第七話 『魔獣女帝』

 『魔獣女帝エキドナ』。

 クリーチャーズの生みの親。

 数日前に『第一の眷属』と共に俺達の前に現れ、この街で起こった『連続女性変死事件』の犯人と宣言した、レイラの次に危険視される吸血鬼。

 世界に八人しか残っていない、『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属の一人。

「…………」

 『魔獣女帝エキドナ』は俺の方を見て、ただ笑っているだけだった。

 人を侮蔑した目。

 人を軽蔑した目。

「海鳥」

 対して。

 俺が取った行動は単純だった。

「走るぞ!」

 『魔獣女帝エキドナ』に背を向けて走る。

 警戒して構えていた海鳥の手を引っ張る。

 海鳥は慌てた声を出した。

「え、かめくん逃げるの⁉」

「別に逃げてない」

 手を離すと、海鳥はポケットからスマホを取り出す。

 それを横目で見ながら、俺は言った。

「ただ、場所を移すだけだ」

 海鳥は画面を触るとスマホをすぐ仕舞って、前を向く。

 ……と。

「おいおい――いきなり逃げんのかよっ⁉」

「……っ⁉」

 『魔獣女帝エキドナ』がすぐさま追い掛けて来た。

 どこから出て来たのか、先程倒した大蛇と、同じ姿のクリーチャーズの頭に乗って。

「……どこから出した」

 さっきまで、『魔獣女帝エキドナ』の反応しかなかった。

 感知範囲外から近付いて来たとかじゃない。異空間から現れたみたいに、唐突に大蛇の魔力の反応が現れやがった。

「……『母なる権能』」

 と、海鳥はぼそりと呟いた。

「『魔獣女帝エキドナ』はギリシャ神話に登場する『魔獣達の母』の名前を冠した吸血鬼。神話上の存在と同一の名を持つ彼女は……神話上のエキドナが生んだ『仔』と、同じ特徴を持った怪物を生み出せるの」

