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 俺がどれだけ宝井との遭遇を気にしていようと、翌日はあっさりやって来る。

 祖母の作ってくれた朝食を、祖父も含めた三人で食べる。昨日予想外の出来事があったから食欲が失せた──などということはなく、俺は育ち盛りよろしくご飯をおかわりして焼き魚と味噌汁、お新香も平らげた。

 四月中は新入生の体験入部の関係もあって朝練がないから、普段よりもゆっくり家を出る。勿論天神さんの前も通りかかったが、さすがに朝からお参りに来る人はいないようで無人だった。いつも通りの天神さんだ。


「おーっす、大地」

「よお」


 公民館の前で、信也と功一が待っていた。二人は家が近所なので、いつも二人揃って登校する。そこに俺が加わって、三人で学校に向かうのが日常だ。

 低血圧の功一は、もともと無愛想で口数が少ないこともあるが、とりわけ朝はむすっとした顔になる。合唱のパート分けなら確実にバスだろうな、という低さの声でも一応挨拶してくれる辺りがこいつの可愛げだ。生徒会の挨拶運動にも、この低音でおはようございます、と返している。何でも、所属する剣道部のきまりで出会った知り合いには必ず挨拶するよう言い付けられているらしい。

 二人におはよう、と挨拶して、俺たちは三人並んで歩く。俺と信也は男子の中では背が高い方に分類されるが、功一は頭ひとつ分小さい。無意識のうちにバランスをとろうとしているのか知らないが、俺たちの中では功一を真ん中にして歩くのが常識となっている。


「ところでよ、お前らんとこはどんな感じなんだよ、新入生」


 きっと四月いっぱいは雑談の話題になるのだろうな、と予想できていたことではあるが、信也は体験入部に来た新入生について聞いてきた。俺たちはそれぞれ違う部活に所属しているから、お互いの部について共有する情報は案外限られている。信也のことだから、ライバルの情報収集と興味が半々といったところか。チームプレーが求められるバスケ部としては、一人でも多い部員を獲得したいのだろう。他の部活にどれだけの新入生が流れているのか知りたいようだ。


「陸上部はそれなりだな。種目によってムラは出るだろうが、最低でも五人は確定だよ。大体が先輩とかOBの兄弟姉妹だけど」


 少子高齢化の影響をもろに受ける眞瀬北中なので、部活は四捨五入して十になるくらいの部員が入れば万々歳だ。その分、陸上部は安泰だろう。男女の関わりなく入部できるし、いくつかの種目が存在するので部員それぞれの強みを活かせる。自由に種目を決められる訳ではないけれど、それなりの成績を残せばある程度の希望は通してもらえる。現に俺は去年の二学期から、希望していた槍投げに専念して良いと許可された。

 それを聞いた信也は、いいなあ、と大袈裟に肩を竦めた。


「こっちはいまいちだわ。確定してる奴はホント、一人か二人って感じ。そっから増えるかって言われたらビミョーだなあ」

「けど、二年生は多いんだろ? 試合には出られるんじゃないか」

「それはそうだけどさ、俺たちが引退したらどーすんのって話。最低でも五人はいて欲しいな、俺としては。八人も入った俺たちの代がラッキーだったのかもしれないけどさあ」


 どうにかならないもんかねえ、と天を仰いでから、信也は隣を歩く無愛想な幼馴染を見下ろす。


「で、剣道部はどーなんだよ功一。そっちも一応、団体戦だろ」


 これまで沈黙していた功一は、億劫そうに視線を上げた。

 剣道部も陸上部と同じく男女の分け隔てなく入部できるそうだ。しかし出場する部門は男女混合ではないらしく、大会に団体で出るのは今のところ男子だけだという。昔から女子人気は低く、現在も女子部員は団体戦出場に達する五人にすら満たないらしい。いつだったか、いっしょに遊んだ時に功一がぼやいていた。特にやる気のある女子が、なんでうちは団体戦に出られないんですか、と抗議しているのが目につく、とのこと。

 その『やる気のある女子』が誰かを俺は──いや、俺たちは知っている。クラスメートの鷲宮わしみや英里奈えりなだ。

 彼女は小学生の頃からスポーツ少年団に所属し、県外の大会でも好成績を残していた。その分努力もしているのだろう、功一の話を聞くに相当ストイックな性格らしい。自他共に厳しい、と表現するのが適当だ。学内活動でも、やる気のない生徒を注意しているところを見たところがある。

 そういった性格の鷲宮だから、人数が足りないという理由だけで試合に出られないのは納得がいかないのだろう。仕方のないことではあるが、彼女はどうにかして団体戦にも出場したいようだ。きっと新入部員の勧誘にも力を入れていることだろう。


