#182 話し合いの形
「……“魔王”……だと?」
先遣隊として紅隼騎士団を送り込んだと思っていたら、早々にとんでもない情報を携えて帰ってきた件について。
伝令から報告を受けたエドガーは額に手を当て首を振った。
「
「おうよ! まさかまた魔王の名を聞くたぁ思わなかったが、こいつも銀色坊主の人徳かねぇ?」
「ますます急いで大団長を追いかけたいところだが、無視はできない」
エドガーが指示を出そうとした矢先、すっと現れた人物がいる。
「攻撃はお待ちください。考えがあります」
ノーラだ。エドガーは少々意外な想いを抱きながら問いかけた。
「聞こう」
「“魔王”……その操り手である
「まさか説得するつもりか? できるのか」
「試してみる価値がある程度には。もしも決裂したら、すぐに戦力を投入していただいて構いません」
エドガーはじっとノーラを見る。
相変わらず感情を表に出さない彼女ではあるが、それなりに付き合いも長くなり通じるものもある。
「わかった。後詰めは即時展開の準備のまま待機する。とはいえ急いでほしいところだな」
「承知しています」
ノーラは早速船橋から去ってゆく。
間もなく“
「おうおう。相手はあの“魔王”だぜ? いいのかよ」
「ノーラがなんの勝算もなく動くとは思っていないからな。いずれ戦いが避けられないとしてもその前に何かを試みることは無駄ではない。それに……」
エドガーは続く言葉に少し迷ったが、結局思ったままを口にした。
「……
「くはは! 騎士団長ってのも大変だなぁ、エドガー?」
「本当にな。俺たちがいかに大団長に頼っていたか身に染みて感じるよ」
雑談をかわしつつ余念なく出撃準備を指示してゆく。
イズモがゆっくりと前進を再開した。
悍ましい咆哮を響かせながら
その背にあるハルピュイアたちは険しい表情を浮かべていた。
森からは迎え撃つべく
混成獣よりは一回りほど小柄な体躯。しかしその精悍な表情には怯みなどまったくない。
乗り手たるハルピュイアと共に自信に満ちて空を翔ける。
衝突の直前、混成獣たちの降下が一時止まった。
「……今一度問う。お前たちは同族である我らではなく侵略者である西方人につくというのか。これは我らの森を守る戦いだ、なぜ翼を並べようとしない!?」
投げかけられた問いに、
「ここにいる西方人は我らと巣を分け合い翼を並べた者たちだ。それに足る者たちだ。全ての西方人が敵ではなく、また味方でもない。ちょうど我らが翼を並べお前たちが向かい風にいるように!」
「そうか……残念だ。風を読み間違えた者の末路はただ落ちるのみ!」
「鷲頭獣と翼を重ねる限り、我らが落ちることなどない!」
「ほざけぇ!」
甲高く長い鳴き声を残し鷲頭獣が舞い上がる。
上空から覆いかぶさるように混成獣の巨体が降りてきた。魔法現象を起こすでもなく力任せに突っ込んでゆく。
小柄な鷲頭獣を飲み込むように爪を振りかざし、鷲頭獣が風と共に加速し攻撃をかいくぐった。
「遅い!」
今度は鷲頭獣が頭上を取る。
混成獣自体は強靭でも乗り手であるハルピュイアは脆い。背中は弱点なのである。
「悪く思うなよ!」
鷲頭獣が嘴を開き大気操作の魔法現象を起こす。
ハルピュイアすら吹き飛ばすだろう暴風はしかし、混成獣の放った風の魔法によって打ち消された。
「たった一撃で終わりか、こちらにはまだ頭があるぞ!」
混成獣の山羊の頭が濁った眼を見開く。
引き攣ったような叫びと共に起こされた雷が鷲頭獣を強かに打ち据えた。
「がっ!?」
「……耐えたか、さすがは翼の友だ。だがそこまでだ。事が終わるまで翼を閉じているがいい!」
衝撃にふらつく鷲頭獣へと向けて山羊の頭が再び嘶き――雷の魔法現象が放たれる前に、飛来した炎弾がその横っ面を打ち据えた。
「……対空法撃、命中あり! しかし効果は小!」
