#166 滾る戦意とお散歩気分
上昇に伴う強烈な負荷が圧し掛かる。
息を呑んだのも束の間、それも一瞬で通り過ぎてゆく。
再び青に覆われた視界がぐるりと回り。気付けば魔獣をはるか眼下に見下ろしていた。
「それでは降ります! 舌を噛まないように!」
コイツは何を言っているんだ。
それがフリーデグントの抱いた偽らざる感想だった。
あまりにも色々なことが目まぐるしく進んでいる。
巨大な人馬騎士から蒼い
だがなぜ今自身が空高くにいるのか、彼女にはさっぱりわからない。
お届け大作戦などというふざけた名前を思い出しはしたが、これは一般的に自殺と呼ぶのではないだろうか。
そんなことを考える暇があったのも一瞬。
「ンヒッ……」
負荷から解き放たれた次の瞬間には腹の底から浮遊感が襲い来た。
蒼い幻晶騎士が一気に落下へと転じ。
足元から突き抜けるような衝撃。空中にあった魔獣を正確に捉え、その背に着地したのだ。
着地というか蹴りと何の変わりもなかったが。
「ちょっと魔力を回復するので、しっかり足場になってくださいね」
鈴を転がすような声は、平時であればさぞや耳に心地よかったことだろう。
しかし現実は。
蒼い幻晶騎士を操るこの小柄な
もはや敵とすら思っていないかもしれない。
おそらくは着地の際に剣を突き立てなかったのはただ必要だったから。
用が済めばさっさと処分することだろう。
「こいつ、頭がおかしいのか……」
フリーデグント自身はそれほど武力に秀でているわけではない。
戦闘の経験も豊富とはいいがたいが、この小さな騎操士のやり方がめちゃくちゃであることだけは確信を持っている。
空中で戦うだけならば
こちらは機体の異常性もさることながら、このような戦い方を実行できる騎操士こそ異常に過ぎる。
いったいどのような経験を積めばこんな芸当が可能になるのか――。
同乗者の戦慄などつゆ知らず。
「ふうむ。殿下をお届けにあがったというのに誰も動きませんね。もしかして聞こえていないのでしょうか?」
「む、無茶苦茶すぎる……いきなり言われてわかるわけがないだろう!!」
誰も彼もがこんな化け物基準で生きているわけではない。
竜闘騎の騎士たちが目を白黒させているであろう様子がありありと伝わってきた。
フリーデグントすらまさかこのような手に打って出るとは思いもしなかったのだから、さもありなん。
「これが貴様のいう善処か!? お前の国にはまともな辞書が出回っていないのか!?」
「失礼な。ちゃんと学生のころに読みましたよ」
まともな人間はいきなり戦場のど真ん中に突っ込んだりはしない。
ともあれさすがは王族、フリーデグントは本当に色々と呑み込んで己を取り戻すと、事態を解決に導くべく動き出す。
「……! もういい、拡声器をこちらに! 私が直接話す、そうすればまだ伝わるだろう」
「それは名案です。では僕はこのまま時間を稼ぎますので、なるべく手短にお願いしますね」
そうして足元でもがきだした魔獣へもう一度蹴りをくれると、両腕の
空を翔けた拳が
首を締めあげられた混成獣が呻きと涎を漏らして痙攣するのに構わず言い放つ。
「僕が許しを出すまで、足場が勝手に動かないでくださいね」
我が国はこんなのを敵に回そうとしていたのか、フリーデグントの心中から曰く言い難い震えが沸き起こる。
彼女は精神力の限りを尽くして、とりあえず眼前の光景を忘れることにした。
とにかく声を伝える。早急にこの状況を収めなければ色々とマズい気がしてならない。
「竜騎士よ聞け!! 私はパーヴェルツィーク王国第一王女、フリーデグントである! 今は事情あって、この蒼い幻晶騎士に同乗している!」
「で、殿下がぁ……ッ!? まさか、そのようなところに!?」
