第33話 引き裂かれた婚礼衣装
「いい縁談だよ。お前と三つしか変わらないが、これが実に堅実で落ち着いた人でね。俸禄は少ないかもしれないが、真面目で遊び事もするでなし。この人となら、ちゃんとやっていけるから」
初枝はそう言うと、
彼女は思い切って頼んでみた。
「
どうか、このままこの
「何、言ってんだい」
初枝は、烈火のごとく怒り出した。
「私が今まで、どんな思いでお前を育ててきたか。それもこれも、お前のお母さんとの約束があったからじゃないか。
それに、女中でも何でも構いませんだって? 私は今までそんな風にお前のことを思ったこともないし、お前のお母さんのことだって、そんな風に扱ったことは一度もない。それを何だね? 私への当てつけかい?」
「ごめんなさい。私、何もそんなつもりじゃ――」
「分かったんならいいんだよ。私はね、何もお前が憎くてこんなことを言うんじゃない。お前が可愛いからこそさ。お前のお母さんになったつもりで、これまで育ててきたんだからね。だから、何もかも私の言うとおりにしていりゃ、間違いないんだよ」
清さんには、もうそれ以上なす
こうして、縁談はとんとん拍子に進んだ。
嫁入り道具など婚礼の支度は、安太郎の両親が万事抜かりなく整えてくれた。
ある日、初枝から座敷に呼ばれる。
入ってみると、
「お前の嫁入り衣裳だよ。ちょっと袖を通してみてごらん」
機嫌良さそうにそう言うので、言われたとおりに片方の袖だけ通して羽織ってみる。確かに上等な着物である。
「加賀友禅だよ。矢張り似合うもんだねえ」
しみじみとそう言う。
そこへ、着物に袴姿の安太郎が、本を小脇に抱えて帰ってきた。着物を羽織った清さんを見て、一瞬眩しそうな表情を浮かべる。
「ああ、安太郎――。お前もちょっと見てごらん。清の婚礼衣装だよ。本当によく似合っているだろう?」
すると安太郎は、いきなり本を畳に叩きつけた。
「何だ、こんなもの」
清さんの羽織っていた加賀友禅を、乱暴に剥ぎ取る。はずみで、清さんは畳に倒れてしまう。
「国が今、どんどん悪くなっていく一方だっていうのに、何をこんなもので浮かれているんだ」
と言うと、袖の所から引き裂いた。
「あっ、何をするんだい。それは、清のお母さんの形見なんだよ」
安太郎はハッとしたような顔をすると、しばらく茫然としていたが、やがてその場を立ち去った。
初枝は、畳に投げ捨てられた着物を、膝から崩れ落ちるようにしながら手に取った。
「清や、堪忍しておくれ。安太郎は近頃変わってしまった。なにやら、変な思想にかぶれてしまったみたいでね。これは、私がちゃんと繕っておくからね」
そう言いながら、肩を震わせている。
清さんはたまらず、
「小母さん、いいんです。私は何も気にしていませんから」
と、その背中をさすってあげた。
初枝が、泣き顔のまま振り向く。
「私はこの日が来るのを、どんなに楽しみにしていたか――。
お前のお母さんはね、お父さんと死に別れて
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