第9話 那遊ちゃん…悩んでるなら、相談に乗るよ

 夕暮れ時、義母と喫茶店を後にした隼人は、自宅の玄関を開けた。

 すると、視界の先には、リビングから姿を現す、那遊の姿が映る。


「……」


 那遊は自身の母親に対して視線を向けるだけで、ハッキリとした挨拶はなかった。


「那遊。隼人さんへと挨拶は?」


 義母が、少し強めな口調で、指摘を入れていた。


「おかえり……」


 母親に促されたことで那遊は適当に言い、背を向け、階段を駆け上がっていったのだ。


「もう、なんで、あんな態度をとるのかしらね」


 義母は軽い溜息を吐いて悩んでいる様子。

 悩みの一つになっているのだろう。


 六年前に亡くなった母親を見ているようで、隼人は心が痛んだ。

 実の母親にもそこまで何もしてあげられなかった。

 できるなら、たとえ、血の繋がっていない母親だったとしても、力になってあげたい。

 そう思い、隣にいる義母へと視線を向けた。


「俺は大丈夫なんで……あと、那遊のことは心配しないでください。自分が少し話してきますので」


 隼人は玄関で、靴を脱ぎ、一旦廊下に上がった。


「そう? じゃあ、お願いしてもいい?」

「はい」


 隼人は明るく頷き、階段を上っていく。

 実際、那遊が素っ気ない態度を見せるようになったのは、すべて隼人のせいである。自分がしでかしたことは、自分で解決したい。


 そう思いつつ、二階へとたどり着いた。

 廊下を少し歩いていると、誰かの視線を感じたのだ。ふと顔を上げると、隼人の瞳には那遊の姿が映る。

 白色の長袖と、黒色のズボンを身に着ける那遊の表情は硬かった。


「……」


 那遊はジーっと見つめてくる。

 無言のままでだ。


「那遊ちゃん?」

「……なに?」


 不満げに頬を膨らませ、視線をそらしてしまう那遊。


「あのさ。さっき、喫茶店で亜弥さんと会話してきたんだけどさ」

「ふーん、そうなの?」


 那遊はそれが何と言った顔を見せ、澄ました態度を見せていた。

 以前と違い、どこか距離を感じる。


 隼人はもう少し、那遊が笑顔になってほしいと思っていた。

 悪戯っぽい女の子だったとしても、バカにされたとしても、那遊は笑顔でいてほしい。

 やはり、脱衣所で裸体を見てしまったことが大きな原因だろう。


「あのさ、やっぱり、あれ見たこと、気にしているよね?」

「……べ、別に。き、気にしてないから……」

「声が震えてるけど?」

「う、うるさいのよ……どうせ、小さいとか思ってバカにしてるでしょ」

「そりゃ、まだ、那遊ちゃんは小学生だし、しょうがないような……」

「むッ」


 那遊から睨まれる。


「……」


 ヤバい、余計なことを口にしてしまったか。

 隼人は言葉に詰まった。


 考えてみれば、さっきから、気に障るようなことしか口にできていないような気がする。

 小学生の子と関わる経験が今までなかったのだ。

 接し方がさっぱりわからない。

 ど、どうすれば……。


「私……そういうの気にしてるの。だから……」


 那遊は少々泣き目である。

 相当なコンプレックスを抱いているのだろう。


 こういう時、なんてフォローしてあげればいいんだろうか……。

 というか、恋愛ゲームの場合、どんな選択肢が出るだろうか?

 隼人は脳内で、選択肢を思い浮かべる。


【A…気にしなくてもいいよ】

【B…俺が揉めば大きくなるよ】

【C…???】


 恋愛ゲームの選択肢を選ぶように、慎重に思考し、“C”という結論に達したのだ。


「……亜弥さんも、それなりに大きいわけだし、その……大丈夫だよ」


 安心させるように、思ったことを口にしただけである。

 が、現状は予期せぬ方向性へと傾いてしまったようだ。


「は? なに、隼人って、私のお母さんの事、そういう風な目で見てたの?」


 那遊は以前のようにお兄ちゃん発言ではなく、下の名前を呼び捨てにする。


「い、いや、違うよ。そうじゃなくて、胸のことについては気にしなくてもいいってことで」

「さっきから胸のことばっかり、どうせ、いつもエッチなことばかり考えてるんでしょ。なんで、隼人みたいなのが、私のお兄ちゃんなのよ……昔はよかったのに……」

「え? 昔って?」

「なんでもないからッ」


 那遊はさらに不機嫌そうに顔を背けてしまう。

 小学生は何かとデリケートであり、余計なことを言ってしまったら、さらに距離が広がるのは当然のこと。

 慎重に対応した方がよさそうだ。


「……那遊ちゃんって、学校ではどうなの?」


 世間話風に話す。

 伺う姿勢で、那遊の表情を見守る。


「……普通だし」

「楽しい?」

「た、楽しいけど? それが何なの?」

「さっきさ、亜弥さんと話しててさ。学校に馴染めていないとか」

「んッ、お母さんから聞いたの、それ」


 那遊は睨みつけるように、隼人へと視線を向けてきた。


「あ、ああ……」

「なんで……なんで、お母さん、そんなこと言うのよ」

「そういわれてもさ。でも、亜弥さんも那遊ちゃんのことを心配してんだよ」

「隼人には聞かれたくなかったのに……」

「でもさ、辛いことがあるなら、そんなに一人で抱え込まなくてもいいんだよ」

「隼人に言われなくてもわかってるし」


 那遊は心を開いてはくれそうもない。


「私の気持ちわかんないでしょ、隼人なんかに」

「わかるけど……」

「……本当に?」


 変に疑われてしまった。

 隼人もそこまで友人が多い方じゃない。

 けど、それなりには今まで学校生活を送ってきたのだ。


 学校に馴染めない気持ちなんて、そんなに理解できないかもしれない。

 普段から悪戯っぽい言動を見せる那遊が、今のように苦しんでいるのは、見るに堪えなかった。


「そんなに困ってるならさ。俺に話してみなよ」

「……別にいいし」


 那遊は素っ気ない態度を見せ、自身の部屋に入っていこうとする。


「ちょっと待って」


 隼人は那遊の腕を強引な形で掴んでしまった。


「な、なに、すんのよ」


 睨まれる。


「まだ、話は終わってないし。那遊がさ、そんな顔を見せていたら、俺が辛いというか。那遊の力になりたいんだ」

「なんでよ……」

「いや、家族だろ」


 家族なら、困っているなら、助けてあげたい。

 それが、隼人の思いだった。


「……」

「そんなに悩むならさ、俺がアドバイスするし……うまくできるかわからないけどさ」

「……」

「だからさ、少し俺の部屋に来てくれないかな?」

「べ、別に……いいけど」


 那遊はようやく首を縦に動かしてくれた。


「ここで話すより、俺の部屋に入ってくれない?」

「う、うん……」


 那遊は頬を赤く染めるだけで、さっきよりも素直になっていた。

 隼人は自室に入るなり、那遊を自身のベッドの端に座らせる。


「なんかさ、不安に感じてるってことある? 解決が難しくてもさ、口にすれば、少し楽になると思うよ」


 隼人は勉強机前の椅子に腰かけ、那遊と対面する。


「……」


 那遊は軽く頷いたのち――


「あ、あのね……」


 そして、ようやく、重い口を開いたのだった。

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