第40話 加賀友禅の行方

 1927年(昭和2年)、安太郎は、彼の行く末を案ずる両親の必死の説得を聞き入れ、31歳で結婚。


 相手は藤尾奈美さんと言って、彼より七つ年下であった。やはり遠縁の者であったが、清さんよりは家柄が上であったらしい。

 

 しかし、新しい考え方の持ち主であったようで、安太郎本人はおろか、彼の両親とも不和となり、一年後に離縁となる。


 時代は、満州事変(1931~1932年(昭和6~7年))や、二・二六事件(1936年(昭和11年))などが相次ぎ、やがて1938年(昭和13年)には、国家総動員法が施行される。


 そしてついに、1939年(昭和14年)に第二次世界大戦が勃発したのであった。


 この間、安太郎は執筆や講演で、軍部や政府を公然と批判し続けた。その挙句に、1945年(昭和20年)、特高警察の手により激しい拷問を受け、漸く家に戻された時は著しく身体が衰弱し、まともに口も聞けない状態になっていた。


 それからわずか数日後の8月初め――。ついに終戦を知ることもなく、息を引き取ってしまう。


 安太郎の両親は戦争を生き抜いたが、農地改革により家は没落。息子が死んだことですっかり気力も失い、酒蔵も廃業してしまった。


 わずかに残った財産で、飢えて都会からやってきた人々を無償で助ける。汽車に乗って持ってきた着物なども、決して受け取らなかった。


 独身を貫いていた清さんも呼ばれ、炊き出しなども一緒に手伝ったらしい。その後何日も引き留められる。そしてとうとう、1951年(昭和26年) 、サンフランシスコ講和条約が締結された年に、安太郎の両親が相次いで亡くなるまで、白河家に滞在することになる。


「清や、許しておくれ」

 初枝は号泣しながら、何度も謝ったらしい。

「私が間違っていた。お前たちが好き合っているのを分かっておりながら、それを私があえて引き裂いたんだからね。私はすっかり因習にとらわれ、目が見えなくなっていたんだ。安太郎はそれを恨んで、あんなことに……」


 そうやって、いつまでもさめざめと泣き続ける彼女を、清さんは慰めた。

「小母さん、私は感謝しこそすれ、決して恨んでなんかおりません。ここは私が娘時代を過ごして、思い出がたくさん詰まった大切な場所なんです。そこにこうしてまた住むことができて、本当に私は嬉しいのですから」


 その後、清さんは、またこの家を後にする。親類縁者の醜い遺産争いに巻き込まれたくなかったからである。それ以来、墓に入るまで一度もこの家の敷居は跨いでいなかったという。




「その後、私は東京の街に出て、一人でまた働きながら暮らしました。生活には全く不自由しませんでしたよ。小母さんが持たせてくれた婚礼家具や衣装などがよっぽど高価なものだったのでしょう。それらを売ったお金が、一生私を助けてくれました」


 おれはふと思い出して、尋ねてみた。

「例の、清さんのお母さんが初枝さんに託したという加賀友禅はどうなさったんですか?」


「あの、空色の地におしどり文の……」

 清さんは目を丸くして俺を見た。


「まあ、私の話を憶えていて下すったんですか? 嬉しゅうございます。実はあれだけは私も最後まで手元に残していたんですが、いよいよ自分の死期が近づいたのを悟った時に、親戚の者にあげました」


「そうなんですか」

 おれは、加賀友禅が何となく心の中に引っ掛かるような気がしていた。

「清さんそれ、血縁の方をたどって探せば、今でも見つかるんじゃ……」


 すると彼女は悲しそうに答えた。

「私の力が及ぶのは、娘時代を過ごしたこの家とこの近在だけです。でも、あれは本当にいいものですから、今でもきっとどこかに残っている筈です。もしそれが何かのカギになるとおっしゃるのなら、坊ちゃんが御自分でお探しになるほかありませんねえ」

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