事ここに至ってようやく、竜騎士たちの思考が追い付きつつあった。
彼女の声を聞き間違えることなどありえない。
どこの、いずれの騎体かまったく知れないが、それでも王女を運んできたのは確かなようだ。
行方知れずだった王女の無事が確認できたことは喜ばしい。
だが悲しいかな、そんな事実も彼らの助けにまではならなかった。
「魔獣どもがいるのだぞ!? 殿下をお守りせねば!」
「いやしかし、
「そんなことは後回しだろう!」
「そうだ、こちらに受け取れば……」
「どうやってだよ!? ここは空の上だぞ!!」
むしろ混乱にさらなる拍車をかけただけに終わり。
そんな中、状況を動かしたのはハルピュイアたちだった。
王女が現れたことなど彼らには何も関係がない。
竜闘騎の動きが止まっているならば好機とばかり攻めかかってくる。
「ッ! ええい竜騎士隊、殿下の御身をお守りせよ! 蒼い騎士を中心に防御陣形を敷く!! 迎え討て!」
「お、応!」
ケツに火が付いたどころの騒ぎではない。
最前線がいきなり最終防衛線と化し、竜闘騎隊は死ぬ思いで戦う羽目に陥っていた。
「あらら。皆さん大変そうですね」
「貴様は! 暢気にしている場合か!? なんとかしろ頼むからなんとかしてくれ!!」
座席の後ろからフリーデグントに必死の形相で食らいつかれて、さしものエルもちょっと引いていた。
「仕方がありませんね。では飛竜戦艦と合流するというのはいかがでしょう」
「お前と共にか……? …………止むを得ん。止むを得んか……」
これでは部下を徒に危険にさらしているだけだ。
事態を収拾するには
暴れ狂う混成獣、死力を尽くし防衛に努める竜闘騎隊。
そのど真ん中にあって悠々と、魔獣を足場に飛び移りながらトイボックスは進む。
目指すは飛竜戦艦。
そんな彼らの後方で、竜の王もまた動き出していたのだった。
時間的には多少前後する。
「で、殿下が……前線にぃっ!?」
飛竜戦艦へと飛び込んできた伝令騎がもたらした報告が、船橋へも混乱を広げていた。
フリーデグントの登場に泡を喰ったのは竜騎士たちばかりではない。
飛竜戦艦の船員たちも同様であるし、なんならグスタフの頭の血管がキレなかったのは奇跡に近かった。
「イグナーツ、ユストゥス……両近衛隊に出撃を命じる……全軍をもって! 即座に! 殿下を! 後方まで! お連れしろッ!!」
「ただちに!!」
すぐに飛び出してゆく二人の背中を見送り、深呼吸でわずかばかり血圧を下げると、グスタフはすぐさま周囲に指示を飛ばし始めた。
「近衛隊が出撃する。船を切り離せ! 総員傾注、これより本船は直接交戦圏まで進出するっ! 魔獣との戦闘に備えよっ!」
「りょ、了解!」
一瞬混乱が吹き荒れたが、そこは船員とて訓練を積んだ兵士たちである。
命令が下ってからの行動は早かった。
「
兵士が全員持ち場についたことを確かめてから手続きを進める。
「連絡橋、切り離しから収納よし!」
「固定腕離脱よし! 近衛船、距離開きます!」
三隻の船が連結された状態から、左右の船へとつながる橋が切り離されてゆく。
さらに
「
飛竜戦艦が翼を広げる。
風を受けて進むその左右を追い抜いて、二隻の快速船が進みだした。
右近衛の旗艦である“
三隻は分離し、空飛ぶ本陣拠点としての姿から本来の機動兵器へと立ち返っていた。
“輝ける勝利”号の船橋では、イグナーツが声を張り上げる。
「殿下をお連れするのは我ら右近衛である! 各機、最速で馳せ参じよ!! 近衛の誇りよここにあれ!!」
「応!」
「パーヴェルツィークに栄光あれ!」
「準備の完了したものより空へ! 私も出よう、竜頭騎士の準備を!!」
イグナーツが乗り込んだ竜頭騎士“シュベールトリヒツ”が船から切り離される。
