第3話

 そんな日の夜遅く。

アクション俳優としての生活を始めたばかりのジャンボは、かなり疲れを顔に滲ませて、汽車に揺られていた。

いつもならトロリーバスで行ける範囲での撮影が多かったのだが、ここしばらくは汽車で通うことになっていた。

一応、俳優のためのホテルは用意されている。

けれど、ジャンボは頑なに家に帰る方を選んだ。

もちろん、理由はチョコとバニラのためだ。


 二人はまだ14歳だ。

本人たちは大人ぶったりして見せるものの、ジャンボからすれば小さい子供でしかなかった。


 しかし、そんな毎日の無理がたたって、ジャンボは目の下にクマを作り、大きくあくびをした。

ふっと夜の窓に反射した自分の姿にドキリとする。

髪はボサボサで顔色も悪く、まるでその姿は二人と出会う前の自分のようだ。


 そりゃ、こんな姿だったら、襲いたくもなるよなとジャンボはため息をつく。

チョコは強盗をしていた時に、相手を選んでいたと言っていた。

きっとあの夜の自分もヨレヨレで、あまりにみっともなく、弱そうで、多少の卑屈さまで滲んでいたのだろう。

せめてもと思い、窓を鏡にして髪の毛を手ぐしで整えた。


 そうしてまた、果てしない道のりを汽車が走る。

単調なタイヤの揺れに眠気を誘われ、ジャンボはふっと目を閉じた。

すぐに起き上がって、首を横に振って、しかしまた目は閉じてしまう。


 そんな孤独な戦いの様子を見ていたのだろう。

お客さん、なんてよそよそしく、からかうような声が頭上から降ってきた。



「連城までだろ。俺もちょうど交代だから起こしてやるよ」



 声をかけてきたのは列車長※1の潘岳パンユェだった。

ジャンボの知り合いというよりかは、チョコとバニラの知り合いだが、潘岳のほうはお構い無しに、三人ともひっくるめてどこか子供扱いをしていた。

年齢がジャンボの一回り上であったり、ガタイの良さがずば抜けていたりするため、ジャンボは不服ながらもどうも子供扱いから抜け出せない。



―――――――――


※1 車掌のこと。潘岳は長距離列車を担当している。


―――――――――



「列車長さんが俺なんかに構ってていいんですか?」

「俺も眠いんだよ。察しろ」



 横暴な言葉にツッコミを入れる気力もなく、またジャンボはあくびをした。



「まぁいいから寝ろって。これも仕事の内みたいなもんだよ」

「公私混同じゃないですか……」

「どこにいたって俺は俺に変わりないだろ」



 寝ろ寝ろとしつこいので、ジャンボは仕方なく背もたれに身を預けて目を閉じた。

……何か、視線を感じる気がする。

ジャンボはうっすらと少しだけまぶたを開けた。

するとその隙間いっぱいに、ドアップの潘岳の顔があった。



「うわぁっ!?」



 ジャンボはほとんど条件反射で、目の前のニヤニヤした顔を殴ろうとした。

普通の人間ならかわせない一撃を、潘岳は難なく身を引いて避けてしまう。

やり場のない思いが空を切った拳から戻ってくる。



「なにしてるんですか!!!」

「いやー。気がつくかなぁって思って」



 潘岳は楽しそうに笑っているが、ジャンボはムカムカとその姿を見ていた。



「勤務中でしょう。クレーム入れますよ」

「別に今さら上に文句言われても」

「いいえ。弟さんに聞いてもらいます」



 げー、と潘岳は嫌そうにして、なんだかふてくされたような顔で、ふらふらと隣の車両に歩いていった。

だからこの鉄道はあまり使いたくないのだが、連城を通る長距離の路線はこの一本しかないのだ。

乗れば必ずどこかしらで顔を合わせるし、年上なのをいいことに、ジャンボを弟分にしようとしてるような感じでもあった。


 なんにせよ不愉快には変わりない。

潘岳の唯一の弱点とも言える、彼の双子の弟に文句を言ってやろうと思いながら、ジャンボは目を閉じた。

弟も駅で務めていて、彼らは二人で連城を中心に、この辺り一帯の駅と、この長距離路線を管轄としているようだった。



「寝た?」



 とてもとてもウザイ。

やっと眠りのふちに立ったジャンボに、また潘岳の声が降ってきた。

ジャンボは薄く目を開き、潘岳を睨んで顔を上げる。



「今眠れそうなとこでしたよ」

「ひぃ、おっかねぇな。そう怒るなよ」



