#215 計画は順調に頓挫
巨体が雲をかき混ぜながら泳いでゆく。
西方を騒がす銀の龍――その姿は蛇に似て長く。
長大な身体を揺らしながら、それは悠然と空を進み続けていた。
そんな巨獣からある程度の距離を置いて、数隻の
進路はぴたりと龍に合わせ、つかず離れずの距離を保ちながらずっとのその挙動を観察している。
「交替しながら彼奴の後を追跡して、かれこれもうひと月になる。その間に地上に降りることはおろかどこかに帰ることも、何かを食べるそぶりすらないとはどういうことか」
「ううむ……なんと奇ッ怪な獣でありましょう。しかし困った。これでは狩りの目論見が外れてしまうのでは」
飛空船の船橋で、囁くような声で会話が交わされる。
乗り合わせているのは龍討伐に名を連ねた各国の将たちである。
まずは敵を知るべしと計画されたこの追跡調査であったが、間を置かず暗雲が立ち込め始めていた。
いくら時を費やせど成果と呼べるものはほとんどなく。
無為に過ぎ行く時に耐えきれる者は多くない。
しだいに焦りのような空気が漂い始めるのも致し方ないところだった。
「些細なことで動じなされるな。何故にそう、何の成果もないとお考えになるのか」
集まりの中で特に若い男が自信に満ちて顔を上げた。
彼はパーヴェルツィーク王国の右近衛長、“イグナーツ・アウエンミュラー”である。
ここに名を連ねた中でも最も大きな国の出ということもあり、その余裕はいつもならば頼もしく思えるところだが。
さりとて全てに納得がいくわけでもない。
「しかし期待したような弱みは一向に見つけられる気配もなく。今も国許では一刻も早い解決を望む声が上がっているのですぞ。……そういえば、これも元はといえば貴卿の発案でありましたか」
彼を見る視線に、徐々に疑わしさが増してゆく。
「(調子のよい時だけ縋りつき、成果が出ないとなればあっさりと他人のせいか。その程度の覚悟であるから大したことも出来ぬというのだ)」
内心を砂粒ほども見せず笑みで塗り隠して、イグナーツは一同を見回した。
「それがまったく早合点というものなのです。彼奴は眠らず食わぬなどと異常極まる存在か。逆でありましょう、あれは今まったく眠れず食えないままということ」
「なん……ですと?」
一瞬、虚を突かれた全員の思考に空白が生まれる。
余計な考えが生まれる前に、彼は勢い込んで話を続けた。
「獣とは存外に賢く、同時に意外なほど臆病であるものです。片時も離れず後を追いかけられて平気なはずがございません」
「ふぅむ……言われてみれば、確かに」
「傍からはわかりにくいのも確か。しかしあの獣は着実に疲弊しつつある。我らの追跡が奴を追い込みつつあるのです! それはそろそろ、仕上げについて考えるべき時が来たということでもあります」
「おお……! ついにか!」
直前までの疑念などすっかりと忘れ果て、彼らは戦いの高揚に吞まれつつあった。
どちらかといえば退屈からの解放という意味合いのほうが強いのかもしれない。
いずれにせよ暇からの反動を受け、常よりも前のめりになっている。
「こちらをご覧ください。これまで魔獣めの動きを観察して得た移動経路……縄張りとでも言うべきものです」
そこに追加された経路は幾重にも重なる歪な円を描いていた。
「時によって多少の違いはありますが、この円こそ彼奴の縄張りとみて間違いないでしょう。然らば、いずれかで待ち伏せるが狩りの常道かと」
「ふぅむ! 然りですな!」
作戦としては単純なものである。
現状の情報からは他に大した手を取れないという事実の裏返しなのだが、それに気づいた者は皆無であった。
イグナーツは口元を微かに歪め、それを悟られる前に次の段階へと話を進める。
「問題はどこで待ち伏せするかということ。ここで皆様方にお考えいただきたいのは……あれほどの巨体を相手に戦うのです。激戦必至たれば、地上への被害も無視しえないものとなるだろうということです」
「ううむ……それも道理ではありますな」
途端に一同の表情が渋いものとなる。
地上への被害と簡単に言うが、要はどこかの国が損害を被るということ。
忙しなく視線が交わされる。
いずれも自国の利益のために集まった者たちであるからして、誰もが他人に押し付けたくてたまらないのだ。
まったく身勝手なものである。
イグナーツは内心ため息をこらえきれないでいたが、それをおくびにも出さずもう一度全員の注目を集めた。
「ご安心召されよ。戦場については私めに腹案がございます」
彼の指が地図の上を滑り、ある場所を指し示す。
「西方諸国の北を隔てる峻厳なる“ガルニカ山地”……またの名を、“北方の絶望”」
どよめきが起こった。
「う、ううむ。しかし、ここは貴国にとって縁浅からぬ地では」
