第17話 欽之助、神輿を担ぐ
「ふん、今度は
背中からまた声がする。
おれは相変わらず返事をしなかった。
「まあ、勝手にするがいいさ。おれはお前にしがみついたまま、これからもずっと離れるつもりはないからな」
これにはうんざりした。本当にこのまま、何処かに
すると突然、大きな音が聞こえてきた。土砂降りの雨が、屋根瓦を激しく叩きつけている。
ハッとした。コイブミの忠告をすっかり忘れ、雨戸を開けっ放しにしたままである。
おれはゴングに救われたボクサーのように、よろよろとダイニングを抜けて縁側へと急いだ。
ところが、意外なことにちゃんと閉まってある。
コイブミは言っていた。雨戸荒らしも、今日のような日は
しかし悪戯どころか、親切にも雨戸をちゃんと閉めておいてくれたのだ。
妖怪に散々打ちのめされたかと思えば、こんな親切も受けることもある。
いろいろ考えるのも面倒になってしまった。おれは畳に倒れ込み、そのまま泥のように眠りについたのだった。石児童のやつが、その後どうなったかは知らぬ。
季節はいつの間にか夏真っ盛りになっていた。
おれは例によって雨戸を開け放したまま、座敷にゴロゴロ寝っ転がっていた。
あの一件以来、郵便物も新聞も文字が消えることは一切なくなった。乱れ髪も、ぴたりと出ないままである。
それなのにおれは、ただの一行も小説を書けないまま、悶々とした日々を過ごしていた。モンジ老の容赦ない指摘は、まさに
それにしても暑い。あの
だったら自分の金で着ければいいのだが、なけなしの財産を
おれはまだ若く、先は長い。それなのに当分就職などする気もないし、小説家として食っていける見通しは皆無だ。
それならそれで構わない、おれは高等遊民を決め込んだのだから。贅沢と引き換えに、精神的に豊かな生活を犠牲にするようなことだけはしたくない。
おれの愉しみは書くことだけだ。ひたすら書いて書いて、書きまくるのだ。しかし、そうせずにいた。
おれはすっかり堕落してしまったのだろうか。モンジ老から
いくら節約しなければいけないからと言って、おれの
暑くてたまらないから、風を最大にしてぶんぶん振り回す。
たまらず風鈴がちりんちりんと鳴る。もぬけの殻の掛け軸が床の間の壁に当たり、カタカタと音を立てる。
それにしてもモンジ老には腹が立つ。何だ妖怪の癖に。風鈴の音にも、軸が壁に当たる音にもイライラさせられる。
そのうち、家の外からまで耳障りな人声が聞こえてきた。
「全く、昼間から働きもせずにゴロゴロとしやがって」
「どこかの金持ちのドラ息子じゃないのか? いわゆる、ごくつぶしってやつだろう」
「ふん、大方、そんなことだろうよ。お坊っちゃんだな、お坊っちゃん」
がばりと跳ね起きると、二人の男が南側の
赤虎と青虎だ。と言っても、それぞれ赤いツナギと青いツナギを着た、れっきとした人間である。
赤虎は伊勢木寅太。五十代。焼酎焼けであろう、顔も首根っこも赤黒い。いつも鉢巻を撒いている。
青虎は山田誠。おれと同じ年の頃か。浅黒い顔に逞しい体つきをしている。青虎に加えて、ヤンマーと言うあだ名を、おれは付けてやった。
何故彼らのことを知っているかと言うと、思い出すだけでも忌々しいが、ここで触れておこう。
あれは、ここに越してきて間もない頃のことだった。この赤虎と青虎の二人組が、ひょっこりと
田植えが終わったので、日照りや台風の害に遭わないことを祈って、これから夏祭りをやる。お前も地域の住民になったのだから、一緒に
昼間から息が酒臭いうえに、物言いが
つい懐かしくなった。それに、越してきたばかりの独り者とはいえ、島国根性丸出しのこいつらから、いつまでも
それで快く了承してやったのが、不幸の始まりだった。
それから公民館に連れていかれると、まるで
神輿を担ぐ前に飲んでいいのかと聞いたら、神様はそのほうが喜ぶんだと言って、むやみに飲まされる。
神輿は一基のみで、二本の担ぎ棒の上に、屋根付きの四角い木の箱を乗っけただけのような、実にお粗末なものだった。
申し訳のように、龍の彫り物かなんかをくっつけている。おそらく大工仕事に少し覚えのあるやつが、見よう見まねで中途半端にこさえた代物だろう。
皆でしたたかに飲んで、それから神輿を担いだ。若い男はヤンマーだけで、あとは赤虎と似たり寄ったりの連中ばかりだ。
それでも、皆、色が黒いうえに筋骨逞しい。その中に、よろよろしたやせっぽちのおれが一人混じっている。いや、よろよろしているだけではない。酔ってふらふらしている。
そんなおれには一向構わず、神輿は意気揚々と繰り出した。何だ、たった一基しかない癖に。
沿道では、老若男女が待ちかねたように、身を乗り出してこちらを見ている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます