第2話 明暗の分かれ道

 おれは卒業するとすぐに新聞社に就職したが、小説家になる夢を捨て去ることができず、二年で退職して執筆に専念することにした。

 

 京子はおれが退職することには猛反対していたが、絶対芥川賞を取るからな、取ったら結婚しようと無理やりに納得させた。しかし、その約束は、とうとう果たせずじまいとなる。


 彼女の父親は中野十一という参議院議員であり、かつ慈民党の実力者であった。当然、こんなおれとの結婚を許すはずもない。秘書を使いあの手この手で、強引に仲を引き裂こうとした。だが、彼女はそのことを全然知らなかったし、最終的に別れることとなったのは二人の意志だったから、彼を恨むのは筋違いというものであろう。


 別れたあと彼女はこのことをはかなみ、不忍池しのばずのいけで入水自殺を図る。だがそれは、当時の悪友どもの悪い冗談だった言うことがすぐに知れた。


 ほっとしたのも束の間、今度はあの金本結貴ゆたかと婚約したということを風の便りに聞いた。金本は一流商社に就職し、エリートサラリーマンまっしぐらの道を進んでいるということだった。何だキンケツのくせにと思った。そうして彼を呪い殺したいくらい憎んだ。


 おれは自分が作家としての才能がないことに絶望していたうえに、このような事情も重なり、若いみそらのドレミファソで世捨て人になることを決意したのだった。

 この頃から友人たちの間で、「落目、狂せり」という噂が広まったらしい。


 こうしておれは、新しい家探しを始めた。


 できるなら、京子やキンケツのいる東京から少しでも遠く離れたかった。しかし一方では、小説家になる夢、やみがたしということもあって、出版社のたくさんある東京からあまり遠距離にある場所に住むのも得策ではないとも思った。


 本当のところは、どこかで京子に会えるかもしれないという淡い期待も、未練がましく抱いていたのであろう。こんな不甲斐ない自分が、ほとほといやになった。


 そういうわけで、この若さにも関わらず落魄の身となった自分に憐憫を感じながら、おれは東京の端っこというはじっこを毎日毎日、歩いて回った。そしてついに見つけたのである。

 

 そこは低い山々に囲まれた田園地帯であり、水を張ったばかりの田んぼには、鏡のように真っ青な空が映っていた。何よりもかれたのは、自分の故郷の景色にそっくりだったことである。


 赤い前掛けをした石地蔵の傍に立って辺りを見渡すと、瓦屋根の農家がぽつんぽつんと建つ中に、ひときわ目を引くようなボロボロの家があった。

 

 そこまでしばらく歩いていくと、門の傍に「入居者募集」と書かれた赤い看板が立てられている。不動産会社の名前は「化野あだしの不動産」、電話番号は「000ー0000」とあった。


 こんなに数字の「0」ばかり続く電話番号があったっけ、と少し不審にも思ったが、こんな草深い山里ならそんなこともあるのだろうと勝手に納得した。


 門構もんがまえこそ木の柱に瓦屋根のついた立派なものであったが、子供の背丈ほどの土塀つちべいは大部分が崩れ去っていた。そこを申し訳程度に四ツ目垣で誤魔化していただけだったので、周りの畑や田んぼとは、ほとんど境界がないも同然である。


 昔は立派な屋敷だった面影をかろうじてとどめてはいたが、漆喰の壁は所々剥がれ落ち、柱の一部も腐れかけていた。

 しかも二階建てときているから、相撲取りの白鵬じゃなくったって、白蟻が何匹か地面でちょっと四股しこを踏んだだけで、たちまち瓦解してしまうだろう。


 敷地は三百坪ほどあろうか、庭には菜園などもあった形跡があるが、今は草ぼうぼうである。

 大きな立ち木などもなく、周りからは中が丸見えの状態だから、まさかこんな所に闖入ちんにゅうしてこようとするような酔狂な泥棒もあるまい。


 かえって日当たりがよく、広々として見晴らしがよいから、閉所恐怖症のおれとしては好都合だ。


 そこで門の前にたたずみながら、こう考えた。

 おれはこれから、このあばら家で世捨て人のような生活する。それから、小説をバリバリ書く。しかし、文芸誌に応募するのはしばらく控えてみよう。


 ネット上には小説を投稿できるサイトがいくらでもある。代わりにここに投稿するのだ。世の中に立った一人でもいい、おれの書いたものを読んでくれる人がいるだけで満足だ。


 いわゆる職業作家になんか、なれなくったっていい。かろうじて東京のはずれに踏みとどまったものの、どうせ出版社からお呼びがかかるはずもあるまい。


 親の残してくれた財産が少しはある。贅沢さえしなければ、自分一人ぐらい何とか食ってはいけるだろう。


 これからおれは、「高等遊民」になるのだ。そう考え、これは名案だと、こゝろの中で快哉かいさいを叫んでいた。


 どうして早く思いつかなかったのだろう。やれやれ、とんだ道草を食ったものだ。

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