#183 エーテルの中を泳ぐもの
「これは……想像以上にすさまじいことになっていますね」
驚きを浮かべているのは
船橋にいる誰もが言葉を失い、食い入るようにソレに見入っていた。
音はない。
ただ目くるめく七色の光をまき散らしながら天へと伸びる、柱のような存在。
この距離からでは詳細が判然とせず、まるで最初からこうであったかのようにも思えた。
「あの輝き、確かにエーテルなのでしょうが……。ここは専門家のご意見を伺いたいですね、オラシオさん」
静まり返った船橋でただ一人、何事かをぶつぶつと呟き続けていたオラシオが呼ばれて振り返った。
「……最悪も最悪。酷い有様だな。ありゃあ確かにエーテルで、しかも
「いえ。総量が不明ですので」
「だろうな! なんつう不愉快な景色だ!!」
バカ騒ぎを隣で聞いていたフリーデグントが船長席の肘置きをコツコツと叩く。
「お前たちだけで納得されても困るな。まったく喜ばしくない事態であるが、我々はそれを防ぐためにここまで来たのだ。悲観よりも先に止める方法を考えてもらいたいところだ」
オラシオは忙しなく手袋を外したりつけたりを繰り返す。
「もちろん、もちろん。仰せでなくとも考えてますよ。何せ私の
「他に手段がなければそうするが、実際に穴の様子を確かめないとな。柱の規模からして難しそうに思えるが……」
「確かめて確かめて確かめて……。全部わかるころにはすっかりと袋が空になってそうですなぁ。……ああいや違う、違うぞ。あれだけのエーテルが噴出してるんだ、根元のエーテル濃度は酷いことになっているはず! 手持ちの防具では近づけすらしないんじゃないですかねぇ。
帰ってきたのは無言だけ。当然、そんなバカはいないからだ。
オラシオはさっと肩をすくめた。
「……待てよ。だとすると妙じゃあないですかね」
「どのあたりだ? 妙というならどれもこれも妙で仕方がないのだが」
「この光の柱は数日前までは存在していなかった。ならばごく最近何かが……あるいは誰かが穴をあけたってことになる」
「道理ですね。ならば逆の手順で穴を塞げないでしょうか?」
「闇雲に埋めるよりはまだアリかもしれんねぇ。いかがです? 殿下」
フリーデグントはこめかみを揉みほぐす。
確かにこの二人に任せておくのはある種心強いが、それでもついてゆくのがようやくであった。
「……待て、一度整理する。まず情報が必要だ。ここには何があったのだ? イグナーツ、もう一度教えてくれないか」
「はっ!」
天空騎士団右近衛長“イグナーツ・アウエンミュラー”が進み出て答えた。
「きわめて巨大な源素晶石塊です。露出している部分だけでこの飛竜をはるかに上回るほどの!」
オラシオがぽんと手を打つ。
「ほうほう、なるほどそいつぁいい。それって栓にできるんじゃないですかね? 見つけて突っ込んでみますかい」
「……仮に栓になるとしても、いったいどうやってそんな巨大なものを運ぶのだ」
するとエルネスティがひょこっと手を上げた。
「
「軽々しく言ってくれるが、卿。この飛竜は戦闘用だ。破壊力にこそ優れているが、幻晶騎士のように細かい作業に向いているとは言い難いぞ」
「とのことですが、設計者としてはいかがでしょうか?」
「飛竜戦艦で杭打ちをやりたいなんて馬鹿がいたら頭カチわってやるところだがね。やるしかないならやる……そういうことなんだろう? エルネスティ・エチェバルリア」
船橋中の視線が一点に集中する。
パーヴェルツィーク軍にとっての異物、エルネスティは満面の笑みで頷いた。
「ではやってみましょうか! できなかったらその時にまた考えるということで」
「とはいえ多少の調整はいるだろう。さすがにそのままでは可動範囲が……」
「待て、待て! 勝手に話を進めるなこの馬鹿者ども!!」