「かまわん! 少しでも
シュメフリーク王国軍の
宙に幾筋も火線が走り、混成獣が煩わし気に吠えた。
「おのれ、空にも上がれぬ者が調子に乗るな!」
ハルピュイアが手綱を打ち、混成獣が身を翻す。急降下し一気に地上へ。
息を呑んだ幻晶騎士へと接近し、嵐の
「ぬぅ!? ひ、怯むな! 抜剣! 前へ……」
幻晶騎士隊が崩れかけた体勢を立て直そうとした瞬間、混成獣が咆哮を放つ。
獅子の頭が、山羊の頭が、鷲の頭がそれぞれひどく螺子くれた音を響かせた。
「お前たちを相手に加減など必要ない。少々間引く程度なら王も怒りはすまいよ!」
幻晶騎士が思わず一歩後ずさった。
無理もない、シュメフリーク王国の騎士たちに魔獣を相手に戦った経験などない。
さらに混成獣は決闘級からはみ出そうかという巨大・強大な魔獣である。
騎士たちの臆病を感じ取った混成獣が勢いづく。
残された間合いをわずか一羽ばたきで詰め寄り、凶悪な獅子の頭が牙を剥きだしに襲い掛かって――。
「っがッ!?」
叫びをあげたのはシュメフリーク軍の騎士ではなかった。
牙が届く直前に、唸りを上げて飛んできた槍が混成獣の首のひとつを貫いたのだ。
「あの槍はまさか!? どこからだ……!」
森の木々に擦るような低空を飛翔する影。
飛翔騎士の一騎が構えていた
「おっしゃ命中! つーか胴にぶっ刺さなくて良かったンス?」
「あのデカい魔獣は魔王軍らしいからね、まず敵だとは思うが様子を見るに越したことはない」
「どうあがいても手遅れだと思うッスけどね」
グゥエラリンデ・ファルコンが首を巡らせる。
既に周囲は混戦状態でありあちこちで魔獣同士が争っていた。
「これは味方を守るにしても骨だな」
集団から抜け出すように
その魔法能力の高さを見せつけるような目覚ましい加速だ。
「群れの皆が待っている! ゆくぞ!」
「ってことでちょっと先行ってるぜ!」
一頭だけ抜け出した
「おーすげぇ」
「先触れは彼らに任すとして、ひとまず友軍の守りに徹するぞ。可能なら小魔導師を探すんだ」
「了解!」
混戦のただ中へと紅隼騎士団が斬り込んでゆく。
「ッハァー! 守備優先だオラァ!」
「押し返せば味方は守れるぜ!」
飛翔騎士の加速力を遺憾なく発揮。
混成獣へと法撃を叩き込みつつ離脱を繰り返し、攻撃の出鼻をくじき続ける。
「なんだアレは……幻晶騎士なのか!?」
「敵魔獣と戦っている! 味方のようだが……」
シュメフリーク軍の騎士たちがざわめきながら空を見上げている。
突然乱入してきた新手の猛攻により混成獣は空へと押し返されていった。
「魔獣どもの牽制はこれでいいか。残る問題は、ここに“魔王”がいるはずなんだが……」
グゥエラリンデを旋回させ戦場を見回す。
「……アレか!」
そうして魔獣と幻晶騎士が暴れまわる戦場に、ディートリヒは目ざとく異物を見つけ出していた。
混成獣でも鷲頭獣でもない明らかに異質な存在。
記憶にある“魔王”の大きさとは比較にならないほど小さくなっており、幻晶騎士より一回り大きい程度である。
しかし“
不思議であるのは、“魔王”が友軍と離れてたった一体、しかも地上付近にいることである。
聞いた限りではハルピュイアの群れを率いる立場であったはずだが。
「“穢れの獣”の能力ゆえか? はたまた余裕のなせる業か。不気味さはあるが……見逃す手はないな!」
“穢れの獣”という魔獣は非常に厄介な性質を有している。
その体液は強烈な腐蝕性を帯びており、幻晶騎士の
また生身に対しても猛毒であり、気化拡散する性質も手伝って以前の戦いでは猛威を振るった。
「かつての私ならば尻込みしただろうが、今ならば“コイツ”がある。もっともこんなに早く出番が来るとは思わなかったがね」
ディートリヒが操縦席に新設された
機体内を命令が走り背中に接続されたエスクワイアへと流れ込んだ。