「男子生徒なら、何人か体験入部に来てる。うちは毎年県大会まで出場してるし、スポーツ少年団経由で入部しようとしてる奴もいる」

「へーっ、羨ましいなあ。女子の方はどうよ?」

「さあ、鷲宮は一人で色々やってるみたいだけど、俺にはよくわからない。宝井はやる気なさそうだし、一人でできることにも限りがあるから」

「えっ、宝井?」


 突然出てきた宝井という単語に、俺は思わず声を上げてしまった。

 信也が怪訝そうな顔をする。功一の表情は然程変わってなかったけど、疑問は隠れていなかった。


「なんだよ、いきなり」

「いや、どうして宝井が出てくるのかと思って」

「どうしても何も、あいつも剣道部だけど」


 知らなかった。初耳だった。

 でも、意外だ、とは思わなかった。


「へえ、ノーメンちゃん、文化部じゃなかったんだ」


 冗談めかした風に、信也が言う。文化部、という言葉には微かな軽蔑の色があった。

 うちの学校には、文化系の部活がひとつしかない。それが文化部。何をしているのか、俺にはよくわからない。

 ただ、文化部に入る生徒は並より下、みたいな風潮があるのは知っている。文化部にいるのは、こう言っては何だがだいぶ性格に難があるとか、特別支援学級にいるとか、部活をやめてそこ以外に居場所がなくなったとか、何にせよ『足りない子』の吹きだまりなのだ。大抵の生徒は彼らと同じだと思われたくないから、多少運動に対する抵抗があっても運動部に行く。少しでも、まともでましな存在だと思われたい──いや、思っていたいから。

 勿論運動部の種類も限られているから、書類上だけ文化部に在籍して、外部で自分の得意とする種目──例えば水泳とか柔道──を鍛えている生徒もいる。彼らは文化部で活動している訳じゃないので、まともな生徒として見られている。それでも学内の部活に必ず所属することが定められている以上文化部の称号からは逃げられない訳で、マジ最悪、と外部のスイミングスクールに通っている──たまたま掃除の縦割り班でいっしょだった──先輩は吐き捨てていた。

 宝井は運動ができる方ではない。信じられない程壊滅的、という訳ではないが、どことなくどんくさくて上手くいかない、といった感じだ。単に走ったり泳いだりといった種目では不出来が目立たないし、クラスの女子の中間といった順位を出すけど、チームプレー──特に球技──になると途端に駄目になる。同じチームになると、うわー最悪、という空気が流れる。

 球技ではなく、チームプレーでもない。人数が足りないから、個人戦にしか出られない。

 剣道部は宝井にとって、望ましい環境なのかもしれない。俺は勝手にそう憶測した。


「ノーメンちゃん、強いの? 英里奈はよく賞状とかもらってるけど」

「いや、剣道は中学かららしい。最近は引き分けで終わることも多いけど、試合で勝ってるところはまだ見たことがない。俺からしてみれば、まだまだ素人だ。鷲宮と比べる程の価値なんてないな。運動神経いいビギナーに一から教えた方が好成績出せると思う」

「ふーん、よく見てんじゃん。まさかお前、ノーメンちゃんが気になるとか? ないわー」

「男女いっしょに練習してんだから、順番待ってりゃそのうち当たるんだよ。色恋ボケのお前と同じにするな」

「ひえー、辛辣う」


 案の定──なんて言い方は良くないんだろうが、宝井はそこまで強い訳でもないらしい。イメージ通りで少し安心した。


「信也っ!」


 信也と功一の話題がすっかり宝井から切り離された辺りで、後ろから声をかけられた。実際には俺じゃなくて、いっしょに歩いている信也に向けられたものだったが。

 少し首を捻って見ると、猪上いのうえ麗那れいな元木もとき芽唯めい、それから大野春佳が並んでいた。うちのクラスの中でもよく目立つ女子で、いわゆる『上位』の人間だ。特に猪上は女子の中でもリーダー格といった風で、児備嶋小出身の生徒の中で逆らう奴はほとんどいない。例外と言えば、鷲宮くらいのものだ。

 俺は目線で功一に離れるよう促す。功一もすぐに理解したのか、早足で信也と距離をとった。


「おー、麗那じゃん。おはよ」


 背後で聞こえる信也の声は、数段トーンが上がっている。女子と話すあいつはいつもこうだ。声が少し高くなる。


「あいつ、大野と別れんのかな」


 信也たちの声がだいぶ遠くなったところで、ぼそりと功一が呟いた。俺の方は見なかったけど、独り言ではないのだと思う。功一は基本、自分の中で解決したい疑問は口に出さない。

 なんで、と俺は短く聞いた。他人の人間関係に口出しすることの少ない功一にも勘づかれてるなら、きっとあの二人は長くないだろう、と思いながら。


「だってあいつ、大野のこと全然見てなかったから。少し前まで、鬱陶しいくらいチラチラ見てたのに」

「そんなに見てたか?」

「見てた。多分、飽きたんだろうな。あいつ、飽きっぽいし」


 下らない、と功一は吐き捨てた。

 功一は昔から、女子との距離が大きい。本人いわく、鬱陶しいのだそうだ。女子の距離感というやつが。多分、小学生の頃に自分より背の高い女子から小さい、可愛いとこねくり回されたのが原因だろう。功一は男兄弟ばかりの家庭で育ったから、可愛いという評価は褒め言葉として受け取れないのかもしれない。

 不機嫌そうな幼馴染に、色々あるんだよ、と俺は返した。功一と信也、どちらを否定するのも抵抗があった。

 でも、俺は信也の行動を肯定したくはない。

 あいつは俺にとって、『いい奴』だ。そんな信也が、女子をモノみたいに見ているとわかって、心底がっかりした。いい奴だった信也が急に壊れてしまうようで、悲しかった。

 俺は信じていたいのだ。信也がいい奴だって。自分と同じように生きている女の子を、飽きたという理由だけで見捨てるような奴じゃないって。


「大地?」


 功一が、訝しげな顔をしている。首をかしげながら、どうしたんだよ、とぶっきらぼうに言う。

 何でもない、と誤魔化して、俺は功一と足並みを揃えて校門を潜る。いつも通りの朝だった。

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