#167 暴竜相争う

 二体の“竜”が睨みあう。共にこの戦場を左右しうる力を有する存在。

 互いに群れを率い、どちらがこの空を統べる存在かを決しようとしている。


 竜ではない鳴き声がそこかしこで木霊していた。

 “竜の王”のしもべたる混成獣キュマイラもまた、近づく脅威を捉えている。


地の趾ちのしが使う石の竜! 我らから空を奪い翼を縛った……この屈辱! 今こそ思い知れ!」


 魔獣に跨がるハルピュイアたちが次々に叫びをあげた。

 飛竜戦艦とはパーヴェルツィークの力の象徴、彼らにとっては支配の証しに他ならない。


「……よかろう。お前たちの怒りを見せてやるがよい……ゆけ」


 応じるように“竜の王”から不可視の波動が放たれる。

 混成獣たちが敏感に反応し、ぎらつく視線の矛先を変えた。


 群れの一部が竜闘騎との戦いから離れ飛竜戦艦へと爪と牙を向ける。

 不気味な一体感を醸し出し、ある種の群体のような動きを見せていた。


 魔獣が群れを作るならば、飛竜戦艦リンドヴルムもまた人の群れによって成る存在だ。


「監視より報告! 魔獣の群れ、竜闘騎ドラッヒェンカバレリとの戦闘を中止。こちらに向かっている模様!」

「雑兵を差し向けてきたか。爆炎系統の法撃は側面のみ許可する! 正面防御用意!」


 混成獣が口々に魔法を放つ。渦を巻く破壊の嵐が空をも砕かんと迫り――。


雷霆防幕サンダリングカタラクト、投射!」


 飛竜戦艦の各部から放たれた雷撃が絡み合いひとつの輝く網と化した。

 雪崩をうって押し寄せる魔法を受け止めると、さらなる破壊をもって吹き飛ばす。

 雷光の網に護られた船体には傷ひとつない。


 目の前で魔法を防がれようと、混成獣には爪と牙、そして旺盛な攻撃衝動が残っている。

 怯まず突き進み。しかし一匹たりとも辿り着くことなく雷撃の餌食と果てた。


 雷鳴が去った後には、黒焦げと化した魔獣の死骸がばらばらと落ちるばかり。

 さしもの混成獣も絶対的な死を目の当たりにしては警戒せざるを得ない。


 走る雷光を境目に、魔獣は羽毛の一枚分も進めないでいる。

 そうして飛竜戦艦の力を確かめた船橋にはわずかな安堵感が漂っていた。


魔力貯蓄量マナ・プール問題なし。戦闘の続行に支障ありません!」

「雑兵どもは恐れるに足りぬ。魔導光通信機マギスグラフにて通達せよ。竜騎士は本船の援護に、そしてはやく殿下をお連れしろと!」


 飛竜戦艦が盛んに光を灯す――しかし竜闘騎の動きはなかなか変わらない。

 訝しく思ってよく見れば、竜闘騎はとある場所を守るようにしてじりじりと進んでいた。


「あれはもしや……」

「報告! 正面、竜の王来ます!!」

「ええい雑魚ではキリがないと見たか! こちらが全力を出せぬからと……!」


 グスタフは歯噛みする。


「イグナーツ、ユストゥス……急ぐのだ……!」


 船橋から見える景色の中で、竜の王が急速に存在感を増してゆく。

 このまま迎え撃つしかない。彼らは決断を下さざるを得ない状況にあった。




 推進器の出力を高め、竜頭騎士“シュベールトリヒツ”が長大な騎槍ランスを構える。

 高速で繰り出される突撃は頑健さを特徴とする混成獣キュマイラにとってすら厄介だ。

 悔し紛れに吐き出された炎の魔法を吹き散らし、シュベールトリヒツが魔獣の攻撃を突破する。


「私の槍の前に敵はなし! 殿下がお待ちである、有象無象は道を空けるがよい!!」


 天空騎士団右近衛隊が竜頭騎士に続いて一斉になだれ込む。

 放たれた法弾幕が魔獣の動きを牽制し、反撃を許さない。


 その時、後方に光が瞬いた。

