第16話 石児童、現る

「ほほお。怒ったのか」

 モンジ老は憶する様子も見せない。

「それならばついでに、もう少し言ってやろう。お主は、自分が書けないのを乱れ髪のせいにしておるが、本当は違うではないか」


「何だって? じゃあ、いったい何のせいだと――」

 ついそう口に出してしまったが、そのことをすぐにおれは後悔した。


「ふん、後悔しておるな。ということは、自分でもわかっておるんじゃろう。しかし、お主のような卑怯な奴には、きちんと他人が言ってやらねばいかん。ほうら、お前は人じゃないだろうなどと、またお主は考えておる。馬鹿者めが。


 何が悪戦苦闘しながら執筆した原稿だ。お主は本当に真剣勝負のような覚悟で、パソコンの画面に向かっておるのか? のたうち回る位に苦しい文章修行をやっておるのか?


 鶴が自分の羽を抜いてはたを織るように、それこそ自分の命を削るようにして文章を紡ぎだそうとしておるのか? 


 いな々――。


 たしかに、お主はパソコンの前でのたうち回っておるが、それはいい小説を書こうという産みの苦しみからではない。自分の作品への訪問者があまりにも少ないからだ。


 現にお前は、何らキーボードを叩きもせずに、三十分おきにPVばかり眺めては、溜息をついておるばかりではないか」


 図星だった……。


 おれはガタンと音を立てて椅子に崩れ落ちた。テーブルの上で頭を抱え込む。


 チクショウ、なんでこんなやつに、ここまで追い込まれなければいけないのか。


「ふん、またこんなやつと来たか。全くどうしようもないやつよ」


 すると、これまで黙っていたバスガールの声が聞こえた。

「モンジ老さん、あんまりだわ。いくら何でもそこまで言わなくたって――」


 まさか、彼女がおれの弁護をしてくれるとは。おれは少し嬉しくなって顔を上げた。


「いや、こんなやつは、この機会に徹底的に叩きのめさなければいかん」

 言下に言う。

「何が隠遁生活じゃ。お主は世の中に未練たらたらではないか。いくら、無だ、くうだと念じてみたところで、お前の心の中は煩悩の塊だ。食欲、睡眠欲、立身欲。それに性欲――。何じゃ、お主のその彼女を見る厭らしい目付きは」


 おれはただ漫然とバスガールのほうを見ていただけだった。


 いや、その筈だった。その筈だ……。


 然し、老人のその言葉を聞いた途端、彼女はキャッと悲鳴を上げて、バスローブの上から両手で胸を覆った。


 いよいよ、モンジ老はとどめを刺してきた。


「若いみそらでそれみたことか。隠遁生活と洒落しゃれ込んでみたところで、結局お主は、世俗の塵芥ちりあくたにまみれたまま、煩悩からも抜け出せずにおる。ただの性欲の塊じゃ。


 わしらのことを化け物とさげすんでおるが、そういうお主こそケダモノだ。いや、ケダモノだって食うために自分で働く。お主は、親の遺産で毎日のんべんだらりと過ごしているだけではないか。

 そう言う所をもって見ると、お主はケダモノ以下じゃな」


 おれは再び立ち上がった。怒りを抑えるために、おれの顔は真っ青になっていたに違いない。


「爺ちゃんが、死ぬ少し前に言っていた。モンジ老さんが出たと。そうなったらもう、読むことも書くこともままならないんだと。


 おれもそうなのか? このまま世の中で何をなすでもなく、ただほうけたように死ぬのを待つだけなのか? もしそうなら、それでいい。この家でいつまでも気が済むまで、お前の好き放題にやってくれ」


「また、お前呼ばわりか」

 モンジ老はぷいと顔を背けると、バスガールのほうをチラッと見た。


 相手がちょっと目配せをするのを受けると、こちらに向き直る。

「口惜しかったら、もう少しましなものを書いたらどうだ」

 そう捨て台詞を吐くと、すっと消えた。


 バスガールのほうは、椅子から立ち上がって少しもじもじしていたが、

「私、湯冷ゆざめしちゃったみたい。もう一度お湯につかってくる」

 と言ったなり、浴室に消えてしまった。


 少しは慰めの言葉を期待していたが、そんな自分が馬鹿だった。


 二人の、いや二体の妖怪に、おれは完膚なきまでに叩きのめされ、ケダモノ以下と蔑まれてしまったのだ。


 ボコボコにされた所為なんだろうか、急に身体が重くなる。特に肩のあたりが苦しい。


 すると不意に、

「重いかい?」という声が背中から聞こえた。


「重かあないさ」と、おれは答えた。意地を張ったのだ。


 それが石児童であることに、おれはすぐに気付いたのだった。石地蔵なんかよりも、もっと重たいやつだ。


 こいつは、自分の背中より大きいようなランドセルを背負っている。ランドセルの中には、教科書、ノート、筆入れのほかに、しわくちゃになった宿題のプリント。手にはお稽古バッグもげている。お稽古バッグには、絵の具や算盤やハーモニカなどがぎっしり。


 そんな子供を背負っていては、重いのは当たり前だ。


 人は誰でも子供の頃から、ランドセルと一緒に何か重いものを背負い続けている。


 それをどこかに打遣うっちゃってしまうのか、それとも一生引き受けて背負い続けていくのか、どちらも一つの人間の生き様であろう。


「ふふん」という声がした。


「何を笑うんだ」


「お前、少し大人になったな」


 おれは何とも返事をできずに黙っていた。

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