終節 新たな旅立ち、そして

「マコト。マコト」

 ロンの声に俺は呼び起された。いつの間にか眠っていたらしい。空を見ると少し明るくなっている。もう夜が明けるのも遠くない。

「申し訳ありませんが、変わっていただいてよろしいでしょうか」

体を起こした後、黙ったまま頷いた。ロンはにこりと笑いながら頭を下げると体を横にした。「少ししたら起こしてください」

 そういうとあっという間に寝息を立て始めた。

「馬鹿なやつ」

 一人ごちた。この男は日が昇るまでずっと俺を眠らせたのだ。いつだって起こせたのに。自分の睡眠時間を削ってでも俺を眠らせようとしたのだ。勿論俺には武術らしいものは何一つないから俺が起きていても仕方ない、といた側面もあっただろう。だがロンがいつも体調を整えていなければ俺達はもっとつらい立場になるのだ。そんなことを分かっているはずなのに俺をゆっくり寝かしつけようとしたのだ。

 本当に馬鹿なやつである。

 そう思うとなんだか心地よい清水が心に湧き出るのだから信頼するとは怖いものだ。頬を緩ませながら薪に火をくべた。

 しかし、俺にはひっかかっている言葉があった。

「勇者様」

 ロンが俺に言った言葉だ。

 少なくとも俺はもうロンを従者ではなく友人として見ている。それは恐らくロンもそうだろう。でなければあんな話をすることもなかっただろう。

 でもロンは俺を勇者と見た。勇者であることを否定している俺を。

 特別な意味がある。恐らくロンの中に。

 やはりこの世界の住人は主従を意識するのか。いや、意識しているならこいつの事だから俺を起こして薪番を頼んだりはしないだろう。俺が見ても不器用な男だ。自分に無理をさせる事を厭わないはずだ。だから起こして薪番をさせる事は俺に対する信頼、友人としての信頼があるからこそあえてやったのだ。

 だとするならば、勇者、という言葉には違う意味がある。ロンの中にある凍り付いた何かを俺が溶かしたから俺の事をそう呼んだのかもしれない。だからロンは俺を勇者様と呼んだのかもしれない。彼にとっての勇者様。それが俺、なのかもしれない。

 そう思うとなんだかこそばゆくなった。考えてみたら他人にここまで信頼された事なんかないかもしれない。

 彼は俺を利用する事で物語が始まった。しかし、彼にある心の奥底に固まったなにかを見ようとしたとき、それを許せない良心のようななにかがあったのではないか。その咎めが俺の言葉によって救われた。だから俺は勇者と思ったのではなかろうか。ある意味神のような存在だ。懺悔を吐くような。品行方正なこの男にだって自分の理念に沿わないかん替えはあったのだろうし、それが今回行動に出たことでかなり苦しかったのかもしれない。

 言い換えたらそれがロン・ハーズベルグという男のよさであり、俺の従者であることを贖罪としたのだろう。自分の中の良心を保つために必死になっていたからこその従属であったのだ。

 そう思うとこの精悍な体つきをした男が途端に子供のように見えてきた。みんな大人として生きるために器用であろうがなかろうが要領よい生き方を求められる。それを彼は不器用ながらやってきたのだ。

 一方で俺にも命題が突き付けられることになった。俺はどうやって生きるのか。曲がりなりにもこの世界ではテレムティアと呼ばれる勇者である事には変わりない。だがそれは実行を伴わない、形だけの存在だ。

 そんな俺は、どうやって生きていけばいいのか。

 彼は俺を勇者と決めた。

 だが俺は勇者として生きていける要素を何一つ持っていないと考えている。そうすると俺は……。

 その時であった。


「貴様、そこで何をしている」

 声とともに何かが目の前に飛んで来た。それが矢であった事を理解するのはそんなに時間がかからなかった。

「もう一度問う。貴様、そこで何をしている」

 あたりを見回すが誰もいない。恐らく木々の間なのだろうとは思う。だがあくまでそれは地面に刺さった矢から感じたもので、必ずそこにいるというわけではない。

 一瞬声を失った。

「何も言わないのならば頭を射抜く」

 その言葉に心臓が鳴った。今までの世界だと冗談にしか聞こえなかった言葉が今本当に生命に関わる事を体が知らせてくれている。本当に殺されかねない。

「お、俺は旅の途中で」

「この時代、歩いて旅をする奴らなどいない」

「そ、そうかもしれないけれども」

「なによりその荷物はなんだ」

「こ、これは単なる荷物だ」

「荷物に剣が二振りか。ほかの者も武器なんじゃないか?」

 慌てて荷物に目をやる。

「この周辺が我らの集落を知ってやったのか」

「いや、知らなかった」

「嘘をつくな! 我らの集落から略奪に来たのだろう! この盗人猛々しい人間どもが!」

 矢が頬をかすめた。

 命を取る事はいつでもできる、という宣言に等しかった。

「嘘じゃない! 俺たちはセティアという国から派遣された男で」

「派遣された? どういうことだ」

「俺は、テレムティアという異世界からの人間で」

「ほう。そんな世迷い事に騙されると思っているのか」

「勿論信じてもらえない事くらいは分かっている。分かっているとも。でも、そうであるとしか言えないんだ」

 声が震える。こんな土壇場で伝わるかどうかすら分からない事を言う事がこんなに怖いなんて。確かに今まで営業をこなしていたらこんな事は多々あった。嘘っぽく聞こえる本当に言葉を吟味しながら話した事なんていくらでもある。

 だが、命が懸かっているのは今回が初めてだ。本当のことでも嘘のように聞こえたら頭に矢が射抜かれる事になるだろう。かといって嘘をついても突き通さなければ同じ結末だ。途中でばれたとなったら命は保障されない。

 ロンを起こそうかとも考えたが起こそうとしたところで殺されるだろう。

「では何か証明してみろ。お前が伝説のテレムティアなら何かできよう」

「その、今は何もできない」

「嘘をつけ。本当のテレムティアなら奇跡を起こせるはずだぞ」

「出来ない。俺は異世界から来たってだけでただの人間なんだ」

「そうか」

 そういうと静まり返った。

「なら死ぬのが良かろう」

 その言葉に必死になって声を出した。

「も、文字が読める!」

 とっさに思いついたことだった。どういうわけか俺はこの世界の言語も分かれば読むことだけは出来る。それだけが俺の残された力だった。

「文字が読める、だと?」

「あ、ああ。文字が読める。俺がセティアの勇者に選ばれたのも、聖書に書かれた古代文字が読めたからなんだ」

「……なるほど。だとしたら解放してやろう」

「あ、ありがとう」

 言葉と一緒に茂みが揺れた。

「ただし、われらの部族の聖書を読むことが出来たらな」

 そこに現れたのは弓を担いだまま現れた、金の髪に長い耳が横に出る女性であった。

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