 飛竜戦艦からの魔導光通信機による光。内容をくみ取れば、彼らにも焦りが伝播する。


「戦闘態勢に入ったか! もう余裕はないぞ、その前に殿下を……!」


 言葉を遮るように竜の王の巨体が割り込む。

 混成獣と竜闘騎の小競り合いなど眼中にないとばかりに悠然と羽ばたいていた。


 迫りくる巨体の圧力に、混成獣も竜闘騎も関係なく道を空ける。

 その中にあってなお退かぬ竜闘騎がいた。

 それも理由なきことではない。何しろ彼らの中心には――。


「エチェバルリア卿、まずいぞ……奴はもう目前に……!」

「とても話し合うような余裕はなさそうですね」


 彼らの王女を乗せた蒼い幻晶騎士トイボックスがあるのだから。

 さしものエルネスティも今ばかりは余裕がない。足場にしてきた魔獣を蹴り、一気に空へと駆けだす。


 しかしトイボックスは魔力貯蓄量と出力の問題から長時間の飛行に向いていない。

 このまま空中を移動するには何か足場が必要だ。


「ううむ、そろそろ足場になる魔獣が欲しいですね。どこかに……ああちょうどいい」


 トイボックスの両肩、両腰に備わったマギジェットスラスタが出力を高める。

 目標の動きを見定めると進路上を狙って一気に飛び出した。


「殿下はそこにいらっしゃるのですか! 今参り……なんだ!?」


 ちょうどそこへと、シュベールトリヒツが飛び込んでくる。

 狙いすましたかのように蒼い幻晶騎士が現れて。


 イグナーツの反応は素早かった。衝突すると見て取るや、帆翼ウイングセイルを傾け急激に進路を変える。

 だが先手を取ったのはトイボックス、すでに彼の間合いに捉えられている。


 微かな飛翔音と共に執月之手ラーフフィストが飛んだ。

 シュベールトリヒツの胴体を捉え食い込むと、そのまま一気に巻き上げを始める。


「こいつ!? 幻晶騎士シルエットナイトがこんなところに!? 私のシュベールトを捉えただと!」


 驚愕と震動は同時に襲い掛かってきた。

 トイボックスが強引にシュベールトリヒツの上へと着地したのだ。


 幻晶騎士一機分の重量が圧し掛かり、シュベールトリヒツの機体が悲鳴のような軋みを上げる。

 いかに出力に優れた竜頭騎士とはいえ幻晶騎士を上に載せるなど想定外もいいところだ。

 そのまま墜落しなかっただけでも大したものである。


「くっ……離れろ!」


 イグナーツは機体を捻り異物を振り落とそうとする。

 だがそんな彼の行動を止める声があった。


「貴様は! どうしてそう! 滅茶苦茶な方法しか!? ……ええいそれは後だ! リヒツにあるのはイグナーツだな!? 私の声が聞こえるか!」

「なっ……その声はフリーデグント殿下! まさかその中にいらっしゃるのですか!?」


 イグナーツは仰天のあまり一瞬だけ呆けたものの、己を取り戻してからの行動は素早かった。

 源素浮揚器エーテリックレビテータへとエーテルを供給し浮揚力場レビテートフィールドを強化、機体を水平に戻し強引に安定させる。


「いったいなぜ。その騎体はどこの……!」

「色々……あったのだ! 説明している暇が惜しい。とにかく飛竜戦艦と合流したい、このまま飛んでくれるか」

「ハッ。殿下の仰せとあらば!」


 イグナーツは思考を瞬時に切り替える。

 あらゆる事項よりも王女の安全が優先される。疑問に費やしてよい時間などない。


「というわけです。頑張って飛んでくださいね」

「くっ、いったい何者だ貴様!?」

「はい。僕はフレメヴィーラ王国銀鳳騎士団団長、そして今はクシェペルカ王国女王陛下より命を受け使者をやっております、エルネスティ・エチェバルリアと申します。どうぞよろしく」