「……エキドナの『仔』」

 『仔』とはきっと、クリーチャーズのことを言っているのだろう。それはわかった。

 けど。

「だとしても……こんなすぐ生み出せるのかよ⁉」

「わからないよ⁉ 私も見たことないんだから!」

 海鳥は声を荒げてそう言った。

 その声と表情から、余裕がなく、慌てているのがわかった。

 海鳥は一瞬だけ振り返って、ワイヤーを周囲一帯の木々に巻き付ける。

「あぁ⁉ そんな糸で止められると思ってんのか⁉」

 しかし『魔獣女帝エキドナ』はワイヤーを気にせず、意に介さず、一切減速しないまま突っ込んで来て――その時、俺は見た。

 『魔獣女帝エキドナ』が自分の右腕を――唐突に大蛇に変えて、先に突っ込ませて、ワイヤートラップを強引に破壊しようとしたのを。

「――『ラップ』‼」

 起爆。

 海鳥の声と共に、設置されたワイヤーがすべて光り、爆発を起こす。

 爆発の威力は『魔獣女帝エキドナ』と二頭の大蛇を余裕で飲み込む範囲だった。

 が。

「ははははは! いてえじゃねえかよ!」

 その程度で『魔獣女帝エキドナ』は止まらなかった。

 怯まない。

 爆炎の中から出て来た『魔獣女帝エキドナ』は、広範囲の部分に火傷を負いながらも、嬉々として笑いながら突進して来た。

 全身の損傷は時間が巻き戻るように瞬時に治る。身に着けている衣服も身体の傷と一緒に再生した。

 と――そこで魔力の反応が八つに増えた。

「っ⁉」

 振り返ると、大蛇の数が七頭に増えている。

 釣られて海鳥もチラッと背後を見ると、慌てて右腕を構えた。

「……っ‼」

「海鳥。ワイヤートラップはいいから走れ。致命傷どころか足止めにもならないし、無駄に魔力を消費するな。……少し疲れてるだろ? お前」

「……確かにさっき魔力ちょっと消費しちゃったから、少し疲れてるけど……けどこのまま逃げてどうするのさ⁉ 状況何も好転しないよ⁉」

「だから――場所移すだけだっつっただろ」

 俺は言った。

「この先に広場があるから――そこで戦う」

「……場所移す意味あるの?」

「あるから移動してる」

 言って走って――俺と海鳥は森を抜けて、別の広場に出た。

 以前、レイラ達と一緒に、大量発生したクリーチャーズを殲滅した広場。

 この森で一番広い広場。

「……急に逃げ出すからどこに向かうかと思えば……なんだ? この広場に何かあるのかよ?」

 広場の中心地点に辿り着いて振り返った俺と海鳥に、『魔獣女帝エキドナ』は乗っていた大蛇から降りて言った。

 そして人を見下した目を俺達に向けて――笑う。

「……それともあれか? ――俺から逃げられねえって察して、諦めたのか?」

「好きに判断しろよ――お前がどう判断しようが、俺はどうでもいい」

「ああ、そうかい」

 『魔獣女帝エキドナ』を先頭にして、その背後に、七頭の大蛇が壁のように並ぶ。

 ある大蛇は舌をチロチロと出して、ある大蛇は牙を見せてこちらを威嚇して、ある大蛇は頭を上下左右に動かし、周囲を見渡すようにした。

「まあ――俺もどうでもいんだけどな? お前に策があろうがなかろうが……俺がすることは一緒だ」

「目的はレイラだろ?」

「あ?」

「レイラへの復讐」

 俺は言った。

「『革命戦争』――『人外殺し』と共に『第一の人外ゴールド・ブラッド』を殺したレイラへの復讐……それがお前の目的なんだろ? 『魔獣女帝エキドナ』」

 『第一の人外ゴールド・ブラッド』。

 『第二の人外シルバー・ブラッド』の異名を持つ、レイラと対をなす吸血鬼で、『人外殺し』と呼ばれる魔術師と共に一〇年以上前に退治された、二人いた人外の片割れ。

 『第一の人外ゴールド・ブラッド』が退治されたために『魔獣女帝エキドナ』は『人外殺し』とレイラを恨んでいる。そして二人に復讐するために行動していると聞いたため、彼女の目的は十中八九『レイラへの復讐』と見て問題ないだろう。

 ……そう思ったため、俺はそう言ったのだが、

「ああ――俺の目的か」

 と、俺の言葉に『魔獣女帝エキドナ』はつまらなさそうに返した。

「惜しいな……惜しい。確かに『第二の人外シルバー・ブラッド』に復讐すんのが俺の目的だが……今日はそのために来たわけじゃねえ」

「……あ?」

 違う?

 今日はそのために……ここに来たわけじゃない?

 じゃあ、なんのためにここに来た?

 と思っていると――上空から魔力の反応があった。

「――あ?」

 『魔獣女帝エキドナ』も魔力の反応に気付いたようで、視線を俺と同じように上に向ける――するとその瞬間落下して来た『それ』によって、『魔獣女帝エキドナ』の身体が爆炎に包まれた。

 爆発。

 吸血鬼を一撃で葬る火力。

 身を持って経験したことがある一撃。

 『魔獣女帝エキドナ』と違って直撃したわけではないが、余波で広がった炎に巻き込まれた大蛇は悶え苦しんだ。

 七頭いた内の三頭は、頭部が焼けて絶命する。

「――ごめん! 間に合った⁉」

 見ていると、空から『魔獣女帝エキドナ』に十字架を投擲した本人が、そう言って地に着地した。

 佐々木莉愛りあ

 魔法少女の格好をした魔術師。

 三メートル大の十字架を武器とする殲鬼師せんきしで、海鳥と同じ組織に属する仕事仲間。

 ……さっき海鳥がスマホをいじっていたから、応援要請をしていたのはわかっていたけど……予想よりも早い登場だったな。

 連絡して五分も経っていない。

 ブオォン――と、爆発地点から十字架が自動的に佐々木の手の内に戻っていく。

 しかし。

「へえ……大した火力じゃねえか」

 声がした。

 炎の中から。

 必殺の一撃を受けたはずの――一撃で肉体を灰に変えられたはずの吸血鬼の声がした。

「十字架――いや、こりゃ元々は『つち』だな。……高温の熱を帯びる灼熱の鎚。自動的に使用者の元に戻る回帰性。短いつか……『霊装』のモデルは北欧神話の雷神、トールが持つハンマーだな?」

 その声は熱を一切感じてなさそうな、涼しげな声だった。

 数千度はある空間の中にいるはずなのに、『魔獣女帝エキドナ』の声は、苦しんでいる感じは一切なかった。

「珍妙な格好をしているが……じゃあその手袋は『鉄の手袋ヤールングレイプル』、腰のリボンは『力の帯メギンギョルズ』か……そういや昔いたなあ。同じ『霊装』を持った魔術師が」