今すぐにでも行動に移しそうな勢いで話す二人に、フリーデグントが慌てて口を挟んだ。
エルとオラシオは不思議そうに顔を見合わせている。まるでなぜ止めたのか? と言わんばかりだった。
心強くはあるが周囲を待たないのがこいつらの難点である。
王女のため息が深みを増した。
「……それは次善の手段とする。幻晶騎士部隊で埋めてしまえる程度かもしれないからな」
「承知しました。正しいご判断です。何事にも情報は大事ですからね! では飛竜にて可能な限り接近しましょう。観測の兵を手配してください」
「いいだろう。見張りの兵に最大限の防護服を用意してやれ」
準備を進めながら飛竜戦艦が光の柱へと接近してゆく。
随伴している他の船は後方で待機となった。
戦闘能力、機動性、急な事態への対応能力などあらゆる面で飛竜戦艦が最も強力であるからだ。
「……やはりでかいな。飛竜よりも幅があるぞ」
「全くの自然にこのようなことが起こるものなのか」
「光の柱自体が邪魔で、根元の状況はわかりません!」
それぞれに情報を集める中、同じく窓を食い入るように見ていたエルがふと眉を跳ね上げる。
「いま……柱の中で何かが動きませんでしたか?」
「柱の中だと。あれは噴き出したエーテルなのだろう。その中に生物が居るというのか?」
「はっきりと見えたわけではありませんが」
言われて皆も柱に注目する。
「柱の中に、ねぇ。魔獣って奴か? あいつらだってこの地上で生きてるからには高純度のエーテルに長く耐えられるはずがないんだがねぇ。
オラシオはぶつぶつと呟きながらも七色に揺らめく光を眺めて。
「!?」
柱の表面で唐突に起こった異様な動きに気付いた。
それまでのような緩やかな色の変化ではなく、そこだけ絵の具をかき混ぜたかのように色合いが斑になっている。
次の瞬間、斑の色合いがそのままぐにゃりと伸びた。
それは細く長く、まるで生物の触腕のような形状を取り――。
「回避します! 操作を!」
謎の触腕が飛竜戦艦に向かっていると気付いた瞬間、エルが舵に飛びついた。
許可を得る暇も惜しいとばかりに即座に操作系を乗っ取る。
「全員掴まってください!」
警告を発しただけまだ親切であったと言えよう。
何故ならエルは直後にマギジェットスラスタを最大出力に叩き込み、急加速をかけたからだ。
身体を支えていなかったものが慣性で壁に叩きつけられる。
委細気にせず飛竜戦艦はその速度性能を最大に生かし、迫りくる触腕を避けていた。
「……一本じゃない! 追ってくる!」
躱したと安堵する暇もない。すぐさま新たな触腕が光の柱より現れ、船体めがけて伸びてくる。
ミシミシと悲鳴を上げながら飛竜戦艦が躯体を曲げた。
船体に多数の関節を持ち、生物的な動きによる高い機動性を備える。飛竜戦艦はその性能を最大に発揮し全ての触腕をかいくぐった。
しかし触腕は執念深く飛竜を追いかけてくる。
「少し牙を見せてあげなければいけないようですね!」
エルが獰猛に笑った。
同時、飛竜戦艦に接続された
エルの
宙を灼いて飛翔した炎弾はまったく外れることなく全て直撃。多数の火炎が咲き乱れた。
「効果なしですか……なかなか厄介ですね!」
にもかかわらず触腕が動きを鈍らせた様子はない。
虹色の光を放つ表面にも目立った傷は見えなかった。
飛竜戦艦が船体を翻して光の柱より離れてゆく。
触腕の長さには限界があるようで、やがて諦めたように光の中へと戻っていった。
「なるほど。人の仕業にしては大掛かりだとは思っていましたが、やはり魔獣が絡んでいましたか」
「……っ。エチェバルリア卿! 少し、説明をしてもらおうか!」
エルが一人で納得していると、ようやく復活したフリーデグントが食って掛かってくる。
彼女のみならず船橋にいる者たちは多かれ少なかれそんな様子であったが。