「なん……なんだ!?」


 そんな説明聞いても混乱が増すばかりだ。

 イグナーツは余計な考えを無理やり追い出すと、とにかく竜頭騎士の推力を上げたのだった。




「近衛隊より発光信号を確認! 王女殿下と合流したと!」

「ようし! もう少しで枷が解かれる、ここが正念場であるぞ! 総員奮起せよ!」

「応!」


 飛竜戦艦の船橋で、報告を受けた船員たちが士気を上げる。

 窓の外では竜の王がその歪な口を大きく開いていた。


「魔法現象の前兆を確認! 来ます!」

「防御投射!」


 咆哮と共に宙に無数の火球が生み出される。

 ほぼ同時に飛竜戦艦の周囲を雷光が駆け巡った。


 空に走った火線が雷光にぶつかっては弾けて消える。互いの攻撃と防御は拮抗していると言えた。


「竜の王からの法撃、損害ありません!」

「我らは良い、しかし殿下を巻き込みかねんな。さらに接近するぞ! 魔法を放つ余裕を与えるな!」


 マギジェットスラスタが推力を上げる。

 雷まとう鋼の竜と炎放つ竜の王、互いの間に残る最後の距離が限りなく縮まってゆき。


「弾き飛ばす! 雷霆防幕、出力最大!」


 飛竜戦艦の周囲を翔ける稲妻が輝きを増した。

 何ものをも近づけず、あらゆるものを粉砕する攻防一体の必殺兵器。


 雷の塊と化した飛竜戦艦が竜の王へと体当たりを仕掛ける。

 迸る雷光が竜の王の巨体へと突き刺さり――。


「……石の竜よ、お前の力はこの程度か」


 雷撃は甲殻を破ることも、肉を穿つことも叶わなかった。

 竜の王は荒れ狂う雷の中を平然と泳ぐと、おかえしとばかりにガバっと口を開く。


 乱杭歯の覗く口腔が、飛竜戦艦の船橋がある船首へと迫った。


「雷霆防幕、効果薄い! 竜の王、直接攻撃来ます!」

「まだだ! 舐めるでない!!」


 飛竜戦艦が巨大な脚部――格闘用竜脚ドラゴニッククローを振り上げた。

 船体をのけぞらせながらの一撃が竜の王の横っ面を打ち据える。

 轟音と衝撃が周囲の空間を揺さぶり、混成獣や竜闘騎が慌てて距離を取った。


 勢いのあまり距離を離した二体は巨体をうねらせ再び互いにつかみかかる。


「……返答せねばな」


 その濁った瞳からは何の痛痒も感じられない。

 史上最大の建造物である飛竜戦艦の一撃すら、生きた竜には通じないのか。


「さすがはドレイクよ! ならば貴様を砕くまで打ち据えるのみ!」


 格闘用竜脚を構え、飛竜戦艦がさらなる打撃を与えようとする。

 対する竜の王は迎え撃つように口を大きく開いた。


「……腐れて、墜ちよ」


 竜の王の口腔内に煙のような白い霧が沸き起こる。魔法ではない、何らかの物質だ。

 それは風の魔法をまとい渦を巻くと、口から一直線となって放たれた。


「避けよ! 推力最大!」


 白煙の吐息に飲み込まれる寸前に飛竜戦艦が身を捻った。

 同時に推力に任せて強引に進路を変え、白煙より逃れ――。


「……!?」


 ちょうどその時、飛竜戦艦の後方を迂回しようとした飛空船へと吐息が直撃する。

 船が白煙の中に包まれ。次の瞬間、誰もが目を見開いた。


 ――船が溶け落ちる。


 飛竜戦艦の船員たちは、確かに見た。

 金属を用いた飛空船の装甲が瞬間的に泡立ったかと思えば次の瞬間には腐食したのを。


 脆く枯れた木が折れるようにボロボロと金属であったものが崩れ落ちてゆく。

 飛空船の形を保っていられたのもわずかな時間。

 数瞬きほどの後には船であったものは残らず朽ちて崩れ落ちてしまっていた。


「馬鹿な……なん、なんなのだあれは!?」


 グスタフは硝子窓を破らんばかりに船の最後に見入っていた。

 彼の知るありとあらゆる攻撃の中にない、未知の何か。同時にその恐ろしさを正確に把握していた。

 アレを受ければ飛竜戦艦とて砂の城のごとし。


 飛空船、竜闘騎、飛竜戦艦。人のもつ全ての力が砂と帰すのだ。

 凍えるような冷たさが背筋を走る。


「推力最大! 再度接近せよ!!」


 直後、彼が発した命令を聞いた船員たちは復唱しようとして固まった。

 接近する? 一撃で飛空船を崩し去る竜へと? 恐怖に駆られた疑問が視線となって集中する。


「彼奴の吐息ブレス、迂闊に避ければ味方を巻き込む! 受ければこの飛竜とてひとたまりもあるまい……ならば! 放てぬよう頭を押さえる他ない」


 船員たちが息を呑んだ。


