8節 ロン・ハーズベルグ

 どれだけ俺たちの気持ちが軽くなっても夜は必ず来るし馬車より徒歩が速くなることもない。まだ峠道の半分も登っていないというのに空は闇夜に染まった。俺たちは道の外れにある小さな空き地で火を焚きながら夜を迎えた。

 晩飯も粗末なもので干し肉の塩漬けを二枚頬張るのみになった。確かにまだ荷物には食料が入っているがここから何日かかるか分からないことを考えるとバクバク食っているわけにもいかない。最低限に留めておく必要があるのだ。

 俺たちは時間ごとに片方が見張り、もう一人が寝るように決めた。最初はどちらかが哲也をするか、みたいな話になったがそれでは明日に支障が出る事、起きている人間が一人炎番をしておけば人にも獣にもそうそう襲われる事はないとロンはいう。

 ただ戦いを知らない俺が先に体を休めた方がいいという事でロンが炎番をすることになった。

 だが案外火の元で寝るのは難しい。薪が燃える音や虫の羽音が聞こえてくると妙に緊張してしまうのだ。

 だから俺は体を横にして頬杖をついたまま焚火をずっと見ていた。

「なあ、ロン」

「はい」

「お前、こういうの経験あるのか」

「まあ、近衛兵になる前は何度も」

 薪をくべながら笑った。


「私は猟師の出です。両親とも山に入っていつも獣を狩って生きていました。剣術は学びましたが、それ以外の弓や斧といったものの使い方は学んだというよりは覚えていったという方が正しいかもしれません」

 いつも小ぎれいにしている印象のあるロンからは考えられない内容だった。

「だからこのような鎧を着る前は基本的に獣のなめし革から作ったものを着ていて、こんな大層なものを着るようになった時は身動きが取りにくくて仕方ありませんでしたね」

「なんで猟師を継がなかったんだ?」

 俺が聞くと少し暗い顔になった。だが笑みは絶やさず薪をまたくべた。

「以前お話ししました、片思いの話を覚えていますか?」

「ああ」

「実はあの時の話は少し嘘が混じっております」


そういうと彼はゆっくりと空を眺め始めた。

「その方は私のような猟師では身に余るようなお方でした。良家の令嬢、と言いましたが本当は貴族でして。お近づきとかそんなもの遠すぎる、私のような身分では到底及ばないような存在だったのです。けれど私はどうしても諦めきれませんでした。どうにかして立身出世をすればそのお方にふさわしくなれる。そうすれば結婚出来ると思っていたのです。だから剣こそ知らなかったものの腕っぷしだけはありましたから剣術を覚え、王都にとびこんだのです。……彼女に合うような男になるため、なんて嘘です。彼女に合うような立場にならなければ結婚すらおこがましい立場だったのでそこまで駆け上がったのです。ですが、私が近衛兵長になった時にはその方は決まった方と結婚されました。貴族ですからやはり爵位を持つ者に嫁ぐのが習いなのでしょうね。彼女はすんなりとその男性のお方に嫁いでいきました。その時身分違いの恋とはこういうものだったのか、と改めて感じたものでした」

 一通り話すと彼はふう、とため息をついた。

「その頃には私も王宮では力を持つ人間の一人になっておりました。ただ、私には政治とかそういうのがおおよそ得意ではありません。腕っぷしはあっても愚直以外の取り柄がない男でしたから。ですので誰もが私を味方につけようとして近づき、政治の小競り合いが得意ではない馬鹿と分かると去っていきました。そういう意味ではもう近衛兵長の存在は私にとってはもう重荷だったのです。恋に夢など見ず一猟師として生きればよかった。ずっと思っておりました。そこにマコト。貴方が現れました」