空を進みつつ視線を巡らせれば、左近衛の“愛おしき戦場”号からも竜頭騎士“シュベールトリンクス”が飛び出したところだった。
「考えることは同じだな、ユストゥス! だが栄誉を掴むのは我々だよ!」
船を出撃した竜闘騎がシュベールトリヒツの後方につき陣形を描く。
その一糸乱れぬ動きに満足し、イグナーツは笑みを浮かべた。
「ようし征くぞ!!」
マギジェットスラスタの噴射音も高らかに飛竜が進む。
その先ではいよいよ状況が混迷を極めていたのだった。
竜闘騎の推進器が絶叫じみた咆哮をあげて機体を加速する。
魔獣と飛竜の入り乱れる戦場を、曲芸じみた飛行によって潜り抜ける。
「突っ込んできた! 魔獣どもだ! 近づけるな!!」
格闘戦を挑むだけの余裕がない。
竜闘騎ががむしゃらに法撃をばらまき、空に次々と爆発が巻き起こる。
炎を突き抜け混成獣が飛ぶ。
三つの首から魔法を吐き出し、空にさらなる混沌を添える。
「紛い物の竜モドキ! 我らの空より去れ!!」
ハルピュイアの叫びと共に混成獣が吼える。
理性ある手綱さばきとは対照的に、獣の瞳は血走り盛んに獲物を探し回っていた。
竜の王の助力なくば、とうていまともに操ることなどできまい。
接近された竜闘騎がやむなく剣爪を振るう。
鋭い剣戟はしかし鷲の嘴につかまり、がっちりと咥えられ動けなくなる。
「こいつ……離せ!」
竜闘騎が推進器をふかして抵抗するが、混成獣の膂力と重量を相手に逃れることは叶わない。
獣の背にいるハルピュイアが何かを指示すると、混成獣の獅子の貌が口腔に炎を生み出し――。
「ほいっと」
かと思えば混成獣の獅子の貌、そのど真ん中に“足”がめり込んでいた。
はたはたと無意味に翼を動かして巨体が宙に泳ぐ。
さしもの魔獣も嘴を開き、拘束から逃れた飛竜が勢い余って飛び去って行った。
「……はぁ。なんだ、なんだこの戦いは! いちおう感謝はするぞ、エチェバルリア卿。しかし我々はこんなことしかできないのか!?」
「落ち着いてください。殿下を乗せたまま戦うと、周りが大変でしょうし」
「誰の! せいだと!?」
操縦席でわいわいと騒ぎながら、足の持ち主であるトイボックスが無造作にもう一歩を踏み出す。
まさか空で踏みつぶされるのか、背に乗るハルピュイアが翼を広げて逃げ出した。
足元で混成獣のあげた悲鳴など誰からも無視されている。
空に逃れたハルピュイアは傍らに留まると、トイボックスを憎々し気な様子で睨みつけた。
「貴様……
蒼い騎士が首を向ける。
「事情は察しますが。魔獣をけしかけてきたとあらばこちらも穏やかではいられません」
「ほざけ。我らが翼の友を倒し、森を焼いたのは貴様らだろう!」
「おおまかには、人の所業とはいえるのでしょうが……。思っていたよりもあの国は邪魔でしたね」
操縦席でエルは眉を傾ける。
ハルピュイアへと最も攻撃を加えていた当事者はこの場にはいない。
だがそんなことは向こう側からすれば察しようもないことだ。
「くだらない。
「それは同感ですが、今は言わない方が良いかと思います」
ハルピュイアが、混成獣が戦う。
そのうち一羽を説き伏せたところでどれほど状況が変わるものか。
彼の視線は、この戦いの元凶ともいえる存在へと向いていた。
「ハルピュイアの考えはわかりました。それでもしよろしければ竜の王に伝えていただけませんか。示威行為は既に十分、次は話し合いに移りませんかと」
「風を伴わないものに、信が置けるか! ここは我らが地、地の趾はらしく水の大地へ帰るがいい!!」
「ごもっとも」
トイボックスはなおも進もうと踏み込みかけた、その時。
空から落ちる黒雲のごとき影。見上げた先には伸びてゆく太く伸びる首。醜くも威圧的なその姿。
