第五話 海鳥の能力

 海鳥皐月。

 黒を基調とした、忍のような格好をした殲鬼師。

 武器は右腕全体に巻かれたワイヤーのような繊維で、海鳥はそれを四方八方に張り巡らして結界を張ったり、物理的な刃物として使ったりする。

 海鳥とは過去に一度だけ戦ったことがあるが、しかし、俺は彼女が扱うワイヤーが具体的にどんな魔術なのか、どういう効果を持っていてどんな超常現象を引き起こすのかは、実は知らなかった。

「『巨狼封じの紐グレイプニル』」

 と。

 海鳥は右手を前に突き出したままそう言った。

 同時に、右腕から無数のワイヤーが自動的に動き出す。

 目に見えるか見えないかのレベルの極細の繊維が、右腕を中心に放射状に広がって、大蛇の姿をしたクリーチャーズに襲い掛かった。

 が。

「ありゃ?」

 大蛇は飛び出した穴の中に潜って行った。

 数本のワイヤーが潜る大蛇の身体に当たるが、肉体相応の大きさの鱗を数枚弾き飛ばす程度で、ダメージらしいダメージは与えられなかった。

 逃げた。

 わけではないだろう――大蛇の姿が見なくなってからすぐに、俺が立つ土の下から魔力の反応が広がったため、俺は勢いよく後ろに跳んだ。

 その瞬間にさっきまで俺が立っていた場所に、大蛇が大口を開けて飛び出す。

「……俺を狙うのかよ」

 避けて、俺は天に昇る龍のように土の中から飛び出した大蛇を見た――大蛇は一〇メートルほど上空へ身体を伸ばすとぴたりと止まり、こちらに向けて再び突っ込んで来た。

 再度、俺は後ろに跳んで攻撃をかわす。

 一直線に突進して来た大蛇はそのまま地面に衝突して土煙を上げた。大蛇の身体全体が隠れるほどではないが、頭部が隠れるほどの規模の土煙が舞い上がる――と同時にすぐさま方向転換して、俺を追跡して来た。

 可動域限界まで広がった蛇の口内が、目の前に広がる。

 勢いよく後ろに跳んだため、俺の身体はまだ宙に浮いている状態であり――これは避けられないな――と俺は思った。呑み込まれたあと、俺が取れる選択肢は何か――以前レイラがやったように、腕力で大蛇の身体を内側から破れるかどうか――と思考を巡らしたところで、

「『巨狼封じの紐グレイプニル』‼」

 という、海鳥の叫び声が聞こえた。

「うおっ⁉」

 同時に、身体を強引に引っ張られる。

 急激に運動エネルギーが働いて、右へ勢いよく引っ張られた俺の身体は、そのおかげで大蛇に飲み込まれずに済んだ。

 ……その代わりに、雑草が生えた土の上を何度もバウンドしたが。

 ただの人間だったら何本か骨が折れている。

 俺は上半身を起こして海鳥に言った。

「……何するんだよ?」

「いやファインプレーでしょ?」

 俺の身体を引っ張って、自分のところまで引き寄せた海鳥は、不服そうにそう言ったのだった。

 どうやって俺の身体を引き寄せたのか気になったので、座った状態のまま背中に目をやると……背中の数ヶ所に、海鳥の扱う繊維が何本か、くっ付いているのが確認できた。

 さっき大蛇に向かって飛ばした繊維よりも少し太い、肉眼ではっきりと見える太さの、糸と表現できる繊維が。

 引っ張られるまで気付かなかったが、背中にくっ付いている糸からは、魔力の反応がした。

「……いつ付けたんだ?」

「ん? かめくんの首が飛んだ時だよ? 一応付けっぱなしにしてたの」

 あの時か。

 意識が戻った時に隣にいたから、糸で引き寄せたことは予想していたけど……あの時に付けっぱなしにしていたのか。

「――ッ‼」

 大蛇がまた俺に向かって突っ込んでくる。

 対して、海鳥は後ろに跳んだ。

 俺に糸を付けたまま。

「ちょっ⁉」

 ――と待て! ……と叫びたかったが、声を発する間もなく俺は問答無用で引き摺られて行った。

 大蛇の狙いを外すために、海鳥は左右交互に角度を付けながら、バックステップで下がる――そのおかげで俺の身体は大蛇に一度も噛み付かれなかったが、力任せに急に方向転換する所為で、俺は一度もうまく受け身を取ることができず、土の上を何度も撥ねた。

