。

 しかし何故か、全滅させてもこっちに向かわず、その場でじっとしているのだ。

 反応はあるが……寒気がするほどの重圧もなくなっている。

 ……何をやっているんだ? レイラ? 何かあったのか?

「……お前の指示かよ? 神崎かなめ」

 『魔獣女帝エキドナ』がそう訊いてくるということは、『魔獣女帝エキドナ』の仕業じゃない。

 けど――じゃあなんだ?

 なんでレイラは動かない?

「……よくわかんねえが――まあ、こねえなら好都合だ」

 考えていると、『魔獣女帝エキドナ』はそう言って笑った。

 瞬間『魔獣女帝エキドナ』の姿が消える。

「『仔の権能・人間特攻パイア』」

 そしてその声が聞こえたと思ったら、いつの間にか海鳥の前まで移動していた『魔獣女帝エキドナ』が、海鳥の身体を殴り飛ばした。

「かはっ⁉」

「さつき!」

 海鳥の身体がノーバウンドで一〇メートル以上飛び、ぶつかった木の幹を一発でへし折る。そのまま海鳥は受け身を取れずに、地面に倒れた。

「このっ‼‼‼」

「『仔の権能・武器特防ネメアのしし』」

 佐々木が燃える十字架で『魔獣女帝エキドナ』に殴り掛かる。しかし『魔獣女帝エキドナ』はライオンのクリーチャーズの名を呟くと、振り下ろされた灼熱の一撃を右脚一本で受け止めた。一切の外傷なく、両者の力が拮抗するようにぎりぎりと十字架は少し揺れるが、『魔獣女帝エキドナ』が思いっ切り右脚を上げると、十字架は佐々木の両腕から離れて空高く舞った。

「『仔の権能・文明神の災火エトン』」

 そう言うと右脚が燃え上がる。佐々木の十字架のように轟々と燃える右脚で、『魔獣女帝エキドナ』は武器を失った佐々木を狙う。

「くっ‼」

 しかし、黙ってやられる佐々木ではない。

 十字架が手から離れて、宙に浮いた不安定な状態でも、佐々木は掌に炎の球を生み出した。

 そして燃え上がる『魔獣女帝エキドナ』の脚に、そのまま火球をぶつけようとしたが――

 直前で背後にゆーきがいることを思い出して、その攻撃を中断した。

「……っ⁉ スト――」

あめえ‼」

 火球を消した佐々木に、『魔獣女帝エキドナ』は躊躇なく蹴りを叩き込んだ。

 まともに一撃を喰らった佐々木はゆーき共々、爆炎に包まれて姿が見えなくなる。

 炎の熱と光がこっちまで伝わってきて、俺はとっさに顔を手で覆った。

 通常だったら、今の一撃で人の身体は原型を留めないだろうし、佐々木はともかく、魔術を使えないゆーきは確実に死んでいるだろう。……が、

「……へえ」

 と、『魔獣女帝エキドナ』は感心した声を出した。

「守り切ったか」

 見ると、佐々木はまたもやゆーきの周囲に結界を展開して、ゆーきを『魔獣女帝エキドナ』の炎から守った。

 自分は直撃を受けて煤だらけになっているが――手足は一本も欠けていないし、激しい火傷を負っている様子もない。

「不便そうだな、魔術師」

 『魔獣女帝エキドナ』は結界に背を預けるようにして、なんとか立っている状態の佐々木に言った。

「その男を守らなきゃ――てめえは無傷だっただろうに」

「……そりゃ守るわよ。こいつは一般人なんだから」

「そうかい――『仔の権能・人間特攻パイア』」

 そう言うと『魔獣女帝エキドナ』は佐々木の腹に蹴りを叩き込んだ。

 何発も。

 何発でも。

「ぐっ……ぐふぅ……!」

「しかし面倒臭ぇなあ、『変身術』。防御力が高過ぎてお前達殲鬼師せんきしは俺でも簡単に殺せねえ。……俺の怪力に『魔猪パイア』の『人間特攻』を上乗せして、数発叩き込んでようやく貫通するからな」

「……そりゃあ、『人外殺し』が開発した魔術だからね」

「――その名前を口にすんじゃねえよ」

 佐々木が『人外殺し』の名を口にすると、『魔獣女帝エキドナ』は途端に機嫌が悪くなった。

 こちらから表情は見えないが、『魔獣女帝エキドナ』は無言で何度も佐々木に蹴りを入れる。佐々木は何度蹴られても耐えて結界を維持していたが、一〇発を超えた辺りから立っているのが困難になって、徐々に座り込んで行き、最終的に頭を踏み付けられるように蹴られて、結界を維持できなくなって倒れた。