「俺が」

「はい。貴方が現れた事によってこの国に勇者という存在が生まれました。それは形だけのものだったかもしれません。ですが、言い伝え通り、国の富と繁栄を分け与える勇者として色々な街を行幸する必要が生まれると思いました。となるとその護衛が必ず必要になります。だから私は真っ先に手を挙げました。もう身分も王宮での生活も散々でしたから。マコトには申し訳ありませんが、私は貴方を利用したのです。身分もなにもかもを捨てるために」


 だからか。だからこいつはここまでついてきたのか。俺の事を利用して今まで得たものを捨てるつもりだったからここまで来たのか。言い換えたらそのための存在だから俺をここまで大切にしたのか。

 だが不思議と嫌な気持ちにはならなかった。ロンもまた自分の生き方に窮屈さを感じ、渡りに船で俺を利用しただけの話で、俺が来なければもっと違う未来を歩まざるを得なかったのかもしれない。そう思うと俺はなんだか人の役に立てたように思うのだ。

「じゃあ俺はロンの自由を保障する手形ってわけだ」

「誤解を恐れずに言えば。申し訳ないとは思いますが」

「全然。どうせ自殺した身だしそうでなくても野垂れ死にしても文句言えない立場。どんどんお役に立ててくれよ」

「ただ、今は違うのです」

「というと」

「最初は利用するためでした。ですがマコトが自分なりに何かをしようと必死になっている姿を見て思ったのです。私は今まで自分のためになにかあがいたのか、と。マコトはずっとこの国のお飾りになる事を厭わなかった。それに比べて私は自分の都合ばかり生きていました。それが恥ずかしくなったのです。そして、マコトを尊敬するようになりました」


 本音だけで言えば、俺は勇者になんかなりたくなかった。

 今まで散々仕事場で役に立たないお荷物と呼ばれた俺だ。ここに来ても御輿の上に乗っかっていなければならないと思うのはたまらなかったのだ。誰かの役に立つわけでもない、ただこの国の政治家連中の権威付けとして生かされる身分。それは自殺する前の会社でただ飯を食わされているのとなんら変わりがなかったのだ。

 そのくせ権力だけは妙にある。俺がわがまま一つ言えば勇者の勅命と、国を揺るがさない程度ならなんでも通る。そんな生き方が馬鹿らしくて仕方ないのだ。自分の挙動挙手一つで何人もの感情を受け止めるなんて御免だ。それは結局会社で仕事が出来なかった頃となにも変わらないじゃないか。

 だから、勇者になんかなりたくなかったのだ。

 その一方で俺はこの世界での生き方が分からない。どうやれば賃金を得られる。どうすれば飯が食える。どうやって家を建てればいい。誰に助けてもらえばいい。服もいつボロボロになるかわかりゃしない。

 そう思うと流されるしかなかった。

 国の壮大なお人形ごっこの人形になる以外の道がなかったのだ。

 俺にはこの世界で生きる力がない。最初に出会ったあの老婆以下なのだ。俺は。

 あの老婆たちの真似事をしているだけで生きてきた。いいや、あの老人たちに生かされていたのは他ならぬ俺だった。俺は一人で生きているのではない。誰かに生かされる事によって初めて生きている事を実感できていたのだ。

 だがそれも奪われてしまった。

 この世界がいうテレムティアとか、勇者とか。そんなわけ分からないものに全てを奪われてしまったのだ。

 だが、それを否定する力もない。

 だから、勇者になる事を選んだのだ。


 だが。もう今は違う。

「なあ、ロン」

「はい」

「俺は、君の苦しみがわかるよ」

「えっ」

「俺も、君と同じ立場だったらそうしていると思うから。そして俺がここに来る前もそうだったから。なあ、ロン。一緒に、生きよう。俺たち二人でも。勇者とか、その護衛とか関係なく、友達として生きよう。いや、生きてくれないか。友達として。俺と」

 俺はいつの間にか身を起こしていた。ロンが顔をくしゃくしゃにして泣き始めた。

「……どこまでも御供させてください。勇者様」

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