第10話
大事件、のはずなのだが、あの集団はかなり有名なマフィアだったらしく、その圧力で報道を歪めた。
そんな所から逃げ出せたのは、やはりお家騒動のもつれが関係していたらしい。
ジャンボは翌朝には病院に向かい、怪我の手当を受けて、初めて切り傷が大量に増えていたことに気がついた。
体当たりのせいでアザも酷いことになっている。
そんなジャンボにチョコとバニラはついて行くと言って聞かず、二人は学校を休んで、ジャンボももちろん仕事を休んで、三人で病院に来ていた。
顔にガーゼを貼られ、眼帯をつけ、包帯でぐるぐる巻きにされたジャンボはぼんやりと、待合室へ戻る。
「うわぁ、やっぱり重傷じゃん……」
痛々しい姿を見て、チョコは顔を歪めた。
今日ジャンボは「病院なんていいよ」とかなんとかいいながら、血まみれの服で起きたのだ。
顔だって殴られた跡がくっきり残るのに、どうしてジャンボはそんなことを言うのかと、二人は困惑した。
「ジャンボ、お会計やるから財布貸して」
どこか虚ろなジャンボは、素直に財布をバニラに渡した。
ジャンボはまだ悪夢が醒めていない。
病院は時折血まみれになり、死体が転がって、視界は真っ赤に染った。
あの時は、どうやってこの悪夢から出たんだったろうか。
思い出すことも出来ず、ジャンボは表情も乏しくチョコとバニラと歩いた。
体の痛みさえも本当に遠くて、街の喧騒も、なにもかもが遠く遠くぼやけて。
「ジャンボ」
ハッと引き戻される。
なぜだか分からないが、この悪夢の中でバニラとチョコの声だけはちゃんと聞こえた。
チョコがジャンボにハンカチを渡した。
また泣いていたのかと、その手を見て気がつく。
ハンカチを受け取った。
この手が、真っ赤な、手が。
「ジャンボ……?」
あれ、とジャンボは立ち止まる。
今横にいたはずのチョコが、数歩後ろで立ち尽くしていた。
次の瞬間、口から大量の血を流し、チョコは崩れ落ちる。
「チョコ」
叫ぼうとしたはずなのに、なぜだか呟くような声しか出ない。
駆け寄ろうとした手の先に、バニラが。
俺の手にはナイフが。
「なんで……?」
ナイフがバニラに突き刺さっていた。
バニラは悲しみで疲れきった顔で倒れていく。
いやだ、待って、バニラ、チョコ、俺は。
手にはハッキリと二人分の血が付着している。
街中で白昼堂々の事件なのに、誰もその姿を咎めなかった。
そもそも見えていないように、全員がとおりすぎていく。
ジャンボは「誰か助けてくれ」と叫び続けた。
血まみれで倒れるチョコとバニラの体を抱えて、もう呼吸のない冷たさを二人から感じて、ジャンボは泣き叫んでいた。
今度は、俺は、二人を、殺した。
「ジャンボ……!」
何度も何度も揺らされていたのを、目を開けてから気がついた。
意識は四合院の寝台の上へと戻る。
夜の静けさの中、視界のはしにバニラがいた。
今のは夢だった、のだろうか。
もう自分が信用出来ず、ジャンボはボロボロ泣いていた。
そんな悪夢にうなされた呟く声でバニラは目を覚ましたのだ。
チョコは寝ている。きっと今はその方がいい気がした。
「ジャンボ、なんの夢見たの?」
ジャンボはぐっと息がつまり、声もあの日からうまく出せなくて、喉を締められたような、苦しげな声で途切れ途切れに話す。
「俺が……お前たちを……殺したんだ……」
バニラは顔色を変えた。
ジャンボがなにと戦っているのかは分からない。
ただ、この間の事件だけがジャンボをここまで追い詰めているとは思えなかった。
けれど、理由なんてどうでもいい。
「ジャンボはそんなことしないよ」
バニラは真剣にジャンボを見た。
ジャンボは本当に分からなかった。
なにかのきっかけで、自分はまた、人殺しに戻る。
「あの日……たくさん殺したんだ……」
バニラはジャンボの手を握った。
人殺しの血まみれの手を。
「おかげで助かった。みんな無事だった」
ジャンボはまた泣いた。なにが現実がもう分からなかった。
悪夢に引きずられすぎて、現実と夢が混じって、次の瞬間には自分は、チョコとバニラまで手にかけているのではと思った。
そんな夢ばかり見るのだ。数日たったのに、少しも良くならなくて。
「ジャンボ、俺は信じてるよ。ジャンボのこと。
出会いはあんまり良くなかったけど……ずっと守ってくれてる。
今も、俺のこともチョコのことも守ってくれてる。