 ジャンボはもともとツリ目であり、この目つきの悪さに怯えられたことは何度もあった。

なのに、潘岳は反省のない声で逃げていく。

いつかぶん殴ってやろうとジャンボは心に誓ったが、やっと静かに眠れそうだった。

同じ車両にも誰もいない。

タイヤが回る音だけが車内に響き――。



「おい、起きろ」



 ハッと顔を上げた。

いつの間にか止まった汽車の中で、潘岳は薄い仕事用の黒いカバンを手にして、ジャンボに声をかけていた。

不真面目なフリして約束はきちんと守るところなんか、ジャンボからするとますます不愉快な相手だったが、助かったのは事実だ。

渋々お礼を言いながら立ちあがある。



「まぁ、それはいいから、弟には黙っててくれよ」



 潘岳は適当な愛想笑いをジャンボに向けた。

ジャンボは心底どうでもよかったが、やはり適当に頷いた。

二人が降りて十数秒後には、汽車は出発の合図を送る。

止まっていた車輪がゆっくり回転し、回転するごとに速度を増して、あっという間に闇の中に消えていく。

急に静かになったホームから階段を降りて、改札へと向かった。


 すると、ちょうど改札で切符を待っていたのは、潘岳の弟の潘雲パンユンだった。



「あ、ジャンボさん。こんばんわ」



 潘岳も潘雲も、ジャンボという呼び名に疑問も持たず、チョコとバニラにならって、ジャンボと呼んだ。

ジャンボの方は、なんとなくむず痒さがあるが、この際そんなことはどうでもいい。



「ねぇ、潘雲さん。車掌が客をからかうのってどう思います?」



 案の定、潘雲はキョトンとして、切符を受け取りながら首を傾げた。



「よくない車掌だなぁとおもいますよ。変なトラブルに繋がりますし」



 潘雲には伝わらなかったが、潘岳は打ち消すように大きな咳をして、ジャンボを恨めしそうに見た。

ジャンボはそんな二人を背後に、駅の外へ歩いていく。

長距離移動のストレスが、ささやかな睡眠と報復のおかげで緩和されたようだ。

深呼吸をして、まぶたを開き、あともう少しだと自分に言い聞かせる。


 ここのところバニラもチョコも、特訓も晩ごはんすらも共に出来なくて、なんだか寂しそうにしているように見えた。

今日も、二人はもう寝ているだろう。

明日の朝も、二人が起きる前に出かけなければ間に合わない。

それでも、わずかな時間でも家に帰りたかった。

朝ごはんは二人のために作り置きし、寝ているふたりを密かに抱きしめるのは自分のために。

相当疲れて参っていたが、たったそれだけでかなり癒された。


 だが、駅舎の出口から数歩のところ、花壇の裏に人の潜む気配がした。

トイレの裏からも、案内看板に堂々と背を預けている男も、皆一斉にジャンボを見たのだ。

それに気が付かないジャンボではなかった。


 1番近くにいた花壇裏の気配が、俊敏にジャンボの眼前に迫る。

手にはバットらしきものを持ち、顔は狐面に隠されている。

案内看板にもたれた男も同じ狐面だ。

ジャンボはギリギリまで相手を引き付けて、バットの軌道をかわして、その手を蹴りあげた。

バットはクルクルと斜めに回転してそばの生垣に突き刺さる。

武器を失い、指先を蹴りあげられたのに、動作はほとんど鈍らず、狐面はジャンボに殴りかかった。


 なんの集団かも分からない。

それにトイレ裏の奴もこちらに駆け寄ってくる。

背後から振りかざされたバットを、空を切る音を頼りに後転でよける。

その間に生垣に突き刺さったバットは回収され、二人はジリジリとジャンボを囲んだ。


 ここまで誰も一言も発さなかった。

それに痺れを切らしたように、案内看板にもたれた男が声を出す。



「やめ!一旦やめ!」



 戸惑うジャンボは二人に囲まれたまま、偉そうな男が歩み寄って来るのを見た。

とっさに身構えるが、偉そうな男は笑う。



「第七偵察隊の江白さん?」



 ゾッとおぞけが走る。

ジャンボの背後の影が一気に歪んで膨らみ一斉に叫んだ。



『殺せ!!!』



 ジャンボはその声にほとんど乗っ取られるように、薄く開いた目を底光りさせた。

しかし、ジャンボの殺気をものともせずに、狐面の男は軽く笑う。



「映画だなんだとずいぶん派手に動いたね、江白さん。おかげで見つけやすかったよ」

「目的はなんだ。復讐か?」