「……竜の、王」
それは史上唯一、現存が確認される
ハルピュイアの歓喜が木霊する。
「おや、ついに王自らのご出陣ですか」
「なんてことだ、飛竜戦艦まであと少しだというのに……」
勢いづく混成獣に、竜闘騎は押し込まれ始めている。
戦闘に竜の王までが加われば一気に瓦解へとまっしぐらだろう。
歯噛みするフリーデグントにエルが提案する。
「殿下、少し相談があるのですが」
「止めろ。嫌な予感がする、その先は言うな」
「このままでは埒があきませんし直談判というのはいかがでしょう」
「言うなと!?」
彼女は頭を抱え、そのまましばらく考えて。溜め息と共に口を開く。
「……エチェバルリア卿。確かに私は人間の国、その権力の上位にある者だ。しかしそんなことは羽根つきに伝わらない。人間にとっての話し合いは、人間の権力機構を前提としている。王を名乗る竜に通じると、本当に信じられるか?」
エルの提案に頷けない、それが理由だった。
もしかしたらハルピュイアならばまだ通じるものがあるかもしれない。
しかし竜の王は無理だ。それはほぼ確信に変わりつつある。
しかしエルだけは異なる可能性を考えていた。
「あれが本当に純粋な竜ならば倒すほかない。しかし違うならば、未だ道は途切れていません」
「それはどういう……?」
何か自分の知らないことがあるのか、彼女が問い返そうとした時だ。
戦場に新たな風が吹き込む。
「殿下のお姿は何処だ!?」
「一足お先に失礼するよ!」
馬鹿げた加速とともに大柄な機体が飛び込んでくる。
竜頭騎士“シュベールトリヒツ”、同“シュベールトリンクス”は競うように現れると、進路上にいた混成獣を引き飛ばした。
「おお、あれは竜闘騎士! イグナーツ様! ユストゥス様が!」
「勝機である! 竜騎士よここが踏ん張りどころだぞ!」
近衛騎士の姿を目に、竜騎士が俄然士気を上げる。
戦闘用に強化された飛空船が急造の陣地となり、魔獣に対して法撃を始めた。
「どうやら役者がそろったようですね」
そうしてエルの視線はさらに奥、パーヴェルツィーク陣営の最後方を見つめていた。
長い船体をくゆらせて、首をもたげる巨体。
史上最強の戦闘用飛空船。
己の敵の姿を認めたのだろう、竜の王がメキメキと口を広げ吼える。
応じるように、吸排気機構の咆哮が長く尾を曳いた。
ちょうど蒼い幻晶騎士を真ん中に挟むようにして、二体の竜は互いを威嚇しあう。
互いに軍を、群れを率いる存在。一度相まみえたからには、決して背を見せるわけにはいかない。
飛竜戦艦の船橋は強い緊張感に包まれていた。
「大型魔獣、射程圏内に入ります!」
「報告せよ、殿下の位置はどこだ!?」
「……ど、どうやら正面、敵大型魔獣との間に」
「
グスタフが砕けんばかりに歯を食いしばる。
飛竜戦艦最大最強の魔導兵装である“竜炎撃咆”さえ使えれば、竜の王であろうと何であろうと恐れるに足りない。
しかしその絶大な威力故に、味方がいる戦場でおいそれと使うわけにはいかなかった。
「格闘戦にて迎え撃つ! 各
「はっ!」
飛竜戦艦のマギジェットスラスタに火がともる。
轟音をばらまきながら巨体が突き進み。
「
自らに向かってくる機械の竜の姿を捉え、竜の王が笑みのように顔を歪める。
「……どちらがこの空に残るか。決めようではないか」
混成獣とハルピュイアが舞い、飛竜が飛翔する。
二大巨竜の戦いの火蓋が切られようとしていた――その傍らで。
「大事になってきましたね! さあてどう動くのが面白いかな」
ワクワクしている不埒ものが一人、いたのだった。
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