エレクトーンはあとからジワジワ効く

ゴオルド

第1話 失われゆくものから生まれてきたもの

 真っ赤な大型バイクをかっ飛ばして、火曜日の午後4時に貴美代きみよ先生はあらわれる。


 火曜日の放課後の自室。貴美代先生が慣れた様子で私の部屋に入ってくると、私は挨拶もそこそこにエレクトーンの課題曲をおそるおそる弾き始めた。先生は私の怯えた演奏を聴きながら、ヘルメットをとり、バイクスーツを脱いでいく。演奏中の私には見えないが、衣擦れの音と気配でそうとわかる。やがて先生は、私の隣に置かれた椅子に座った。ふわりと爽やかな香水のかおりが漂ってくる。先生のめちゃめちゃキツそうだけど涼しげな目元によく似合うシプレ系の香りだ。私の演奏がいっそう怯えたものになる。

 そして曲はクライマックスにさしかかり――、

「ストップ。全然だめ。先週からちっとも上達してないわね。ぜんぜん甘いわ」

 と貴美代先生の鋭い声がかかった。私は「やっぱり」という気持ちで手をとめた。そして、先生が何か言うより先に、私は勝手に言い訳を始めてしまう。怖くて沈黙が耐えられない。

「あの、通っている中学校で文化祭があって、それで練習ができなくて……」

 先生は綺麗に描かれた眉を少し上げて私を見つめる。だから何? と言いたげなお顔だ。もっと言い訳を追加してみよう。

「あと、中間テストの結果が悪くて、それで補習を受けてたので……」

「エレクトーンを怠けておいて、勉強もダメだなんて呆れるわね。どちらもちゃんとやりなさい」

 冷たい目でぴしゃりと言われてしまった。

「は、はい。わかっています」

 わかっちゃいるが、できないことも世の中あるのだ。私は勉強が向いてないのだと思う。だけどさあ、同年代の子たちよりもちょいとお馬鹿なぐらい別に良くない? エレクトーンは頑張ろうと思うけれど。

「……まじめに勉強する気ないわね?」

 う、見抜かれている。やはり先生には嘘をつけない。

「中学生のあなたが一番頑張らなきゃいけないのは、自分の進路を見つけることと、学校の勉強、それとエレクトーンの練習よ! わかってるの!?」

「うう……一番がいっぱいある……」

 毎週おなじみのお説教が始まってしまった。毎回こうなのだ。なにかしらの話から先生の説教モードになってしまう。先生は私のお母さんよりずっと若いはずだが、お母さんみたいなお説教をするのだった。

「しっかり勉強しなさい。……ふう、なんだか話が逸れちゃったわね。今日のレッスンだけど、練習していないのなら指導できないからソルフェージュにしましょう」

 ソルフェージュ、それは音楽の基礎訓練である。先生が楽器を鳴らして、その音階を言い当てたり、楽譜を見て長調だとか短調だとかがすぐ言えるとか、そういうことをやるのだ。

「今日はこれをやるわよ」

 と言って差し出された楽譜は、2枚程度の短い曲だった。

「この曲に合う楽器と、その理由を述べなさい」

 エレクトーンというのは、どのメロディをどんな楽器で演奏するかは演奏者本人が決めるのだ。だからこそ楽器選びにセンスの差が出る。

「うう~ん。クラリネットがいいと思います。理由はなんだか素敵だからで……あいたっ」

 先生からチョップが飛んできた。

「あなたねえ、とりあえずクラリネットって言っておけばいいと思ってない? というか毎回クラリネットって言うよね」

 しょうがないのである。だって私はクラリネットの音色が大好きなのだから。推しなのだからどんな曲もクラリネットで演奏したがるのは当然である。

「まじめにやって」

 まじめにクラリネットが好きなんですけどー、なんてへらず口は慎むことにして、先生の望む答えを私は考えた。

「ええと、この曲はト短調……ですよね?」

 おそるおそる先生を上目遣いで見ると、うむ、って感じで頷いてくれた。よし正解だ!

「4分の4拍子、テンポもゆっくり。どこか悲しげで、でも暗くはなくて清らかな感じがします。死後の世界にある花畑のような。そしてクライマックスは低音が重要になる作りになっています。これらを総合してチェロがいいんじゃないでしょうか」

 ドキドキしながら先生の採点を待っていたら……あいたっ! またチョップされた。

「回答に個性がない。どこかからか借りてきた言葉みたいでイヤ」

 イヤって言われちゃったけど、じゃあ、どうしたらいいの。

「自分の感性で答えなさい。直感でもいい。楽譜を見た瞬間こころに浮かんだ楽器を言うのよ」

 そのとき、音楽室にある鉄琴がふと脳裏をかすめた。

「……鉄琴がいいです。死後の世界の音って感じがするからです。ドラムも木魚っぽくしたら合うと思います」

 先生は頷いて、「45点。及第点ギリギリってところ」と言った。厳しいよぉ。


 その後、楽譜の一部が空欄のものに音符を書き入れるトレーニングをした。これは即興演奏の練習で、曲の構成についての理解度も問われる。ほかに雪国の曲をトロピカルな曲にアレンジする練習もやった。こちらはピアノ曲をエレクトーン用にアレンジするときのコツを身に付けるトレーニングである。


