自主企画から来ました!
『自主企画:戦争のない平和な世界になりますようにと、「祈り」を込めて書いた作品募集します!』の同志です! 共に祈りましょう!
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これ、企画の合言葉です笑
うんうん、でも、わたしは、この少女は帰るべき所へ帰って行ったんだなと思いました。
魂が帰るところへと。
そこは、すべての魂と繋がっているところで、みんながそこに居て、そこには争いなどのない、心の平安の訪れるところだと思いました。
詩は、自分が生きるために書くのかもしれない。
でも、それを読む人で、それに心を動かす人があるのかもしれない。
文字にした時点で、それは、自分から離れた存在となって、何かのチカラを持って、他人に影響を与えるものとなるのかもしれません。
そのように、思いました(^^♪
作者からの返信
感想ありがとうございます。
(そしてレビューもいただき、ありがとうございます!)
恐らく彼女の詩は他者に力を与え、同時に自らの生きる糧になっていたのでしょう。
どれほど蹂躙されても「好き」を貫いたことで、彼女は生きていられた。
たとえその詩がひとかけらも残らなかったとしても書き続けたのは、「好き」な詩そのものが彼女の「生」だったからかと。
そんな彼女の「好き」のこもった詩は、多分他者にも大きな力を与えたのかも知れませんね。
言葉は文字にした時点で作者の手を離れ、力を持つ。
これは感想を拝見させていただいてもよく思いますね。色々な解釈がなされ、様々な考えを知ることが出来るのはとても嬉しいです。
少女はきっと、「マモノ」でも「ニンゲン」でもなく、国境地帯に住んでいたのでしょうね……。
比喩されていることは分かりました。そこはファンタジーではなく現実。カシミール地方のように国境紛争がある民族の共存する場所。ムスリムがパキスタンへの帰依を望めばヒンズー教徒はそれに巻き込まれ、逆も同様。
話が全く関係のないところに飛ぶのですが、少女の詩に意味なんてあったのか、それと似たようなことを僕も以前考えたのです。ざっくりいえばいつか太陽によって飲み込まれるのに、編集された歴史を紡ぎ続ける必要なんてあるのか……と。リンクを貼るのは強引なのでやめますが、僕の『テーマ集』の「歴史の保存について 再び」の項に書いてます。
いつか失われることが分かる作品に必要あったのか……。それでも、誰かの助けになったんでしょうね。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
この話を思いついたのは現実のあの状況がきっかけですが、どこの紛争がモデルとは特に想定しませんでした。大きな争いが起これば当然起こりうる話ですね。
コメントで思ったのですが、宗教が絡むと、個人の「好きなもの」はより一層酷く破壊されていく気がします。
>ざっくりいえばいつか太陽によって飲み込まれるのに、編集された歴史を紡ぎ続ける必要なんてあるのか……と。
これは当方も常日頃から考えていることですね。
どんなに書き残したところで、自分は勿論、読んだ人たちもいずれは……と。
でも、最終的に無意味であっても、自分が書きたいから書く。それでいいんだと思っています。
そう思ったのは新井素子の『チグリスとユーフラテス』を読んでからですね。
ただミーシャの場合は、やりたいことをやれる時間があまりにも短かった。
それが彼女の最大の不幸だと思います。
一盃口さまの作品も、後程拝読させていただきます!
何かを残す事が出来なくても、書く事でミーシャは生きていられた。
凄く感動しました(´;ω;`)
ゆうしゃが誰にとっても善である訳でも無く、悪だと思っていたまおうの仲間が全員悪い訳では無い。
今の国際情勢を考えてさせられるお話でした。
作者からの返信
感想ありがとうございます!
異世界の出来事として書きましたが、現実の色々を反映しております。
どちらが善でどちらが悪かは関係なく、いつも被害に遭うのはこういった一般の人々。
自分たちがこんなどうしようもない状況に置かれた時、どこまで「好き」を貫けるか。それを考えていたら、こういうお話が出来ました。
現実は、好きな詩をいっぱい書ける世界であってほしいものです……
ちょっと見るだけのつもりが最後まで・・・。
これは、現実の世界を書いたのですね。
ゆうしゃ
まおう という陣営
にんげん
おーく
ごぶりん という人種
禁断の魔法 という核兵器
とても考えさせられる素晴らしい作品でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
仰る通り現実の世界を模した世界ですが、どちらがどちらかは敢えて決めていません。
無力な一般の人々(特に子ども)から見れば、いずれもそこまで変わらないのではと思いましたので。
だから禁術を発動させたのもどちらかは分からないようになっています。
評価していただき、感謝です!