「それを成しえるのはこの飛竜戦艦リンドヴルムのみ! もはや後には退けぬぞ!」


 竜の王が嗤うように吼える。

 不退転の決意をもった飛竜戦艦が大きく身体をしならせ、再び挑みかかっていった。



「なんだあの攻撃は……!? あれが羽根つきたちの王というのか!」


 衝撃はパーヴェルツィーク軍に等しく襲い掛かる。イグナーツとて例外ではない。

 以前、竜の王と遭遇した時、あれはよほど手を抜いていたのだろう。その恐るべきはまったく底が見えない。


「く、これではとても近づけません!」


 彼とて近衛を任され腕に覚えのある騎操士ナイトランナーである。

 さりとて巨大存在同士の戦いはその手に余る。

 トイボックスの幻像投影機ホロモニター越しにその光景を見ていたフリーデグントもまた頷き。


「仕方がない、今は後方に下がって……」

「いますぐに突入してください」

「なっ、貴様!?」


 静かな声が割り込んだ。

 トイボックスの騎操士であるエル。ここまで問題はあれど何度も彼に助けられていたフリーデグントであるが、さすがに頷くわけにはいかなかった。

 激しく争う二体の間に割り込むなどおよそ今までに言ってのけた中でも最大級の無茶である。


 くってかかろうとしたところで、しかしフリーデグントは口をつぐんだ。

 背後から覗くエルの横顔がこれまでになく厳しいものだったからだ。

 王族である彼女をしてすら反論しがたい何かがそこにあった。


「下にいる飛竜の方。あなたたちの騎士団を救うため、あの戦いに割り込む勇気はありますか?」

「なんだと!? いったい何を言っている!? 殿下を危険にさらすわけがないだろう!」


 イグナーツも混乱したまま叫び返す。


「あれに似た魔獣に覚えがあります。もしも想像通りならば。今ここで倒さねば……最悪、被害はこの大地に止まりません」

「どういうことだエチェバルリア卿。……ッ! 西方諸国にまで?」


 脳裏を過った最悪の想像に、フリーデグントは我知らず身震いする。

 “竜の王”は、今は単体の脅威である。しかし相手は仮にも生物。もしも増えるとすれば――?


 かつて人類は幻晶騎士の力によって西方の地を制覇した。

 あるいはより以前へと時代がさかのぼる可能性すらあり得る。

 竜の群れによって蹂躙される故郷の姿。一笑に付してしまうことは、眼前の光景がためらわせた。


「……イグナーツ、私の考えすぎかもしれない。いずれにせよ竜の王は倒さねばならない相手だ。ここは手を貸してくれないか」

「殿下のお考えは承知しています。しかしあまりに危険が過ぎます!」

「自信がないのならば無理強いはしませんが」

「言わせておけばぁ……! きっさま!!」


 興奮のあまり竜頭騎士の進路ががくがくと揺れる。

 フリーデグントが慌ててイグナーツをなだめた。


「エチェバルリア卿! ここまで来た卿のことだ、無策ではないのだろう?」

「お任せください」


 にこやかに答える。いい加減、この笑顔が信用ならないことを痛感しつつあるが。

 彼女は決断する。


「行ってくれ、イグナーツ。飛竜戦艦リンドヴルムには竜炎撃咆がある。我らが隙を作ればそれで戦いが決しよう」

「仰せのままに。この身命を賭して勝利を掴み、殿下の身をお守りします……!」


 竜頭騎士が動き出す。上にいるトイボックスがバランスを取って。


「進行方向はこちらで制御します、合わせてくださいね」

「貴様! 私を馬扱いするかぁっ!?」

「イグナーツ……すまない、頼む……」

「殿下の仰せと……あらば……ッ!」


 本当はいますぐに上の輩を法撃して吹っ飛ばしたくて仕方がない。

 中にフリーデグントが乗っていなければと、イグナーツは何度目かの歯ぎしりをこらえた。


 トイボックスがマギジェットスラスタを起動すると、シュベールトリヒツが遅れなく追従する。

 まるで乱れなく動いて見えるのは双方の腕前があってこそなせる業だ。


「突入します。放り出されないように踏ん張ってください」

「まさか我が軍の飛竜戦艦を脅威に思う時が来るとはな……!」


 揉みあう二体の竜が近づいて来る。

 およそ近寄ることすら困難な混沌の中へと、蒼い騎士と竜頭騎士が飛び込んでゆくのだった。

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