 ひと際脚にチカラを込めて、海鳥は大きく後ろに跳ぶ。

 その一跳びで一〇メートル以上滞空して、海鳥は広場から少しだけ森の中に入った場所に着地した。

 俺はもちろん受け身を取れず、背中を思いっ切り地面に強打して着地する。

「ぐへっ!」

「『巨狼封じの紐グレイプニル』」

 着地してすぐにそう言って、海鳥は前方に繊維を張り巡らせる。

 肉眼でなんとか見える細さのワイヤーが、木々を絡めて蜘蛛の巣のように展開された。

 ワイヤートラップ。

 人が突っ込んだらあっという間にサイコロステーキになるワイヤー。鋭利な刃物と呼んで差支えのない切れ味を持った罠が展開されると同時に、大蛇が真正面から突っ込んだ。

 全身を覆う鱗のおかげか、大蛇がサイコロステーキになることはなかった――大質量が高速で突っ込んで来たため、蜘蛛の巣のようなワイヤーがぐぐぐ……と伸びる。クリーチャーズの怪力でもワイヤーを引き千切れず、頭部を押し付けたまま大蛇の身体は止まった。

 ピタ――と大蛇の動きが止まる。

 しかし、それは一瞬だけだった。

 ワイヤーは切れなかったが、周囲の木々の方が耐えられなかった。

 支柱となっている木々が折れて、一〇〇キロ以上は余裕である無数の木を引き摺りながら、大蛇はこちらに向かって突っ込んでくる。

 海鳥は更にワイヤーを展開しながら後ろに下がった。

 大蛇は問答無用で突進してきたが、何度もワイヤートラップに引っ掛かっているため、流石に速度は落ちた。

「……『巨狼封じの紐グレイプニル』――」

 と、海鳥は大蛇が鈍重と言える速度まで落ちたところで、十分に距離を取って、静かにそう言った。

 すると大蛇の長い身体に絡んでいるワイヤーが淡く光り始めて、ワイヤーの所々が自動的に動いて、見たことのない文字を形作って――

「――『ラップ』‼」

 爆発を起こした。

 大蛇を中心に爆炎が発生して、熱風と衝撃波が肌を突き抜ける。

 一面煙の景色を見ながら、俺は言った。

「……やったか?」

「うーん、残念ながらまだだね」

 煙が晴れると海鳥が言った通り、大蛇は健在だった。

 身体を焼かれて鱗は剥がれ、肉は抉れて骨が見える。

 しかし、それでも大蛇は健在だ。

 再生が始まる。

 時間が巻き戻るように、大蛇の肉体はみるみる修復されていく。

 ものの数秒で火傷と裂傷は完治する。

「……確かに速いな」

「だから言ったでしょ? 『毒水蛇ヒュドラ』はクリーチャーズの中で一番不死力が高いって」

 かめくんほどじゃないけど――と海鳥は付け足した。

 と、そこで大蛇が煙を吐く。

 爆発で生じた煙とは異なる黒い煙。

 周囲に漂うそれを見て、俺は言った。

「……毒か」

「あ」

 一呼吸したら意識が飛んだ。

 そのあとすぐ意識が戻ったが、気が付くと俺は、海鳥と一緒に木の上にいた。

 どうやら運んでくれたらしい。

「もう、かめくん油断し過ぎ」

 海鳥は俺に付けていた糸を外してそう言った。

 確かに、毒とわかっていて息を止めなかったのは俺が悪いけど……海鳥が逃げなかったから、避けるって考えがなかったな。

 俺は思ったことを訊いた。

「なんで海鳥には効いていないんだよ?」

「え? だって『対毒術式』あるし」

 俺と同じように、毒の煙の中で呼吸をしていたはずの海鳥は、当然のことのようにそう言った。

殲鬼師せんきしってね? 基本的に一人で吸血鬼と戦うことを前提にしているの……だから最低でもクリーチャーズ全種類に対抗できるだけのすべを習得して、自分の『変身術』に組み込んでいるんだけど……その一つで習得必須なのが『毒水蛇ヒュドラ』対策のための『対毒術式』――これがないと一発アウトだからねー」

 海鳥の話を聞いて、俺は姉の話を思い出した。

 『人を人のまま、身体を吸血鬼と同等の戦闘能力値まで引き上げる魔術』が『変身術』だと。だから高温低温、毒や呪いの耐性、そのほか色んな能力の付与や強化が『変身術』の特徴だと。

 全属性、全方位に特化した対吸血鬼用の魔術。

 それが『変身術』。

 正式名称――『多重装甲型駆動結界』。

「じゃあ、毒以外も対策しているのか」

「色々あるよー? 『丈夫獅子ネメアのしし』の『武器特防』対策のための『身体能力強化術式』。『混合獣キマイラ』や『神食鷲エトン』の『火炎』対策の『対火術式』。高い不死力と『不眠』を持つ『百頭蛇ラドン』対策のための『魔力消費軽減術式』……エトセトラ、エトセトラ。クリーチャーズ対策もだけど、『第一の人外ゴールド・ブラッド』の眷属も色々いるし、かめくんみたいに新しい眷属が作られる可能性もあるからねー……色々対策してますよ、色々と――じゃないと死ぬし」