「その通り。我が国を北に孤立させた最たる要因でありますね」
パーヴェルツィーク王国が“北の巨人”とも言われながらこれまで西方の歴史に大きく関わることがなかった最大の理由。
それがこの、ガルニカ山地の存在である。
人のみならずあらゆるものの移動を阻む峻厳なる山々。
それが長きにわたってかの国を物理的に隔離してきたのだ。
「しかしそれも過去のこと。飛空船の登場により我らは新たな道を切り開きました」
飛空船の登場は彼の国に憎き山々を克服せしめた。
ゆえにこそかの国はにわかに動き出している。
「幸いにも、その険しさゆえに住まう者はほとんどおりません。皆様の誰も傷つけることなく、存分に討伐を行えるのです」
「さすが……さすがでございますな。その肝の座り様、その覚悟! “北の巨人”の名にし負う振舞いよ!」
口々に誉めそやしながら、その内心は自国への被害が出ないことへの安堵でいっぱいであることだろう。
だから彼らはそれ以上追求しない。
当然イグナーツが、パーヴェルツィーク王国がなんの目論見もなく矢面に立つわけがないということにも気づかない。
「(ガルニカならば我が国のお膝元。仕掛けるのにこれほど都合のいい場所もない)」
イグナーツはそもそも、このような寄せ集めで銀の龍をどうこうできるなどとは微塵も考えていなかった。
だからこそ本国と綿密に連携すべく、自分たちに都合のいい戦場を設定したのである。
「(安心するといい、お前たちにもちゃんと出番は残しておいてやる。生き延びれるかどうかはお前たちの実力次第だろうがな)」
すでに討伐を成し遂げたかのようにはしゃぐ一同を醒めた瞳で眺める。
斯くして討伐戦団はイグナーツの思惑通りに動き出した。
彼は密に本国との連絡をかわしながら順調にガルニカ山地へと近づいてゆき。
到達を目前にしたところで、彼に突然の破滅が襲いかかる。
「なん……だと。馬鹿な……! フレメヴィーラ王国が、銀鳳騎士団が……エルネスティが! ここに来るだとぉ……ッ!?」
思い描いていた計画の全てが容赦なく粉砕される音が、聞こえた気がした。
西方諸国の上をくるくると踊る円を眺め、ディートリヒは顎に手を当て首を傾げる。
「なんというか、工夫のない円だな。奴はただぐるぐる回っているだけなのかい?」
シュメフリーク王国より提供された魔獣についての情報である。
隣で見ていたエドガーもふむ、と唸った。
「これ以外の場所へ移動しようとはしないのか? ならば何かありそうだが」
同じ場所をぐるぐると回っているだけ、魔獣とはいえ生物の挙動としてはいかにも不自然である。
そこには何らかの人為的な意図があるようにしか思えない。
しかし
「いいえ。おそらくはもう……ウーゼルの意識は完全ではないのでしょう。むしろ朧げといったほうが良いかもしれません。この動きも西方を見たいという願いにこそ根ざしていますが、それ以上の思考を感じられませんから」
場に何ともつかないため息が満ちた。
特にエドガー、ディートリヒの表情は渋い。
「俺は彼の方……者に対して良い印象は持っていない。しかしだからと言って、このような状態で捨て置くことを良しとするほど薄情ではないつもりだ」
「空の大地にもいたよ、
暴走したウーゼルによってフレメヴィーラ王国の都、カンカネンが襲われた時に迎え撃ったのがこの二人だ。
個人的に彼への心証は非常に悪いと言ってよいが、それと人としてどう思うかはまた別の話である。
エルもまた頷いていた。
「もちろん。そのためにこそここまで来たのですから。とはいえ今のイカルガ・シロガネは極めて巨大な魔獣に成長しました。その戦闘能力は師団級すら凌ぐと考えて間違いないでしょう」
「はぁ。話に聞いてはいたが、実際に相手をするとなると厳しいものだね」
厄介でなければここまで大事になることもなかった。
「ここで難しいのがどこで戦うべきかということです。激戦を免れないとなれば必然、周囲への被害も無視できないものとなるでしょうから」
「そうだな。それは……困ったな」
ただのイカルガだった時ですら、王都カンカネンにかなりの被害をもたらしたのである。
より巨大化した今となっては、国のひとつくらい巻き込んでしまうかもしれない。
「人里の近くは論外。できれば街道なども避けておきたいところです。そういった条件も加味して考えると……正直、候補といえる場所はひとつしかなくて」
エルネスティの小さな手が地図の上をくるくるまわり、それを
そうして地図上のとある場所を指し示して止まる。
「この、“ガルニカ山地”です」
地図をじっと眺め、皆はどうしたものかと視線で尋ねあう。