「佐々木‼ このっ‼」

 結界を壊されたゆーきはそう叫んで、『魔獣女帝エキドナ』にバスケットボールを投げ付けた。

 俺はそこで殴り飛ばされた海鳥を見る。

 倒れ込んでいる海鳥は俺の視線に気付いた。

「あん?」

 またボールを投げ付けられた『魔獣女帝エキドナ』は、眉をひそめながら軽々とボールを受け止めた。

 大柄なゆーきが思いっ切り投げたボールはかなりの速度と威力を保持していたはずだが、一般人レベルの範疇を超えないゆーきの一撃は、無力に等しかった。

「おいおいなんだこら? ……てめえから殺して欲しいのかぁ? ――だったら最初からそう言えよ」

 言って『魔獣女帝エキドナ』はバスケットボールを潰して、佐々木の頭を踏み付けたまま、ゆーきに一歩近付く。

 ゆーきは思わず一歩下がった。

「くっ」

「怖いか? けど――後悔してももう遅い……恨むならさっき逃げなかった、てめえを恨むんだな」

 『魔獣女帝エキドナ』はもう一歩前へ足を進める。

 ――さすがに黙って見ているわけにはいかなくなったので、俺は背を向ける『魔獣女帝エキドナ』に不意打ちを仕掛けた。

 が。

「……っ⁉」

「……気付かねえと思ったか?」

 心臓を貫かれた。

 振り向きざまに『魔獣女帝エキドナ』は、手刀を俺の胸に叩き込んで、俺は口から血を吐く。

 腕は前腕部までねじ込まれた。

 ……その状態のまま、『魔獣女帝エキドナ』は腕を少し回す。

「……がっ⁉」

いてえか? いてえよなあ? ……吸血鬼がいくら不死身だっつっても、別に痛みに強いわけじゃないからなあ?」

 言いながら『魔獣女帝エキドナ』はぐりぐりと腕を動かす。

 俺は吐血しながらも――『魔獣女帝エキドナ』の腕を左手で掴んだ。

 出血した血液は、体外に出る度に蒸発してなくなる。

「……ところで気分はどうだ? 神崎かなめ――期待していた『第二の人外シルバー・ブラッド』は何故かこねえ。殲鬼師二人は沈んで、てめえの親友はくその役にも立たねえお荷物状態で、てめえの胸には今穴が開いている……最悪の気分だろ?」

 この状況で勝利を確信しているのか、愉悦の表情でそんなことを言う『魔獣女帝エキドナ』。

 そんな『魔獣女帝エキドナ』に、俺は言った。

「……いや……そんなに悪い……気分じゃない」

「……あ?」

「それにゆーきは――まあ、俺もお荷物だって思っていたけど……その評価……改めた方がいいぞ?」

「――――」

 俺の発言に『魔獣女帝エキドナ』は一瞬、時が止まったような表情をした。

 恐らく、ここから形勢逆転される可能性を考えたのだろう。

 それから『魔獣女帝エキドナ』は言った。

「馬鹿が。魔力を持たねえ一般人に何ができる?」

「その発言は侮り過ぎだ」

「あ?」

 ただの一般人でも、できることは色々あった。

 例えば――詰み状態だった俺を、ボールと声だけで救ったり。

 例えば――俺がゼロ距離で心臓を貫かれる、この状況を作ったり。

「うおっ⁉」

 と。

 ゆーきは唐突に叫んだ。

 ゆーきの奇声に、『魔獣女帝エキドナ』は驚いて振り返る。

 するとゆーきの身体は一本釣りされたかつおのように、見えない糸に引っ張られて宙を飛んでいた。

 『巨狼封じの紐グレイプニル』。

 海鳥が扱う『霊装』。魔術。

 今まで俺に付けていた糸をゆーきに付け替えて、海鳥が自分のところに引き寄せたのだ。

 ゆーきの身体が海鳥のところまで飛んで行くと、海鳥は『魔獣女帝エキドナ』に気付かれないように俺の周囲に張り巡らせた糸を光らせて、結界を張った。

 そのまま結界内に張り巡らされた糸はひとりでに文字に変形する。そして光量を増す。

 俺は『魔獣女帝エキドナ』に逃げられないよう、左腕に力を込めた。

 何をするかわかったらしい『魔獣女帝エキドナ』は、こちらを向いて言った。

「これがてめえらの策か? 策って言うには陳腐だな――『仔の権能・武器特防ネメアのしし』」

 佐々木に足を掴まれるも、そう言って『魔獣女帝エキドナ』は余裕に笑みを浮かべる。

「これであらゆる武器は俺に効かねえ――魔術による爆発もだ。……さて、ここからどうする? どうやって俺を倒す?」

「いや別に――この程度で倒せるだなんて、思っていないけど?」

「あ?」

「よくわかんないけど」

 糸が更に増殖してひとりでに文字を象る中、俺は金色の瞳を見て、言った。

「お前、クリーチャーズを生み出す以外に、クリーチャーズの能力を使えるんだろ? けど――同時に複数個は扱えない。ライオンの『武器特防』を発動している時は、ほかのクリーチャーズの能力は発動できないし、大蛇の毒を発動している時はライオンの『武器特防』は発動できない。そうだろ?」

「……だからどうした?」

「誘導したって言ってるんだよ。お前がこの場面でライオンの能力を発動するのはわかっていたし――ありがとうよ」

「あ?」

「俺をナメていてくれて」

 そう言って俺は『魔獣女帝エキドナ』の心臓を貫いた。

「がっ⁉」

「……火力が低くても、これくらいはできるぞ?」

 反撃されると思っていなかったのか、『魔獣女帝エキドナ』は鳩尾を貫いた俺の腕を見て、目を見開いた。

 それから吐血をする。

「吸血鬼はいくら不死身だって言っても……痛みに強いわけじゃないからなあ?」

「て……めぇ……⁉」

「ああそうそう――あと、一つ質問があるんだけど」

 文字を象った糸が結界内を埋め尽くして。

 目が痛くなるほど光量が増えて。

 目の前にある、『魔獣女帝エキドナ』の怒りと苦痛の表情が、光で潰されて見えなくなったが。

 俺は構わず訊いた。

「……心臓を貫かれる激痛に耐えながらも、クリーチャーズの能力って、発動できるのか?」

 直後。

 結界の中で大爆発が何度も起った。

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