「ああ、もちろん」



 ジャンボはじっと睨み続ける。

しかし、しばらくの睨み合いの後、偉そうな男はまたおかしそうに吹き出した。



「冗談だよ。本気にした?復讐だなんて、そんなくだらないこと」



 ジャンボは煙に巻かれたように戸惑い、苛立ちを込めて聞き返す。



「本当の目的はなんなんだ」

「いやぁ、復讐だよ。嘘とまでは言わない」



 偉そうな男はジャンボにさらに歩みよる。



「けど、俺の復讐じゃない。アンタは俺の腹違いの兄貴を殺してくれて、俺は感謝してるくらいなんだよ」



 ジャンボを囲う二人の狐面がとまどう。



「若、こんなこと姐さんに聞かれたら……」

「いいから、黙ってろよ」



 うんざりとため息をつくその姿を、ジャンボは軽蔑したように笑う。



「複雑な家庭のぼっちゃんってとこか。本当に家の思惑通り俺を殺していいのか?」

「あ?」



 狐面越しの殺気を感じる。

しかし、そんなことで怯むジャンボではない。



「面をとって見せろよ。狐ってのはどんな話でもいつも卑怯者だ」

「別に。見たけりゃ見せてやるよ」



 次の瞬間、面はずらされた。

すると、その下に現れた顔は酷く爛れて、真っ赤な血管が薄い膜の下を走っていた。

絶句するジャンボに面を戻して男はわらう。



「兄貴にやられたんだ。面がなけりゃ外にも出られない。

ああ、そいつらは俺に付き合って、面をつけてるだけだよ」

「そんな兄貴のために俺を殺すのか?」

「まさか!」



 かなり狼狽したジャンボに、偉そうな男が迫る。



「その顔。俺の顔を見た途端、みんな同じ目をする。二度と見たくないと目を背ける。

けどまぁ、治せなくもないらしい。そのために金が必要でね」

「内臓でも売ろうってか?」

「いいや、アンタを丸ごと買いたいと、名乗りを上げた金持ちがいた。

一目惚れだってさ。全く顔のいい人間は待遇もリッチだねぇ」



 ジャンボは目の前に出された写真を見た。

そこには地元の名士と言ったような風格のある、初老の男性が写っていた。

あまりにも予想のつかない展開に、ジャンボはめまいを感じる。



「俺に男娼をしろって言うのか……」

「察しがいいね。やってたの?」

「ふざけるな。俺は子供を家に残してるんだ。アンタらの訳の分からない企みに付き合ってる暇はない」

「チョコくんとバニラくんだよね。あの子たちも良い値で売れそうだ」



 ジャンボは一瞬で殺気が抜け落ちた。

酷く空虚な穴の底に落ちていくように、震えて掠れた声でジャンボは問いかける。



「二人をさらったのか……」

「ああ。もうコンテナ船に積まれただろうね」

「あいつらは関係ないだろ!!」

「そうでもしないと、一筋縄ではいかないと聞いたからさぁ」



 ジャンボの怒鳴り声に反応し、駅舎の中から潘岳と潘雲がこちらを伺う様子が見えた。

明らかにおかしなこの状況を、あの二人は理解しないだろう。


 チョコとバニラの命がかかってるんだ。



「俺を……俺だけを連れて行け……。もう抵抗はしない。だからどうか、チョコとバニラは……」



 ハッキリと生気を失ったジャンボを見て、男は不思議そうな声を出す。



「家族ってさ、そんなに大事なの?」



 ジャンボはぷつんと正気が飛び、一瞬で男に殴りかかろうとした。

しかし、その腕は狐面の二人に止められて、ジャンボの手首は後ろ手に縛られてしまう。



「抵抗しないって話じゃなかったかな」

「チョコとバニラは俺の大切な息子だ。もしも手出しするなら……必ずお前を殺す」



 ジャンボは目をギラつかせて、男を睨んだ。

男はふと駅舎の方を見る。



「おっと、ぽっぽやに勘づかれたな」



 男はすぐ近くの車に乗りこみ、ジャンボは二人の手下に抱えられて車に積み込まれた。

潘岳が駅舎の外を見渡した時にはもう、彼らの姿はなく、夜の静けさばかりを感じた。



「兄貴、ジャンボさんは?」

「さぁ……。あの声、確かにジャンボだとおもったんだけどなぁ」



 駅舎の中で、双子がそろって首を傾げる。

夜の闇に紛れてうっすらと見えた数人は、痕跡も残さず消えていた。

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