ジャンボが自分を信じられなくても、俺は、ジャンボを、信じてる……」
バニラはこぼれ落ちてく自分の涙を感じた。
ダメだ、今泣いては。
ジャンボが余計に追い詰められてしまう。
そう思ったのに、もうダメだった。
「バニラ……」
ジャンボは号泣するバニラに戸惑った。
あまりに突然で、その背中をさすることしかできなかった。
バニラはなんとか泣きやもうと自分の太ももをつねったりしたが、なんの効果もありゃしない。
「俺……も、夢を、見る……んだ……。俺がジャンボを……チョコを……殺す夢……」
ジャンボは驚きのあまり、上半身を起こした。
やっと視線を合わせた二人は、互いに泣いていた。
しかし、バニラの告解は続く。
「ジャンボをとらないでって……叫んだ日のこと……覚えてる……?」
ジャンボは声も出せずに頷いた。
バニラはもう、隠し通すことも出来ずに、最悪な夢をボロボロと語った。
「あの日の夢……見るんだ……。俺が叫んでも……誰にも聞こえてない夢……。気がついたらジャンボは、ジャンボは、倒れて、チョコも俺が、チョコはジャンボと笑ってたから、みんな俺がぶち壊して」
バニラの様子はどんどんおかしくなる。
「俺がいるせいでみんな、死んで。俺がそのナイフを持ってて、俺は、俺さえいなければ、俺が消えれば」
ジャンボはバニラを抱きしめた。
絶対に離さないよう抱きしめる。
「お前はそんな事しないよ」
でも、とバニラは瞳を揺らして虚空を見つめる。
バニラの脳裏に浮かぶのは、5歳までの日々の自分だった。
「何度も、親を殺そう、と、考えてた。ジャンボとチョコは……違うのに……捨てられる……が……怖く……」
ごめんと繰り返してバニラは泣いた。
最悪な夢を見ることなんて何度もあった。
けれど、そんな夢から醒めるたびに、ジャンボは台所にたって、チョコは元気に朝食を食べて、部屋には朝日が柔らかく差し込んでいた。
良かったと何度思ったのだろうか。
あの時、ジャンボが人を殺していても、それでも自分たちを助けようとしていたことが嬉しかったなんて、そんな最悪なこと、誰に言えるだろうか。
繰り返し謝り続けるバニラを、ジャンボはずっと抱きしめていた。
声がやっとまともに出せそうだ。
ジャンボは静かな声でバニラに話しかけた。
「あのな」
バニラはぼやけた目のままジャンボの声を聞く。
「あの食堂で、お前が止めなくても。俺は……たぶん、無理だった」
バニラは驚き、ぐっと呼吸が止まる。
「お前だから話すけど……俺は……誰かを好きになれないみたいなんだ。
昔、酷い事件を……事件の中にいて…」
今もその悪夢から抜け出せず、本当はバニラを抱きしめていることさえ怖かった。
背後の影が突然ナイフを構えて、バニラを刺し殺す気がした。
「でも……お前たちは……なんでか……。なんでだろうな。きっと、俺を……こんな俺を信じてくれてるから……」
自分でだって自分を信じることが出来ないのに、真っ直ぐな目でチョコとバニラは自分を見た。
そんな、日々を過ごしたおかげで、少しだけ、ジャンボはあの夜から距離をおけていたのだ。
バニラはやはり泣きながら言った。
「ジャンボが俺たちを見つけてくれたんだよ…。誰も道端の子供なんか見なかったのに……見つけてくれたんだ」
二人はもう言葉を交わさなかった。
充分、気持ちが伝わったから。
でも泣き止むことは出来なくて、延々と泣いた。
銃を持った自分に突進して、自分が撃たれる可能性を怖がることも無く、家に帰ろうと言ってくれたのはバニラだった。
「ジャンボをとらないで!」なんて人生を邪魔したのに、自分さえ居なければ今頃ジャンボは幸せに暮らしていたかもしれないのに、ジャンボは命懸けで自分やチョコを助けに来てくれた。
いつかジャンボだって、人を好きになれるよなんて、無責任なことは言えなくて。
でも、願った。二人は互いの幸せを願うことにした。
その涙のおかげで、バニラの胸のトゲは溶けた。
そしてジャンボの感情も戻りつつあった。
チョコは寝ていたから知らない。
チョコがこっそり泣いていたことも誰も知らない。
三人で生きていこう。
そう誓った言葉を、ジャンボはしっかりと思い出すことができた。
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