 そう言いながら海鳥は右手を上に挙げて、無数のワイヤーをどこかに飛ばした。

 その間に大蛇が大口を開けて襲い掛かってくるが、海鳥は左手を前に突き出して、よくわからない文字や記号が描かれた防壁を展開して、牙を防御した。

「……その繊維もか?」

「ん? 『巨狼封じの紐グレイプニル』? 確かにこれも『変身術』に組み込んだ術式の一つだけど……正確には術式の一つと言うよりは、『霊装れいそう』って言った方が的確かな?」

 防壁に阻まれた大蛇は一度下がる。

 大蛇が下がると、海鳥は何故か防壁を消した。

「『魔術』は『術式』がないと発動しないし、『術式』を組み込んだ道具を魔術師わたし達は『霊装れいそう』って呼ぶんだけど、基本的に、魔術師はこの『霊装』がないと魔術を引き起こせないの」

 大蛇が再度俺達に襲い掛かった。

 ……しかし、今度は大口を開けたままその場で止まる。

 目の前で停止した大蛇がそうなることがわかっていたように、目を向けず、俺の方を向いたまま、海鳥は言った。

「かめくんは魔術についての基礎知識がないと思うから、少しだけ講義をします――『魔術』。それは伝説や昔話などの民間伝承、人の歴史、文化を術式化して、魔力を通すことによって引き起こせる超常現象。……人の営みを基盤にしているから、魔術には必ず起源があるの」

 大蛇は小刻みに震える程度で動かない。

 いや、よく見ると、海鳥がワイヤーを展開して、大蛇の身体を雁字搦がんじがらめにしていた。

「じゃあ、その繊維にも起源があるのか?」

「うん。私が扱う『霊装』は『巨狼封じの紐グレイプニル』。起源は北欧神話で、フェンリルって名前の狼を終末まで縛っていた『魔法の縄』だね」

 ……ワイヤーで雁字搦がんじがらめにされた程度だったら、大蛇は先程ワイヤーを支えている木々を倒して、突破していたはずだけど――と思ったが、更に更によく見ると、ワイヤーは木々には繋がれておらず、宙でほかのワイヤーに繋がれて支えられていた。

 そのワイヤーが繋がれている先を見ると――それは海鳥がいつの間にか俺達を中心に展開した、透明な結界に繋がっていた。

 魔術的な防壁に、空間を埋め尽くすほどの量のワイヤーで繋がれて、大蛇は動かない――否、動けない。

「けどお前のそれ、縄じゃなくないか?」

「そうだよー? 縄っていうか、かめくんが言うように繊維だね。私の魔術グレイプニルは北欧神話の『魔法の縄グレイプニル』の縄の部分を、『無数の繊維をより合わせて作った物』――って解釈して作った魔術だからねー……細くて丈夫な繊維は刃物になるし、より合わせたら紐にも縄にもなる――これが色々便利なんですよ」

 海鳥はそう言って大蛇の方を向く。

「さて――ただ『巨狼封じの紐グレイプニル』を展開するだけじゃあ、支柱になった木々は強引に破壊されちゃうから、このように『巨狼封じの紐グレイプニル』で作った結界に別の『巨狼封じの紐グレイプニル』をくっ付けて、拘束させていただきました――かめくんの手を一切借りずに」

「…………」

 まあ、サポートしてとか言われたけど、実際何もしていないしな。

 言っていることは事実だけど、このタイミングで言うのは悪意を感じる。

 それで傷付いたりしないから、別にいいけど。

「けど、拘束してどうするんだよ?」

「ふっふっふー……かめくん? 海鳥さんはただ相手を縛るのが得意な殲鬼師じゃないんですよ? 『巨狼封じの紐グレイプニル』で罠を仕掛けたり、結界を張ったり、爆発する術式を即席で作ることもできるのです」

「じゃあ爆発か……けど、それじゃあさっき死ななかっただろ?」

「じゃあ、火力を上げよう」

 そう言うと、大蛇を縛るワイヤーが、淡く光り始めた。

 いや、光っているのは大蛇を縛るワイヤーだけじゃない。それに繋がっているほかのワイヤーや、俺達を囲む結界も淡く光り始めた。

 空間を埋め尽くすすべてのワイヤーが、先程と同じように、自動的に見たことのない文字を形作る。

 直径二〇メートルほどの結界の四方すべてに、同じ文字が描かれた幾何学模様が描かれる。

 海鳥は俺と自分の周囲に結界を張った。

「……おいおい」

 これ、全部が爆発するのか?

 確かに、これはさっきと火力が違う――と思っていると、海鳥は再度こちらに振り返って、得意げな笑みを浮かべた。

 海鳥は言う。

「それではかめくん、ご唱和ください。『巨狼封じの紐グレイプニル』うううううぅぅぅぅぅ――」

 そして俺の予想通り――すべてを起爆させた。

「――『ラップ』‼」

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