第7話 欽之助、幼馴染に再開する

 ところで、例の乱れ髪についてであるが、傘骨女さんこつじょに出遭った日の夜は、珍しいことに現れることはなかった。


 微熱の出ているおれに、少しは遠慮でもしたのだろうか。


 翌朝も、身体がまだだるかったので、昼過ぎまでだらだらと寝て過ごしていた。

 

 すると、玄関のほうから「頼む、頼む」という声がする。


 化野あだしのの奴め、ドアホーンまでケチケチしやがって。


 おれは居留守を決め込むことにしたが、「頼む、頼む」をいつまでも繰り返している。


 近所の農家の人が、回覧板でも持ってきたのだろうか。全くしつこい。勝手にどこにでも置いておけばいいものを。


 そう考えたあと、待てよ、と思った。

 何だか聞いたことがあるような声である。


 だるい身体を引きずるようにしながら玄関戸を開けたら、つるつる坊主頭に竹の笠をかぶった子供が立っていた。


 豆腐を乗せたお盆を両手で大事そうに抱えながら、「豆腐はらんかえ」と言う。


 お前――。

 懐かしさで、抱きつきたいほどだった。


「久し振りじゃないか。今までどうしていたんだ」と聞くと、

「爺ちゃんが死んだら、お前のことが少し見えなくなった」と言う。


「ほお、そうだったのか」


「お前が東京に行ったら、皆目かいもく見えなくなった。お前がここに移り住んだら、また見えるようになった。

 それにしてもお前、立派な屋敷を構えたもんだな。ところで、豆腐は要らんかえ?」


 子供の癖に、生意気にもおれのことを、お前呼ばわりである。


 何が立派な屋敷なもんか。

 おれは急にこの小僧が憎らしくなった。


 からかい半分で、「要らないよ」と答えたら、

「買わないとひどいよ」と言う。


 少し可哀そうに思ったが、「ひどくても構わないからお帰り」と言って追い返してやった。



 その日の夜も、とうとう乱れ髪は出てこない。これで二日続けて出なかったことになる。


 傘骨女は祟りだけではなく、こちらの出方によってはこんな功徳ももたらすのだろうか。改めて爺ちゃんに感謝した。


 これで心行くまで眠ることができる――。

 と思ったのが、甘かった。


 布団の中でようやくまどろみかけていたおれの耳に、遠くからシャワーを使うような音が聞こえてきた。


 最初は夢うつつだったが、そのうち意識がはっきりしてくる。間違いなく、うちの浴室からだ――。


 この家のことだ、何が起こるかわかったもんじゃない。


 布団から飛び起きた。


 しかし浴室のそばまで来ると、音はピタリと止まった。


 ドアを開けると、誰もいないのにシャワーヘッドからぽたりぽたりと水滴が落ちている。


 はて怪しいことだと思いながらも、それ以上どうしようもないので座敷に戻って寝る。


 するとまた、シャワーを使う音。

 浴室に行くと、誰もいない。

 水滴だけが、ぽたりぽたり――。


 これが三回も続いたので、いい加減くたびれてしまった。



 風呂と言えば思い出がある。


 子供の時分、おれはよく母に連れられて、祖母のうちに遊びに行ったものだ。もう随分年寄りで足腰も曲がっていたが、達者なもので、一人暮らしをしながら野良仕事をしていた。


 おれと母が辿り着くと、いつも真っ黒に日焼けした顔をほころばせながら、

「ちょっと、待っとき」と言う。

 それから、

「どっこいしょ」と言って、大きな竹籠を背負しょうと、どこかに居なくなる。


 しばらくすると帰ってきて、

「どっこいしょ」と腰を下ろす。


 竹籠の中には、西瓜すいかやまくわ瓜やトマトなどがどっさりと詰め込まれている。それを井戸で冷やし、夜になって縁側で食べるのが楽しみだった。


 婆ちゃんは自分は食べないで、母とおれ二人のために団扇うちわで蚊を追い払ってくれたものだ。

 

 あれは冬休みのことだった。


 おれは一人で婆ちゃんに泊まり、風呂に入っていた。まだまき風呂だったが、婆ちゃんちは平家の落ち武者でさえ厭がるような深山幽谷の中にあったから、薪には事欠かない。


 風呂は、母屋とは独立していた。屋根だけの付いた井戸があって、傍にはヤツデの葉が茂っている。死んだ祖父がこしらえたものらしかったが、竹を半分に割った樋を井戸から風呂に掛け渡し、水を汲み込む仕掛けになっていた。


 おれが湯に浸かっていたら、誰かが火をくべてくれた。


 薪をどんどん追加しながら、

「もうすぐだ。もうすぐで美味うまくなる」とつぶやいている。


 暗闇の中に火の粉がパチパチ上がるのが、格子窓の隙間から見える。


 山姥やまんばだ!


 あわてて風呂桶に水を汲んで窓から撒いたら、婆ちゃんからひどく叱られた。

「何をするんだ。せっかく焼き芋を食わせようと思ったのに」

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