「……っ‼」

 無傷。

 佐々木の十字架をまともに喰らったはずなのに、炎の中から出て来た『魔獣女帝エキドナ』はまったくの無傷だった。さっきみたいに再生したわけじゃない。そもそも、傷を負っていなかった。

「リアちゃん」

「……わかってるわよ」

 『魔獣女帝エキドナ』の発言に一瞬眉を上げて殺気を全開させる佐々木だったが、海鳥に名前を呼ばれて引き留まった。

 ……姿勢が前のめりになっているから、今にも殴り掛かりそうな雰囲気はあるけど。

 俺は武器を構える二人に言った。

「海鳥、佐々木……倒そうとするなよ。時間を稼ぐことだけ考えろ」

「……あ?」

「は?」

「……どういうこと、かめくん?」

 俺の発言の意図がわからなかったようで、『魔獣女帝エキドナ』を含む三人は怪訝そうな目を俺に向けた。

 『魔獣女帝エキドナ』は俺に言う。

「なんだぁ……? 俺はてっきりそのガキの奇襲が策だと思ったんだけどよぉ……まだ何かあんのか?」

「すぐわかる」

 俺がそう言った直後のことだった。

 『魔獣女帝エキドナ』は眉を顰めてこちらを見ていると、ゾッ――と。

 周囲の気温が下がったような悪寒がした。

 その悪寒は二人の殲鬼師と『魔獣女帝エキドナ』も感じたようで、三人はハッとした表情をした。

 悪寒の発信源は俺の家がある方向から。

 俺の背後に広がっている森の方向から――無数の鳥が一斉に飛び立った。

「……そういうことかよ」

 俺の狙いがわかったようで、『魔獣女帝エキドナ』はそちらを見て目を細めた。

 そのあと金色の瞳で、俺を睨んでくる。

「なんのために移動したかと思えば……ここに『第二の人外シルバー・ブラッド』を呼ぶためか」

「そう……ここはレイラの魔力感知範囲内だからな……あと一、二分くらいでくるんじゃないか?」

 家からここまでは少し距離が離れているが、レイラの足だったら二分あれば、ここに到着する。能力を使えばもっと早いだろう。

 『魔獣女帝エキドナ』は俺の狙いを見抜けなかったことが癇に障ったのか、歯ぎしりして舌打ちをした。

「チッ――『毒水蛇ヒュドラ』!」

 そう叫ぶと『魔獣女帝エキドナ』は両腕から大蛇を生み出した。

 その数、元いた四体も合わせて、合計一〇体。

 一瞬にして一五メートル大の大蛇が、複数体誕生する。

 そしてそう言うと同時に、大蛇はその場で穴を掘って地中に潜った。

 魔力の反応から、大蛇達がレイラのいる方角に向かったのがわかる。

「……一〇体程度じゃあ、数分しか足止めできないぞ? あいつが到着するのが二分から五分くらいになるだけだ」

「五分あれば十分だな……さて――まずはガキ二人を殺すか」

 『魔獣女帝エキドナ』はそう言って凄惨な笑みを浮かべる。

 俺は役割分担をわかりやすくするため、前方へ出ると、同じように佐々木も一歩前へ出た。

 視線を『魔獣女帝エキドナ』に向けたまま、俺は佐々木に言う。

「おい、時間を稼ぐことだけ考えろって言っただろ――下がれよ」

「うるさい。なんであたしがあんたの指示に従わないといけないのよ」

 そう言って佐々木は後ろに下がる気配がない。

 ……俺の考えが理解できていないわけじゃないだろうが、ここで下がらないということは、佐々木は個人的に、『魔獣女帝エキドナ』に何かしらの因縁があるのだろう。

 正直、私情で戦われるのは面倒だが……まあ、別にいいか。

 因縁があるなら、好きにすればいい。

 それに対して俺がどうこう言う必要はないし、俺がすることは特に変わらない。

 隣で十字架を構え直す佐々木に、俺は言った。

「先に言っとくけど、足引っ張るなよ?」

「あんたに言われたくない」

 そう言うと同時に佐々木は自分の身体をふわっと浮遊させて、『魔獣女帝エキドナ』に向かって突っ込んで行った。

 続いて、俺も突っ込む。

 対して、『魔獣女帝エキドナ』は勇者を迎え撃つ魔王のように笑って、両腕を広げた。

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