「はい。ああして光の中に居る以上、エーテルの放出とあの魔獣は無関係ではないだろうということです」
「それはそうなのだろうが……それで卿、魔獣については何かわからないのか」
「いいえ。初めて見る種類の魔獣ですね!」
船長席でフリーデグントがガクッと傾いた。思わずため息が漏れる。
「ふうむ。おい、エルネスティ。あの魔獣とやらをぶっ殺して穴を塞げないのか」
意外な頑強さを発揮して窓にへばりついていたオラシオが振り返った。
エルはふむと腕を組む。
「そう都合よくいくか断言はしかねますが。少なくとも今以上の穴の拡大は防げそうですね」
「やって損はなさそうだな」
飛竜戦艦は光の柱から距離を置いて巡航している。
魔獣に動きはない。おそらくはある程度離れてしまえば反応してこないのだろう。
「……やるならば遠距離からの一撃必殺。王女殿下、
フリーデグントはふむと目を細めた。
「確かにあれは強力ではあるが、乱発してよい代物ではない。根拠を聞こう」
「さきほどの接触においてただの法撃は効果が薄いと見ました。また接近しての格闘は未知の要素が多く。余裕をもって決するならば竜の炎をおいて他にないと考えます」
「……よかろう、許す。総員、投射の準備を」
フリーデグントが頷けば後は早い。
船員たちがキビキビとした動きで準備を進めてゆく。
「
「飛行安定、体勢よし!」
「周囲に障害確認できず! 投射準備全てよし!」
「では照準と機体の制御をこちらに。中央を撃ち抜きます」
エルは当然のように操舵輪を占拠してにんまりと笑う。
「ふふ……うふふふ。竜炎撃咆……撃たれたことは何回かあるのですが、自分で撃つとなるとまた違ったワクワクがありますね!」
「お前本当にまともじゃないな」
オラシオのうんざりとした呟きは、概ね周囲の人間の総意であった。
そんな空気など委細構わずエルは上機嫌でぶっ放す。
「それではいざ、投射!」
飛竜戦艦が
竜の王すら撃ち滅ぼす破滅の炎が光の柱へと直撃し――。
「……? あれは何が……どうにも様子がおかしいですね。炎が!?」
法撃は続いている。
城塞すら焼き尽くす炎を浴びて無事なものなどこの世に存在しない――はずだった。
しかし実際は、炎は光の柱に当たる端から不可解な消失を遂げていた。
海の中へと吐きかけるほうがまだ効果があるだろうという有様である。
「投射停止!」
炎が収まった後、そこにはまるで何事も無かったかのように光の柱があった。
不可解のあまり誰もが言葉に詰まる中、グスタフが血管を浮かび上がらせながら叫ぶ。
「何が……起こったのだ!? 今、飛竜の炎を浴びせたのではないのか!? 貴様、外したな!?」
「心外ですね。ここにいる皆が目撃したでしょう。確かに直撃させた……なのにかき消されたのです。そんなことがあり得ると思いますか?」
視線で問いかけられたオラシオはしばらく眉間に皺を寄せていたが、唐突に顔を上げた。
「しまった、そういうことか! 当たり前だ、ありゃあ高純度のエーテルじゃねぇか!」
「……なるほど。
「どころの話じゃあないぞ。そこらの法撃だって大気中のエーテルに溶けて消える! 比べてあの柱は大量の純粋なエーテル、いわば魔力の大瀑布だ! 手桶で水をいくら引っ掛けたところで意味なんぞない!」
「確かに。しかし困りました。竜炎撃咆で無意味となればおよそ魔導兵装で通じるものが存在しないことになりますね」
威力と規模において竜炎撃咆を超える魔導兵装などこの世に存在しない。
フリーデグントが眉根を寄せる。
「エーテルが噴き出ている限りあの魔獣を攻撃できない。そして大地の穴を塞ごうにも魔獣の攻撃を受ける……? なんだこれは、八方塞がりではないか」
王女が機嫌を悪くするのも無理はない。
