5節 前 バウール石の指輪
本当にバタついた。
式典が終わった後、会食もほどほどに俺たちは席を立った。そんなに重くないと思っていた鎧も数時間着ていると案外疲れる。ホテルに戻り、装飾具を外すと俺たちは馬車に急いだ。
馬車に乗る直前、夜を共にした給仕が何かを渡してきた。青く透明な石であった。
「マコト殿。これから先の旅が安全でありますように」
朝の時の品のない笑顔ではない、しゃきっとした顔であった。この顔を俺は別の世界で嫌というほど見ている。俺は軽く会釈した後馬車に飛び乗った。
「こうもバタバタだと大変ですな」
揺れる馬車の中で俺と違い汗一つもかいていないハーズベルグがのんきに口にした。
苦笑いをしながらうなづいていると彼は俺の手元にあるものに気付いた。
「バウール石ではありませんか。いかがなさったので」
「宿の給仕から貰ったんだ」
「そうでありましたか」
「なあ、ハーズベルグ。これはどういう石なんだ」
「この石は持つものに富と繁栄をもたらすとされている石なのです。その昔、セティアの土地に降り立った神の使いと言われた魔法使い、ボルドウィンが発見し、この国の初代国王セティア一世に渡したという伝説のあるものなのです」
へえ、と思いながらバウール石を眺める。不思議な色を放っていた。
「しかしこの石は案外どこの山でも発掘されることがわかりまして。それでお土産などによく用いられているのです。マコト殿の聖剣や鎧にもこれが使われているのですよ。勿論マコト殿の鎧はバウール石でも希少価値の高いテルバウール石ですが」
「それはこれと違うのかい」
「これより深い青色をしていて、かつ透き通っているのです。私も一度みたことがありますが、それは素敵な蒼でした」
「いつ見たんだい」
「それは……」
そういうとハーズベルグは言いにくそうにした。
「どうしたんだい」
「その、お恥ずかしながら私が結婚しようとした相手に渡そうとしまして。渡す前に振られてしまったのですがね」
そういいながら苦笑いをしていた。
「すまない。失礼なことを聞いてしまった」
「いえ、そんなことおっしゃらないでください。どうも私は女を見る目がないようでして」
そういうと巨体を小さくしてしまった。
なんだか驚いてしまった。目の前で俺の気持ちを下げないようにと明るく振舞う彼にも男として生きていることを目の当たりにしたのだ。
俺はいまだにこの世界の住人として慣れていない現実がある。これは俺が死に際にみている自分にとって都合のいい夢なのではないか。そんな疑問が脳裏の片隅にあったのだ。だから給仕との逢瀬も気持ち悪いほど簡単に出来てしまったし、少なくとも戸惑う事こそあっても俺が生きていた時代や場所よりはよっぽど住み心地のいい現実が目の前にある。だからこそどこか夢見心地でいてしまうのだ。
だが目の前の男は違う。俺にとって都合のいい存在ではなく、自分の人生を生きようとして、失敗をしつつも今日を生きている他人なのだ。その他人は名義上の意味合いではない。都合のいい存在であったら彼は結婚に失敗した、などという設定などつけないのだ。だから彼はこの世界に生きて、色々なことがあって現在俺の目の前にいる事に他ならないのだ。
「マコト殿」
ハーズベルグはきょとんとした顔でこちらを見つめてくる。
「どうされましたか」
「いや、なんというか、申し訳ないことを聞いてしまったなと」
「いえいえ、それは先ほども言いましたように私の見る目がなかっただけです」
「どんな女性だったんだい」
俺の質問に驚いた顔をすると、少し考えながら答えた。
「お恥ずかしい話なのですが、村一番の良家に住むお方に好意を抱いてしまったのです。私もまた若かった、もちろん今も未熟ではありましたがあの時は今以上に世間を見る目がなかったのです。だから振り向いてもらおうと必死でした。男らしい姿が彼女に似合うだろうと毎日鍛錬をしたり、彼女がバウールの色が好きだというとその中でもひときわ美しいといわれるテルバウールを買うことが出来ないかと模索してみたり……。だけれどもそれは完全に空回りでした。彼女は村一番の器量よしでして、立場もなにも考えずに想いを何度も伝えたのです。ですが所詮縁のない話でして。私が今の立場になったのもこうすれば彼女と釣り合うのではないか、なんてやましい考えでこの世界に飛び込んでしまったのです」
ハーズベルグの視線があちらこちらに散る。話しにくい話なのだろう。
「辛かったな」
「え」
俺はこぼしてしまった。
「マコト殿、それはどういうことでしょうか」
「言葉通りさ」
俺は少し考えた後返した。
「そんな、私には身に余るお言葉です」
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