グゥエラリンデが頭上に両手をかざし、突き出た持ち手を掴んだ。
「
がっちりとかみ合っていた
日の光にさらされた刀身に鈍い輝きが走った。
それは“剣”としては異様そのものな形状をしていた。
頑丈であるべき刀身には縦横に罅が走り、用途も不明な装置が埋め込まれデコボコとしている。
およそまっとうな刀剣には見えない代物だった。
「悪く思うな、戦場で隙を晒したほうが悪いのだからな!」
パキパキと音を立てて刀身に
内蔵された
唸りを上げてグゥエラリンデが加速する。一直線に“魔王”へと迫った。
ようやく接近に気付いたのだろう、“魔王”が緩慢な動きで振り向く。
高速で突っ込んでくるグゥエラリンデに対し“魔王”はなぜか避けも防ぎもせず立ち尽くしたままで――。
「紅の剣よ! 止めるのだ!!」
妨害は意外な方向からやってきた。
“魔王”とグゥエラリンデの間に飛び込んでくるものがある。
その姿を目にした瞬間、グゥエラリンデが全ての推進器を全力で逆噴射させた。
「んなっ、
加速がつきすぎている。このままでは衝突してしまう。
ディートリヒはとっさに
グゥエラリンデを無理やり大地に降ろすと、両の足でもって制動をかけた。
地面にくっきりと跡を残し、グゥエラリンデがようやく停止する。
魔導剣から、圧縮されていた大気が溜め息のように吐き出された。
「くっくっくっくっくっ……」
“魔王”から低い声が聞こえてくる。
その手前、グゥエラリンデの眼球水晶が小魔導師の厳しい表情を捉えた。
「……何があったんだい」
小魔導師が何の理由もなく“魔王”を守るわけがなく、また敵に寝返ることは尚更ありえない。
そもそも“魔王”、ひいては穢れの獣は巨人族の不倶戴天の敵なのだから。
小魔導師が口を開くより先に、答える声があった。
“魔王”、その乗り手である
「そこの騎士よ。言ってしまえばそう大した理由ではないんだよ。ほら、コレさ」
魔王が節くれだった手を差し出す。
そこには掴まれた幼いハルピュイアがもがく姿が、はっきりと見えた。
「なるほどね。小魔導師、あれが協力者かい?」
「小さき翼は……我が友である」
「委細承知した」
グゥエラリンデが魔導剣を引いた。
剣が鞘に収まるのを見て、“魔王”もまた満足げに腕を戻す。
「“魔王”……“魔王”で、良いのだね? 記憶にある姿よりずいぶんと……小さいが」
「ほう? それを知るということはあの戦いにも居たのか。はっは! いやぁエルネスティ君はずいぶん熱心な狗を飼っているようだね!」
「ああ、今も獲物の喉笛を噛みちぎりたくてうずうずとしているよ」
「それは威勢がいい。そうだ、説明の必要はないかもしれないが……迂闊なことはやめてくれよ? この“魔王”の身体を傷つけようものならばお嬢さんがどうなることやら。それは互いに望ましくはないだろうしね?」
ディートリヒは会話の裏で高速で思考を回転させる。
己の繰り出せるありとあらゆる攻撃を試行。
しかしそのどれもが“魔王”を傷つけ、湧きだす
奴らの体液を封じる常套手段であった風の系統魔法を使うにしろ、あまりに距離が近すぎる。
それこそエルネスティ並みの魔法の使い手がいれば救出も叶うかもしれないが、ないものねだりの部類であろう。
今は解決法を思いつくか状況が動くまで時間を稼ぐしかない。
ディートリヒは意を決した。
「しかし“魔王”が……小さくなったのは体躯だけではないらしい。人質とは随分せこいことをするね」
「勝手な早合点は慎みたまえよ。このお嬢さんはどうやら群れの中でも重要な位置にいるらしくてね、直接話すのが手っ取り早いと思っただけなのさ」
「話し合いならばその手を離してもいいのではないかい?」
「出来かねるねぇ。何せまだ話している途中だ。むしろ君のような邪魔者が横から口をはさんでこなければ、もう済んでいたかもしれないが?」