オラシオが考え込みエルがじっと光の柱を見つめているこの状況で、解決方法を思いつく者は皆無であった。
「皆、戦闘準備をお願いします」
その時エルがぽつりと呟いた。聞き逃しかけた王女が慌てる。
「どうした。なにがあった!?」
「あちらの歓迎の準備も整ったようですので」
慌てて窓の外を確かめれば、光の柱の表面に新たな動きが起こっていた。
青白い光が泳ぎ回るのが見える。それらはやがて表面を突き破り、宙へと泳ぎ出てきた。
無数の細長い糸が絡まるように伸びてくる。
触腕はある程度以上の距離まで伸びては来ないが、この青白い魔獣はそうではないらしい。
「青白い糸のような……もしや報告にあった魔獣か!? 本当にいたのか、いやしかし何故光の柱から!?」
「空を飛ぶような大地がただの地面であるわけはありませんが、中にはいったい何が秘められているのでしょうね……いずれにせよ魔獣を相手に遠慮はいりません!」
フリーデグントたちの混乱を他所に、エルはさっさと飛竜を動かす。
飛竜戦艦が旋回を始め、背に並ぶ法撃戦仕様機が一斉に魔導兵装を構える。
そうして紐のような魔獣へと向けて猛烈な法撃を浴びせかけた。
魔獣に直撃した法弾が爆炎をまき散らす。
エルによって完全に制御された法撃は一発の無駄弾も出していない。
その効果のほどを確認すべくじっと目を凝らしていた彼であるが、やがて炎が晴れた後の光景を見て呻きをあげた。
「法撃が効いていない……? おかしいですね、既に光の柱の外にいるというのに」
先ほどの巨大な触腕の場合はエーテルでできた光の柱が邪魔になっていた。
しかし紐のような魔獣の場合、何も防ぐもののない空中で法撃を受けながら目立った傷がない。
確かに魔獣は耐久性が高い傾向にあるが、だとしても不可解な無傷さだった。
「そもそも法撃に耐性のある魔獣ということなのでしょうか? ならば竜の爪はいかがでしょう!」
船体を返し、うぞうぞとわだかまる魔獣群を
魔獣が解け飛び散るのを見て、その効果のほどを確信し――。
「……!?」
ぞわりとした違和感。
それにいち早く気付けたのは、エルが飛竜戦艦を直接制御していたためだった。
格闘用竜脚を制御する
デタラメな術式が走り、竜脚の制御が失われてゆき。さらに異常は徐々に船体へと向けて這い進んでいるのが感じられた。
「格闘用竜脚の制御が奪われた……!? まさか、魔獣が船内に侵入している!」
「なん……馬鹿な! 相手はロクな知能もなさそうな魔獣だぞ!」
「違います……これではまるで魔法術式に直接干渉するような……! いえ、それよりも対処します!」
即断し、エルの制御が船内を駆け巡る。
下面の法撃戦仕様機が一斉に奪われた格闘用竜脚を狙った。
放たれた法撃が集中し、格闘用竜脚を物理的に破壊する。
爆発が起こり振動が船橋を駆け抜けた。
「なっ、何をした!?」
「奪われた脚を撃ち、切り離しました。船内には……もう魔獣らしき感触は残っていません。すぐに距離を取ります!」
今回は格闘用竜脚だけで済んだが、より奥まで潜りこまれたら対処のしようがない。
飛竜戦艦は船体を翻し、急いでその場を離脱した。
幸いにも速度は飛竜が優越しており再び魔獣に取り付かれるということはなかった。
「いったい何なんだ。これが魔獣というものなのか」
「いいえ……法撃は効かず機体に侵入し、あまつさえ制御を奪いに来るなんて。このような魔獣、見たことも聞いたこともありません。しかし……」
動揺するフリーデグントたちは気付いていない。
これまでで初めて、エルの表情から笑みが消えているということに。
「僕から奪おうとしましたね。たとえ
静かに燃える炎が飛竜を満たしてゆく。
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