76.百弥と楓

 ――一方、天童寺財閥が持つビルの一室では怒鳴り声が響いていた。


「楓ええええっ! 貴様、どうして俺様を裏切ったああああっ!!」

「あなたが今のような態度を変えないからです、百弥様」


 ゴールドを操り大恥をかいた百弥が、自らを裏切った楓に対して怒りを露わにしていたのだ。


「貴様が裏切ったせいで何もかもが失敗に終わった! 全て貴様の責任だ!」

「私が裏切っていなかったとしても、あなたの失敗は変わらなかったでしょう」

「俺が悪いとでも言いたいのか!」

「その通りです」

「……き、貴様ああああああああっ!!」


 椅子から立ち上がった百弥は机に置かれていた水の入ったグラスを掴むと、勢いよく楓目掛けて投げつけた。

 幸いにもグラスが楓に当たることはなかったが、入っていた水を被ってしまいスーツが濡れてしまう。

 それでも楓は表情一つ変えることなく、凛として言葉を続けた。


「私はこれ以上、あなたのお守りをするつもりはありません」

「お、お守りだとおおぉぉ?」

「はい、その通りです」


 百弥の眉間に血管が浮き上がるが、すぐにニヤリと下卑た笑みを浮かべる。


「……おぉい、楓ぇ。本当にいいのかぁ? 俺様を裏切るとなれば、お前はこの会社にいられなくなるんだぞぉ?」


 まるで勝利を確信したかのように自信満々な表情でそう口にすると、ゆっくりと楓の方へ歩み寄っていく。

 そして目の前で立ち止まると、彼女の顎を軽く掴んで視線を無理やり合わせた。


「それどころかぁ、天童寺財閥の傘下にある会社に俺様が声を掛ければなぁ、てめぇはまともな会社に就職することなんてできなくなるんだよおっ! あーははははっ!」


 目と鼻の先でさらに下卑た笑みを浮かべると、百弥は勝ち誇ったかのような笑い声をあげた。


「……だからなんですか?」

「はははは……はぁ? なんだとぉ?」

「それがいったいなんだというのですか?」

「……てめぇ、本気で言っているんだろうなぁ?」

「当然です。もう百弥様……いいえ、あなたにも、あなたがいる天童寺財閥にも、一切かかわるつもりはありませんから」


 そう口にした楓は顎を掴んでいた百弥の右腕を掴んで捻り上げた。


「ぐああああっ!? て、てめぇ、離せ!」

「金輪際、私に関わらないでください!」

「わかった! わかったから、離しやがれ!」


 百弥がそう叫んだところで楓は捻り上げていた腕を離した。


「くそっ! ……いいぜぇ、さっさと出ていきやがれ!」

「言われなくてもそうします」

「それと、フェゴールのアカウントは返せよ! あれはてめぇ如きが扱えるアカウントじゃねぇからな!」

「あのような不正にまみれたアカウント、こちらからお返しします。VRカプセルは私が使っていた部屋にありますので、好きなようにしてください」


 百弥の言葉にも即座に返し、今度こそ楓は部屋をあとにした。

 直後、閉じられた部屋のドアが勢いよく蹴りつけられると、通りすがった職員がびくりと体を震わせていたが、楓は何食わぬ顔で少ない荷物を手にし、準備していた退職書類を事務に提出してビルを出ていったのだった。

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