 レッスンが終わり、先生はライダースーツを着込みながら、「正直なところ」と話し出した。

「エレクトーンって斜陽よね。製造メーカーも減ったし」

 私は返事ができなかった。エレクトーンを好きで習っている私からしたら素直に認めたくない気持ちもあるし、先生の発言の意図が読めないというのもあった。

「エレクトーンをうまく弾けるようになっても、肝心のエレクトーンがなければどうしようもないもの」

「それは、まあ、そうですね……。」

 それは認めるしかない。エレクトーンは楽器であると同時に電子機械でもある。つまり寿命のある楽器な上に、個人で製作することは難しい。メーカーが販売終了してしまえば、それでおしまいだ。

「私は自分の生徒たちには特別なレッスンをしているつもりよ。みんなが知らず知らずのうちに二刀流になるように、たとえエレクトーンをやめても別のものが残るようにね。だから勉強と同じぐらいエレクトーンもしっかり頑張りなさい。わかった?」

「はい」

 そう返事したが、私は先生の言葉をきちんと理解していたわけではなくて、ただいつもの条件反射で返事をしただけなのだった。



 それからしばらくして、私はエレクトーンのレッスンをやめることにした。高校受験のための勉強を本気でやらないといけない時期になったのだ。貴美代先生は「頑張りなさい」と言ってくれた。発表会のとき、いつもステージ脇で言ってくれていた口調で。


 どうにか高校に合格し、留年スレスレの3年間をなんとかやり過ごして卒業し、私は地元の製造メーカーに就職できた。

 実家を出て、職場近くのワンルームマンションを借りた。もちろんエレクトーンは実家に置いたままだ。ひとり暮らしの部屋に置くには巨大すぎる。そのかわり初任給でキーボードを買った。休日はエレクトーン用の曲をアレンジして弾くのが私の趣味となった。

 エレクトーンは斜陽。そんなの子供のころから知っている。ピアノを習っている同級生からどれだけ見下されてきたかわからない。いつすたれるかわからない楽器。もう廃れ始めているのかな。だから、どんなに好きでもプロになろうなんて夢は持っていなかった。なれるだけの才能もなかった。だけど、何らかの形で演奏を続けられたらいいなとは思っていた。休日にキーボードを触れるだけでもいいと。


 あるとき、同僚を通じて知り合った友人がバンドを始めたとかで、私は鍵盤が弾けるというだけでキーボード担当として誘われた。人前で演奏ができるのが嬉しくてふたつ返事でオーケーした。みんなで人気歌手の曲を耳コピして演奏するのは楽しかったし、仕事のストレス解消にもなった。


 いつのころからかオリジナルの曲をやりたいねという話をするようになった。

 ものは試しとボーカルが歌詞を書いてみた。明るい恋の歌だ。気持ちが高く弾み、ふくらみ、押さえきれずはじけるような――歌詞を見ていたらアタマの中でイメージが炸裂した。音符と楽器が私の頭の中にぶわっと浮かび上がったのだ。それは音の洪水といってもいいぐらい私に押し寄せてきて、私を圧倒したので、ほかのことは何も考えられなくなるぐらいだった。私は脳内で発生した音符をペンを使って吐き出すようにして曲を書き上げた。

「あなたが作曲もできたなんて知らなかった」とバンドメンバーは驚き、そしてとても喜んでくれた。

 私も知らなかった。これってもしかして貴美代先生のソルフェージュのおかげなのだろうか?

 私は本格的に作曲を始めるため、音楽理論や作曲の技術についての教本を買いこんだ。音楽とはいえ教科書なんてものを自分から読もうとするなんて自分でもビックリ。


 オリジナル曲をやるようになり、バンドにはファンもついてきて、小さなライブハウスぐらいの箱なら客席を埋められるぐらいになってきた。ライブで人気のある曲をネットで披露したら、応援してくれる人たちがさらに増えた。少しずつ少しずつファンは増えていき、それなりに収益を上げられるようになるとプロモーションビデオを撮る機会にも恵まれた。私はメンバーと話し合い、撮影にはキーボードでもシンセサイザーでもなくエレクトーンを使うことにした。評判は上々だった。そして、今ではライブでもエレクトーンを弾いている。エレクトーンこそが私のルーツなのだから。


 私は貴美代先生に久しぶりに手紙を書いた。手紙にはライブのチケットを添えて。



 そして、ライブ当日。

 会場の駐車場に真っ赤な大型バイクが停まっているのを見て、嬉しいのに「ひぇっ」と思わず声が出た。

 ――ちゃんと練習したの?

 ――ぜんぜん甘いわ

 ――個性がなくてイヤ

 そんな言葉が思い出された。


 そして、

 ――しっかり頑張りなさい

 という言葉も。


 貴美代先生が仕込んでくれた二刀流、さて先生は何点をくれるだろう。ドキドキして手のひらに汗をかいてきた。テレビの生放送で演奏したときより緊張している自分がちょっと可笑しかった。


 <おわり>

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