第4話 ああ夏休み

 おれはもともと九州の田舎育ちである。だからこそ、ここがいたく気に入ってしまったのだ。


 家業は古物商だった。昔は庄屋だったが農地改革ですっかり没落し、祖父の代からこの商売を始めたらしい。


 祖父が言うには、骨董品にはそれをこしらえた者だけでなく、元の所有者たちの思い入れみたいなものが、代々積み重なるようにして沈殿している。だから、できるだけ丁寧に取り扱わなければならないということだった。


 しかしそのわりには、家の周りの広い敷地に、中古の洗濯機やら什器じゅうきなどを乱雑に並べている中に、汚い壺だの甕だのをゴロゴロとほったらかしにしていた。


 そんなものに囲まれながら育ったせいかもしれないが、子供の時分からいろいろなものが見えたり、聞こえたりしたものだ。もっともそれで何か得をしたということもなければ、それほどの霊感や超人的な能力を授けられているというわけでもない。


 自分がそんな風にある原因として、祖父の資質を引き継いでいるということも、一方ではあるかもしれぬ。


 祖父は、おれ以上にいろいろなものが見えていたようだった。ほかの骨董品には目もくれなかったが、文机ふづくえと古備前、それに老子の掛け軸だけは自分の部屋に置いて大切にしていた。


 ある日、まだ小学生だったおれの頭を撫でながら、しみじみと言った。

「どうとう山ん坊が出たよ」


 爺ちゃんが言うには、そいつは巨人だが、姿なりは半ズボンをはいた坊主頭の子供である。山に腰かけ、自分の膝に頬杖をついて、遠く夕日の方を寂しげに眺めている。そいつの顔が、子供の頃の自分の顔と同じだったら、もう長くないというのである。


 おれはたまらなく悲しくなって、爺ちゃんの膝にすがりつき、わんわん泣いた。しかしすぐには死ななかった。爺ちゃんの嘘つきと思った。




 それから数年後、俺は中学生になっていた。

 皆からはまだ、オッチャンと呼ばれていた時分のことである。


 ある朝、爺ちゃんにいつものように新聞を持っていってやったら、

「これからはもういい」と言う。


「近頃、わしの部屋にモンジ老さんが棲みつくようになっての。

 こいつは文字が大好物で、文字という文字を片っ端から食い尽くしてしまう。こうなるともう、読むことも書くこともままならないんじゃ」


「そいつを追っ払ってやろうか」とおれが言ったら、

「いや、いい」と首を振る。


「そうしたら、次に忘れん坊が来て居座る。こいつは、なおやっかいじゃ。文字どころじゃない。可愛いお前の顔まで忘れてしまうからのお」

 そう言うと、庭をじっと見ながら煙草をぷかぷかとふかした。


 爺ちゃんはそれから数箇月して、今度は本当にころりと死んでしまった。


 ところが、最初のお盆にひょっこり帰ってくる。


「いやあ、済まん済まん。忘れん坊を連れていくのをすっかり忘れておったわい。前世のことを覚えていたまんまだと、生まれ変わるのに何かと不都合じゃからのお」


 そう言うと、何かの首根っこをつらまえているような仕草をしながら、またってしまった。


 それで忽然と思い出した。

 夏休みの宿題を全くやっていなかったことを。

 爺ちゃんの部屋は、そのままおれが使っていたのだった。


 たまに、前世の記憶を突然語り始める幼児がいる。あれも恐らくは、忘れん坊を置き忘れたからなんだろう。


 祖父が死に、両親もおれが大学生のときに相次いで死んでしまった。家屋敷と一緒に骨董品やガラクタどもはみな処分してしまったが、祖父の大切にしていた文机ふづくえと古備前、それに老子の掛け軸だけは手元に残した。


 おれの新居であるあばら家というのも変な言い方だが、間取りなどについてさらっと紹介だけしておこう。


 まず玄関に入ると、上がりがまちに続いて、何にもない六畳間がある。襖を隔てて、その奥にさらに六畳間。ここには押し入れと階段がある。多分布団部屋か何かだろう。階段は箪笥たんすになっているのか、横に引き出しと取っ手がついている。


 階段の一番上は、二階には行けないように板で塞いである。


「二階までは手を入れてないものですから、使わないようにしてください。まあ、あなたは独り身のようですし、必要ないでしょう」


 あの時、化野あだしのは、例によってこちらを見るような見ないような顔でそう言ったが、誰が好き好んで上がるものか。


 奴がそう言う直前に何か黒い影が階段をのぼっていくのを、おれはたしかに見たんだから。


 この二つの部屋の襖を隔てて南側に、八畳間の座敷が二つあって、西側の一番奥に床の間がある。ついでに補足すると、上がり框からすぐ南向きに縁側が延びていて、突き当りがトイレである。


 おれは大学生になってアパートを借りる時に、間取り図に「WIC」とあるのをトイレと間違って、大いに恥を掻いたことがある。まあ、このおれにウォークインクローゼットなど無用の代物であるが。


 それからトイレの前をさらに西方向に縁側が続く。つまり、南向きで二間続きの座敷を、縁側がL字型に囲んでいるわけだ。


 おれはせっかちで癇癪かんしゃく持ちで、そのうえ閉所恐怖症だと今までにも言ったが、もう一つ方向音痴でもある。そんな人間がこんな説明をするのは非常に疲れるので、この辺でやめておこう。


 台所や浴室などについては、また追々おいおいと――。

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