「それはそれは。私に構わず、話とやらを進めてくれてもいいのだが?」
「もちろん順番に話を済ませてゆくとも。まずは狗、貴様たちの番だ」
“魔王”の複眼に見つめられ、ディートリヒは顔をしかめた。
攻略法はまだ見いだせず、そもそも攻撃を繰り出そうにも相手の注意はずっと己から外れていない。
彼ほどではないかもしれないが、小王もこれで(エルネスティという)修羅場を潜り抜けてきた強者なのである。
「さきほど乱入してきたのは貴様の仲間だね? 勇ましいことであるがそろそろ目障りだ。ひとまず全員、地上に降りてもらおうか」
まずいことになった、ディートリヒは滴り落ちてきた汗をぬぐった。
元々が
陸に打ち上げられた魚よろしく地上に降りた半人半魚になってしまうのだ。
それでは戦力の激減は避けえない。
「フ~ン、だんまりかい? 残念だが余計な時間稼ぎは悪手なんだよねぇ。何せこちらには遠くまで届く“詩”があるんだよ!」
小王が意地悪く“
巨大な影が日の光を遮る。
慌てて振り仰いだディートリヒは、そこに
「なんだぁ? せっかちな奴がいるな!」
「“銀の鯨”号だって!? ノーラ、早すぎるね……!」
まずいという思いと同時、状況が動くことへの期待もある。
小王にとっては警戒に値する事態であろうが。
“銀の鯨”号が速度を緩め、そこから一体の幻晶甲冑が飛び降りてきた。
大地まではかなりの距離があったが翼のような腕を広げて滑空し、静かに降り立つ。
新たに現れたのはたった一体だけだった。
「増援としてはみすぼらしいねぇ。あの船は皮だけなのか?」
「私は戦いのために来たわけではありません。お初にお目にかかります魔王……いいえ、小王とお呼びすべきでしょうか」
「ふぅん。小王と呼ぶこと、特にさし許そうじゃないか」
小王は周囲の状況を確認する。
飛空船は距離を置いて停止。暴れていた紅の奴の仲間はいつの間にか大人しくなっている。
巨人族はこちらを睨みつけたままで、紅の奴は手ぶらのままおそらくは隙を窺っていた。
「(さてこの交渉は囮か? いいや焦るな。奴らは迂闊に魔王を傷つけるわけにはいかない。応じるかどうかすら私が決めて良いのだ)」
“魔王”の手の中でエージロは暴れることを諦め、周囲の様子を探っている。
主導権はまだ彼の手中にあるということだ。
「まずは名乗れ。何者だい?」
「私はフレメヴィーラ王国藍鷹騎士団所属、ノーラ・フリュクバリと申します。エルネスティ様に従う者の一人とご理解ください」
「く! くくく……ならば敵だと言えよう! エルネスティ君本人でなくともぉ! 彼の一党は全て敵だよぉ!」
まぁそうだろうな、ディートリヒはやんわりと操縦桿を握る手に力を込める。
「(どうするノーラ。向こうが動くのなら迎え討たざるを得ないが……)」
グゥエラリンデによる介入。
それはどうあがいてもエージロを巻き込むことを意味する。
ノーラが強引にやって来た真意はまだ見えない。
しかし彼女は迂闊さとは縁遠い人物である。必ず何か意図があり、ならば必要な時に動くのが己の役目だと腹をくくった。
心地よい緊張が彼の集中力を研ぎ澄ましてゆく。
「我らの役目は“物語”を詳らかとすること。ゆえに様々な断片を収集してまいりました。いまここで何としてもあなたに伝えておくべき物語があると判断し、罷りこしました」
「語り部ごときがでしゃばるねぇ。せいぜい西方に戻ってから謳うがいいよ」
「この物語は……そも我らに利するものではありません。むしろハルピュイアのために、多数の群れを従えるあなたにこそ必要なものです……」
それを聞いた小王はとてつもなく嫌そうに顔をしかめたのであった。
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