「確かに、人はいないし主要な街道も通っていない。戦場としては文句のつけようもないさ。しかしだねぇ……すぐ隣に、よりによってあのパーヴェルツィークがあるというのは何というかねぇ」
ディートリヒが困るのも無理はない。
他の皆にしたって似たり寄ったりの反応だ。
パーヴェルツィーク王国――空飛ぶ大地において彼の国とは敵であったことも、また友であったこともある。
現在はどちらかと言えば敵よりながら、立地的に離れていることもあり不干渉といった形に落ち着いていた。
そのまっ隣で大捕物をおっ始めようというのである。
「何というか。背中を斬られるのではないか?」
「そんな、ジャロウデクじゃないんですから……。とにかくそういうことにならないよう、まずは交渉するしかないですね。話が通じないというほどではありませんが……彼の国の出方次第なのが少し不安要素ではあります」
国同士の交渉となれば、互いに利するところがなければ落としどころが難しい。
友好国であればお願いでも通せるだろうが、パーヴェルツィーク王国にそれは期待できるものではない。
「龍を倒したいという意味では、おそらく目的は一致していようが」
しかし同時に、空飛ぶ大地で共闘した彼らはイカルガの存在に気づく可能性が高い。
ゆえにこそ相手の出方が読めないでいる。
「いっそ、こっそり行って黙って倒せばよいのでは?」
「さすがにイカルガ・シロガネを相手どって静かに済ませる方法は、僕でも思いつきませんよ」
エルネスティにだってできないことはある。
特に事態を大きくするのは得意でも、隠密に済ますのは苦手な部類なのだ。
いちおうちらと視線を送れば、片隅に控えていたノーラが黙って首を横に振った。
静かに済ますのが得意なのが彼女たち藍鷹騎士団であるのだが、今回は魔獣との直接戦闘を前提にしている以上、いずれにせよ不可能だった。
「余計な敵を増やすのは望むところではありません。せめて戦闘中の不干渉を引き出せれば上々ですが。まぁ交渉については僕が頑張りますよ」
エルはすっと立ち上がり、全員をぐるりと見まわす。
「では方針も定まったところで配置を。まず、アディとキッドは僕と一緒に交渉に参加してください」
「はーい! エル君のお供はまかせて!」
「パーヴェルツィークとか……。俺も、行かないといけないのかよ?」
アディと
「あなたは名実ともにクシェペルカ王国の所属ですからね。交渉となれば確実に必要です」
「……わかった。力になるために来たんだからな」
それからエルは振り向き、騎士団長たちを順に見た。
「エドガーさん、ディーさんは騎士団を展開してから待機。僕が戻るまで一切の戦闘を禁止します」
「承知した。任せてくれ」
「やれやれ、また待ちなのかい」
「それからノーラさん、それとなく騎士団の存在をパーヴェルツィーク側に伝えておいてください」
「お任せください」
「ほぉう、脅すってわけかい?」
「人聞きの悪い。これも交渉の前準備ですよ」
ここでエルネスティだけがふらふらと訪れたところでロクな交渉にはなるまい。
まともに取り合ってもらうためにはそれなりの圧力が必要になる。
銀鳳騎士団が全軍を展開している――その情報の意味を正確に理解できる王族が、彼の国には最低でも一人存在するのだから。
それを利用しない手はない。
「交渉の結果次第ではありますが、僕が戻ったところでイカルガ・シロガネとの戦いに入る心づもりでいてください。ということで親方、“アレ”の準備はどうですか?」
ここまで腕組みをして話を聞いていた
「ここで坊主にゃあいい報せと悪い報せの両方がある。まずいい報せだ。おそらくおめぇの秘密兵器、戦いにはギリギリ間に合いそうな感じだ」
「それは心強い。して悪い方とは」
「間に合うだけだ。おそらく試しも何もなしの一発勝負になんぜ。せめて坊主が残ってりゃあともかく、交渉に出るんじゃあな」
「そこは仕方がありません。とはいえ
「あんなもんと比べんな!」
あの時は刻一刻と迫る西方世界の破滅を前に、突貫工事に無理実装の大盤振る舞いで何とか仕上げたのである。
親方などは未だに、最終的にうまく動いたのは稀なる幸運があったのだと信じて疑っていない。
さすがにそんな地獄とは比べるべくもなかった。
「さあて。では色々と駆け足で進めねばなりませんね。何よりイカルガ・シロガネがガルニカ山地に差し掛かる前に交渉をまとめてしまわないといけません。速やかに移動を開始しましょうか」
「はーい!」
「了解だ」
来るべき決戦へ向け、銀鳳騎士団が動き出す。
まずは前哨戦。パーヴェルツィーク王国との交渉のためエルネスティが出撃し。
その情報は回り回ってイグナーツの胃を直撃するのだった。
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