第18話 夢酔仙人、神社の屋根から落っこちる


 神輿みこしは最初こそ静かに進んでいたが、沿道の人たちが近寄ってきて、担ぎ手たちに酒をふるまい始めると、雰囲気が変わった。おれは断ろうとしたが、すぐ前にいた赤鬼から、断っちゃ駄目だと怖い顔ですごまれたので、仕方なく飲んだ。


 すると突然、あっそうれ、という掛け声ととともに、ワッショイワッショイと神輿が上下に激しく揺れ始める。それだけではない。今度はぐるぐる回り始めた。


 おれは、神輿が回っているのか、自分が酔ったせいで世の中がぐるぐる回っているのか、さっぱり区別がつかなくなってしまった。


 そのうち、沿道にいた何人かが、こちらに向けてバケツの水をっ掛けてくる。担ぎ手たちは、それでますます気合が入ったのか、神輿を大きく掲げて、ひときわ大きいときの声を上げる。


 その度に沿道の人間が大喜びする。何が面白いのかさっぱり分からない。


 ふと気づくと、民家の屋根瓦の上で、襤褸ぼろをまとった年寄りが笑い転げている。笑う度に、瓢箪ひょうたんに口を付けて何かを飲んでいる。恐らく酒であろう。こいつのことも爺ちゃんに聞いたことがある。夢酔むすい仙人だ。

 今にも屋根から転げ落ちてしまうのではないかと冷や冷やしたが、不思議に落っこちない。


 しばらく大騒ぎすると、神輿はまた粛々と進む。それからまた、酒がふるまわれる。あっそうれ、という掛け声ととともに、ワッショイワッショイとやり始める。続いてぐるぐる回り始める。


 そこへ、偶然通り合わせた車が、通せんぼを食らってしまった。


 大勢がてんでバラバラに暴れるものだから、まるで制御が効かない。今にも車に突進しそうになる。先頭の男どもが、バンパーに足をかけて必死に押しとどめる。後ろの連中は面白がって、益々暴れ狂う。


 おれはと言えば、もはや神輿を担いでいるんじゃなくて、担ぎ棒につかまってただ振り回されているだけである。沿道の人たちは大喜びだ。駐在のお巡りさんまで一緒になって笑っている。


 運悪く通り合わせた車の運転手こそ、いい迷惑だ。こんな時にここを通るくらいだから、地元の人ではないんだろう。

 すっかり迷惑をかけているのが、こいつらには分からないのか。これだから田舎者は困るのだ。


 不運な車をやっと解放すると、神輿はまた粛々と進む。沿道の人から酒を振舞われる。あっそうれ、という掛け声ととともに、ワッショイワッショイとやり始める。見物人たちが大喜びする。駐在さんも笑う。夢酔仙人も屋根から屋根へと、身軽に飛び移りながら酒を飲む。飲んでは笑い転げる。

 こんなことを一体何回繰り返しただろう。


 神輿はそのうち、神社に着いた。古ぼけた汚い神社だ。神主も巫女さんもいるわけがない。


 一度、暇潰しに来たことがある。参道脇には、一人前に手水舎てみずやもあったが、百年分もあるかと思われるような落ち葉に蔽われているうえに、汚い水の底には泥が沈殿している。ボウフラのほかにも、何だか変な虫が棲息していそうである。


 誰がこんなもので、身を清めるものか。そう思って、それ以来一歩も足を踏み入れていなかった。

 しかし、さすがにその日は、落ち葉などはきちんと取り除かれていたし、境内も奇麗に掃き清められている。

 

 夢酔仙人は、銅葺きの屋根の上で先回りして待っていた。おれたちが到着して、またワッショイワッショイとやり始めると、また大笑いして瓢箪の酒をあおる。ところが、最後にどうしたことか、今度は本当に落っこちてしまった。

 起き上がるとしばらく目を白黒させていたが、すぐにまた笑い転げながら酒を飲む。


 爺ちゃんは言っていた。

 李白や竹林ちくりん七賢しちけんのような豪の者ならよいが、普通の人間は決してこいつと友達になってはいけないと。屋根からだけではなく、下手をすると人生そのものから転がり落ちてしまうこともあるらしい。

 しかし、ここいらの男どもは、すでに皆、こいつの友達だ。もう間に合わないだろう。


 久米仙人は美女の行水に見とれるあまり、空から落っこちたというが、夢酔仙人は、実は仙人とは名ばかりで、ただの酒呑みの妖怪である。

 酒というのは実に恐ろしい。

 さすがの李白でさえ、酔った挙句に船から落っこちて死んじまったらしい。何でも、興に乗じたあまり、長江の水に映った月を救い取ろうとしたというんだから、酔狂にもほどがあるというものだ。


 神輿は回る。おれの目もぐるぐる回る。そのうち担ぎ棒を持つ手が離れてしまって、おれは地べたに放り出されてしまった。すると、誰かがまた、バケツの水を打っ掛けてくる。


 その後おれは、どこでどう酒を飲まされて、どうやって自分のうちに帰ったのか、全く覚えていない。ひょっとしたら、神社の境内にそのまま放置されてしていたのかもしれぬ。ひどいやつらだと思った。


 おれはせっかちで癇癪持ちで、直情径行ちょくじょうけいこう型の人間だが、決して竹を割ったような人間ではない。実はあれ以来、このことをずっと根に持っていたのだった。

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