第15話 欽之助、妖怪にとっちめられる

「いいかい? 僕は決して君のことが嫌いで、こんなことを言う訳じゃないんだ」


 見る見るうちに潤んできた瞳にたじろぎながら、なだめるように言う。


「ただ、さっきみたいに僕が真面目に頼んでいるのに、それを茶化すみたいな真似をされると、僕だって人間だ――」


「僕だって人間だって、やっぱり私のことを化け物扱いしている」


「いや、そうじゃなく──」


「いや、絶対そう。この間だって、私のことを立派な化け物だろうって――」

 バスガールの目からとうとう涙が溢れ出てきた。

 


 これには参った。


 コイブミの言う、自分の意志や感情を、言葉を介さずに他者に伝えることができる能力って、かえって邪魔なだけじゃないだろうか。


 いや待てよ。ひょっとしてこの能力は、自分で制御できるものなんだろうか。いや是非ともそうならなければ、まともな人生が送れない。


 おれは慌てて言った。

「それは全く僕が悪かった。取り消すよ。そして考えを改める。君のことを、実は可愛い子だと思っている。本当だよ」

 そう言いながら、自分で赤面してしまった。


 なんという歯の浮くような台詞セリフを、おれは言っているんだろう。


 ああ、気持ちが悪い。全くおれらしくもない。これもこいつが言わせているんだ。おれはすっかりこいつの策略にはまってしまったのか……。


 ん? ちょっと待てよ。ひょっとして今そう考えたのも伝わってしまった?


「それに、さっきのあれはひどい。私のことをそのうち人喰いになるだなんて、あんまりだわ」

 しきりに涙を拭っていたが、そのうちタオルに顔を埋めてしまった。


 この様子だと、さっきのは伝わっていなかったようだ。制御できているのか?


「ごめん、このとおり謝る。そんなこと金輪際、大地の果てまで、いや宇宙の最果てまで思ってもいないから。この家にも君が居たいだけ居ていい。いや居てほしいんだ」


「本当?」

 タオルから顔を上げて訊く。


「うん、本当だ」


「本当に本当?」


「本当に本当だとも」


 ああ、こんなやりとりをしているおれって、なんて気持ち悪いんだろう。虫酸むしずが走る。背中がぞくぞくする。チクショー、気持ち悪ーい。


 でもそう思っているおれの気持ちは、どうやら彼女には伝わっていないようだ。どうやら制御できているのか?


 バスガールは、奇麗な白い歯を見せてにっこりと笑った。こうして見ると、目鼻立ちのすっきりした顔に、清潔そうなショートカットヘアがよく似合っていて、本当に可愛いのかもしれない。


「じゃあ、分かった。モンジ老さんを呼んであげる」

 彼女はそう言うと机の上で両手を組み、何やら呪文のようなものを唱え始めた。


 すると、バスガールの横に、何かがドロンと現れた。

「何の用じゃ」と不機嫌そうに言う。


 どうやらこいつがモンジ老さんらしい。 


 山羊髭やぎひげを生やして、顔が染みだらけの老人であったが、何ともはや、珍妙な恰好をしている。


 かますというのか、むしろを二つ折りにしたような四角い袋から、貧相な顔と裸の手足だけを、まるで亀のようににょきっと出している。


 よし、バスガールに続いて、今度はこいつをとっちめてやろうと思った。


「あんた、いったい何てことをしてくれたんだ。おかげでこっちは大迷惑してるんだ。どうしてくれる?」


 すると老人は、ぎろりとこちらを睨んだ。

「お主、わしを見下しておるな」


「いや、決して見下してなどは……」

 たちまち弱腰になる。


「見下しておるから、わしのことを、あんたなどと呼ぶんだ。その前は、こいつをとっちめてやろうなどと思っただろう。人の風体ふうていだけを見て、人間性を判断しているのか? お前のようなやつを、本当の賤しい人間と言うんだ」


 人だって? 人間だって?


 おっと不可いけない。制御だ、制御。


「わしはな、これでも自分のことを、世の中で一番裕福だと思っている。何よりも衣食住の全てにおいて満ち足りておるからな」


「衣食住……ですか?」

 おれはぽかんとして呟いた。


 バスガールは、そんなおれを面白そうにニヤニヤしながら見ている。


 老人は自分の胸のあたりをポンポンと叩きながら、

「そうじゃ、これがわしの着物でもあり、寝床でもあり、でもある」

 と、誇らしそうに言った。


「そして、食は文字さえあれば足りる。しかも、世界に決して尽きることがない。もっとも、最近は、やれW不倫だの、やれ忖度そんたくだのに関する記事ばかりで、あまり旨いものにありつけないがな。ハッハッハッハ」


 何がハッハッハッハだ。おれはまた怒りが込み上げてきた。


「あんた、いや、あなたの嗜好のことなどどうでもいいんです。問題は、私が悪戦苦闘しながら執筆しかけていた原稿を、あなたが無残にも食べてしまったことなんですよ。

 しかし、あなたには乱れ髪が出ないようにしてくれた借りもあります。これまでのことはもう帳消しにして差し上げますから、今後一切、こんなことはなさらいように願います」


 相手は、「ほほお」と一声発したまま、こちらを見ながら山羊髭をじっている。


 何だか、厭な感じがした。


 老人は再び口を開いた。

「あんな不味まずいものを食わせおって、よくもまあ、ほざいたものよ。わしが食っておらねば、朝になってお主は、自分の下手な文章を読み返して、嘔吐を催していたところじゃ。わしに感謝しこそすれ、怒るとは何事じゃ」

 傲然と言ってのける。


 何か言い返そうとした途端、すぐに畳み掛けてきた。


「それにお主は、無謀にもあれをネットに投稿しようと考えていたんだろう。あんなものを、たまたま出合い頭のように読まされたほうの身になってみろ。嘔吐どころか、トイレに駆け込んだ挙句に、汚いものを上からも下からも噴水のように排出しながら、断末魔の悲鳴を上げる羽目に陥ってしまうところじゃったわい。


 お主はネットの威力を知らんのか。一度投稿したが最後、次々に拡散して何万、何十万という罪なき人々が犠牲になるんだ。いや待てよ。今までお主がいくら投稿したって、それこそ出合い頭のようにせいぜい一人か二人来るだけだったのお。その者たちには申し訳ないが、被害が少なくて良かった」


 いやはや、よくもまあこれだけ、矢継ぎ早に悪態を付けるものだ。


 おれは、わなわなと身体を震わせながら椅子から立ち上がった。

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