第39話 子の家の歴史
ここまで整理してみて、少しすっきりした。まだまだ気づいていないことが、あるかもしれないが、それはまた気づいた時点で改めて考えればいい。
とりあえずは、今回浮かび上がってきた疑問点に着手してみよう。
それで全ての疑問が、一気に雲散霧消するごとく解決してしまうということは、まずないだろう。変な能力を持っているらしいが、何にも役には立たない。おれは凡人なんだ。一つ一つ地道に取り組んでいくほかあるまい。
まず、最初の疑問点――。化野不動産とこの家との関係だ。
おれは早速、二階に上がる例の階段まで行ってみた。階段の横には
賃貸借契約書を取り出し、改めて確認してみると、賃貸人はやはり化野不動産となっていた。
してみると、このあばら家は
ふと気づくと、影法師が階段の上のほうに腰掛け、こちらを見下ろしている。こちらが見返すと、慌てたように腰を上げる。
「おい」と声を掛けると、そのまま何も言わず、二階の塞がれた入口の奥に消えてしまった。
化野不動産には、いずれ改めて訪ねていかなければなるまい。しかし、化野零児は半妖で、一筋縄ではいかない奴だ。こいつのことは後回しにして、まずは手を付けやすい所から片付けていこうと思う。
次に気になるのは、白河家のその後だ。
これについては、
清さんが嫁いだ後、安太郎は、親の勧める相手と結婚する。しかし、うまくいかずに、すぐに離婚。その後、終戦を待たずに死んでしまう。
彼の両親は戦後も生き残ったが、家も没落してしまい、最後は失意のうちに死んでしまったらしい。
これだけでは、情報が不足していると思った。おれは、渋る清さんを説得し、もう少し詳しいことを聞き出した。
ここに、当時の日本が歩んだ歴史と重ね合わせながら記述してみる。
清さんが、遠縁の白河家へ母親とともにやって来たのは、1903年(明治36年)、彼女が5歳の時であった。安太郎は二歳年上で、二人はすぐに仲良しになる。
ところが、安太郎が高等学校へ入学したのを機に、二人の仲は禁じられる。清さんが15歳の時であった。
1914年(大正3年)、第一次世界大戦が始まる。
1916年(大正5年)、女学校を卒業したのを待ちかねたかのように、安太郎の親から半ば強引に縁談を進められ、役場の吏員と結婚する。清さんが18歳の時であった。この頃、安太郎は東京帝国大学へ進学。
ちなみに、夏目漱石が『明暗』未完のまま没したのは、この年のことである。
翌年、清さんの夫が地中海で戦死する。英国の要請で地中海の海上警護の任務に当たるため、日本は艦隊を派遣し、ドイツやオーストリア・ハンガリー海軍の潜水艦Uボートと戦ったりしていたのだが、清さんの夫はその時の駆逐艦の乗組員だったのである。
1920年(大正9年)、安太郎は東京帝国大学を卒業したが、就職はせず文筆業で身を立てようとする。しかし、実際は社会運動に身を投じていた。
父親は、家業でもあった酒蔵の経営を手伝うよう命じたが、その頃にはもう、親の言うことには一切耳を貸さなくなっていたらしい。
1922年(大正11年)、学生連合会(学連)なるものが発足。安太郎は既に大学を卒業していたが、これに深く関わる。
1923年(大正12年)、関東大震災。白川家の家屋は奇跡的に崩壊を免れる。
1925年(大正14年)、治安維持法が制定される。同年、京都における学連の主要メンバーが治安維持法及び不敬罪で検挙されたが、翌年にかけて大学教授も含め検挙は全国に及び、安太郎もその中の一人であった。
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