第6話 骨まで愛し手

 ここに越してきてから、何となくこの家のパワーが増してきたような気がする。


 それともおれ自身の潜在能力が、段々と形を現し始めたのだろうか――。


 こんな田舎でも、市立図書館がある。どうせ家にいても小説が書けないので、ある日出掛けてみることにした。


 車を持たないので、1時間に1便しかないバスを利用するほかなかったのだが、その帰りに、小事件があった。


 図書館からバス停まで歩く途中で、突然の雨にたたられてしまったのである。


 天気予報でもそんなことは言ってなかったので、無論傘などは持っていない。たまたま近くにあったお寺の門の下で、雨のむのを待っていると、不意に傘を差しかけてきたものがある。


 色が白くて髪の長い、清楚な顔立ちの女だった。


 心臓がドクンと波打った。

 新たな恋の予感?


 髪はぐっしょりと濡れていて、一筋、二筋乱れるように顔にかかっている。ぞっとするほどつやっぽい。

 

 いや髪だけでなく、全身ずぶ濡れである。それはそうだろう、傘はほとんど骨だけの破れ傘だったから。よく見たら、傘を差し出す手までが、骨だった。


 それで思い出した。子供の頃、爺ちゃんに聞いたことがある。

 にわか雨のような日には、こんな女が現れる。その時は、決して邪険に扱ってはいけないということを。


 それでおれは、

「折角のお心遣い痛み入ります。しかし、この雨もやがて止むでしょう。御親切、決して忘れません。あなたもどうかお元気で」

と言って、丁重に断った。


 すると女は、くるりと背中を向け、骨だけの手でバイバイをした。


 ボロボロの破れ傘を差したまま、歩きながら唄い出す。

 

   雨に濡れたら冷たかろ

   冷めた心は、癒せぬか

   われの思いも通じぬか


   癒せぬならば、やり過ごせ

   お天道様、雲間から

   お久し振りと出るわいな


   ああ、こりゃこりゃ……


 唄いながら、だんだん消えていく。

 何が、ああ、こりゃこりゃだ。


 傘骨女さんこつじょだった。

 こいつに祟られると肺炎になって死ぬことがある。爺ちゃんがそう言っていた。


 その夜、微熱が出た。肺炎にならずにそれ位で済んだのは、全く爺ちゃんのお蔭だ。

 そうそう、爺ちゃんの名前をまだ言っていなかったが、雲吉と書いて、くもきちと読む。


 前にも書いたが、おれの実家は昔は庄屋であったが、戦後の農地改革ですっかり没落してしまった。


 おれの曽祖父に当たる、爺ちゃんの父親は、これも苗字が悪いからだと嘆き、爺ちゃんが産まれた時に、運吉と名付けようとした。すると曾祖母が、それでは悪戯小僧どもにウンチと呼ばれてからかわれてしまうと、泣いて反対したらしい。


 それで苦し紛れに、運を雲に換えたうえで、くもきちと読ませるようにしたらしいが、それでもやっぱりあだ名はウンチだったと、爺ちゃんは笑っていた。


 爺ちゃんは、まだ子供だったおれに、色々あやかしどもの話を聞かせてくれたあと、よく口癖のように言っていた。

「だから、女には気を付けないといけないよ」と。


 例えば、こういう話だ。


 夜道を歩いていると、不意に木の陰から女が現れて、声を掛けられる。

「いったい、妖怪と人間というのはどっちが偉いのだろう」

 

 横を向いているうえに手ぬぐいをかぶっているので、顔はよく見えない。しかし、尻のほうから尻尾が覗いている。


 それでうっかり相手を侮って、「そりゃあ、人間に決まっている」などと答えてはいけない。


「なぜだい?」と必ず問い返される。

「なぜでもさ」


「ちゃんと理由をお言い。訳も言わずに一方的にそんなことを言われると、どうにも理不尽だと思えてしようがないんだがね」


「いくら理不尽だと言われたって、やっぱり人間のほうが偉いに決まっている」


「じゃあ、妖怪と人間はどっちが怖いかい?」


「そりゃあ、人間に決まっている」


「なぜだい?」


「なぜって、妖怪には知恵というものがない。知恵のある人間のほうが、どうしたって怖いに決まっている」


「しかしそれでは、どうにも理不尽だとしか思えないんだがね」


 そんな押し問答が延々と続くので、最後は降参して逃げ出すしかない。すると、道をすれ違う人、すれ違う人がなぜか皆大笑いしている。


 いつの間にか兵児帯へこおびふんどしを抜き取られていて、天下の往来で大恥を掻かされるというわけだ。



 実を言うと、わしも若い頃、これにやられたことがあるんじゃ。こいつは数ある妖怪の中で最もたちの悪い妖怪のひとつで、「理夫人」だとか「夫人」だとかいう名で呼ばれておる。


 だから、決して女と議論してはいけないよ。

 と、こういう風にいつも話は終わるのだった。

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